第5話 女心とおまじない
夕飯のカレーを食べ終わると母ちゃんが風呂に入り、嵐とリビングで2人きりになった。食後のデザートにアイスを食べていると、思い出したように嵐が言う。
「そう言えば昨日の演技はもう飽きちゃったの?」
「演技? なんの話だ?」
悠悟は突然の理解できない質問に尋ね返す。
「昨日学校帰りに寄った時に少しだけ話したじゃん。自分の事を『僕』なんて言って、あれはなんのアニメのキャラクターの真似してたの?」
「ちょっと待て、昨日お前来てたっけ?」
覚えがなく戸惑う悠悟。
「え? 忘れちゃったの? 課外学習が雨で中止になって午前で学校が終わったから、昼に少し寄ったじゃん!」
と、嵐の様子からも嘘ではなさそうだ。
「何時頃だ?」
「13時頃だったと思うけど……ちょっと冗談ならやめてよねー」
「きっと寝ぼけてたのかもな……」
悠悟は咄嗟に話を合わせてみる。
「ちゃんと規則正しい生活しなよ〜?」
「ちなみに俺、何か変な事言ってなかったか?」
「自分のこと『僕』って呼んでて、いつもより丁寧な言葉遣いだったよ。それにタブレット触ってたけどゲームするでもアニメを見るでもなく、絵を描いてたから珍しいなぁとは思ったけど」
「たまには芸術にも触れてみたくなったんだよ。どんな絵だったか覚えてるか?」
「すごく上手だったよね。あれどこの風景なの? 悠悟って芸術の才能もあるんだって感心したもん」
「ま、まぁな……。恥ずかしいからその事は忘れてくれよ」
一気に背筋が寒くなった悠悟は、食べていたアイスを半分残して部屋に戻った。
もちろん毎日昼頃は絶賛眠りについている彼にそんな記憶はないし、もしこの話が本当なら考えられる仮説が幾つか頭に浮かんだ。
だが、それを証明する為にはどうすれば良いのかまでは分からなかった為、その夜はタブレットの中や部屋中を捜索してみるも、これといったものは見つからなかった。
するとそこに部屋の外から嵐の声が聞こえた。
「悠悟、まだ起きてるの?」
「あぁ、ちょっと探し物してた。悪い、うるさかったか?」
悠悟と嵐はドア越しに会話をする。
「ううん、トイレに目が覚めちゃって……」
「なんかその言い方、トイレが覚醒したみたいに聞こえるな」と、うすら笑いを浮かべながら返す悠悟。
「なにそれ? それもアニメの話?」
嵐は部屋のドアに背をかけ、その場に座るとこう続けた。
「目が覚めちゃったから、このまま少しお話ししようよ」
「いつもみたいにノックもせずに入ってこないんだな」
「だって今、すっぴんだもん……」
体育座りで口元を隠しながら、恥ずかしそうに答える嵐。
「お前のスッピンなんて中学ん時に何度も見てるじゃねぇか」
「はぁ……悠悟は本当に女心が分かってないね」
「男なんだから、そんなもん分かんねぇよ」
「今はそういう事に気付ける男の人がモテるんだよ?」
「3次元になんてモテなくていいんだよ。俺には2次元のヒロイン達がいるんだからな!」
「またそんな嘘で誤魔化すの……?」
「嘘じゃねぇよ、最近では王国の女騎士様も悠悟の嫁候補にランクインしたところだ」
「もう、そうやっていっつもアニメの話ばっかり……」
そして悠悟には聞こえないように小さな声で「そろそろわたしのことちゃんと見てよバカ……」と続けた。
嵐は聞こえていないだろうと思っていたが、佐野家のドアは嵐が思っているより薄く、悠悟には全て聞こえていた。
いや、そんな言葉が聞こえてなどいなくても、悠悟は嵐の気持ちにはとっくの昔に気付いていた。
でもそれを知った上で、その気持ちには応えられないというのが悠悟の答えだった。だが告白もされていないのに、悠悟は嵐にそんなこと言えるはずもない。
それに外界を全てシャットアウトしている悠悟にとって、現在唯一の外との繋がりである嵐は、恋愛対象とは違うが余計な詮索のされない適度な話し相手として、居心地の悪くない存在だったのだ。
だからそれを失うのが怖く、嵐の気持ちにいつまでも気付かないフリを続けている。そんな自分の弱さとズルさに、ますます自分の事が嫌いになる。
「悠悟が本当の意味でここから出られるようになるまで、わたしはここで待ってるからね……」
健気に自分を想い続けてくれる相手の気持ちに応えられない事に胸を締めつけられたような悠悟は、Tシャツの襟元をぎゅっと握りしめながら心の中で「ごめん」と叫ぶ。
「冷えてきたからそろそろ部屋に戻るね。お休みなさい」
「あぁ、お休み」
頭の中の感情を処理しきれない内に朝がやってくると、いつも通り悠悟は眠りについたのだった。
***
「坊ちゃま、朝食のご用意が出来ました」
夢の世界で目覚めると異世界の執事セバスが呼びに来た。
「なぁセバス、記憶を失う前の俺ってどんな話し方だったか覚えてる?」
それとなくセバスに探りを入れてみる。
「坊ちゃまは今も昔も心お優しい事に変わりありませんが、強いて言うなら以前はもう少し口調が柔らかかったかと存じます」
「自分のこと『僕』って呼んで、絵が好きだったか?」
「まさか! ご記憶が戻られたのですか?」
セバスが勢いよく振り向く。
「いや、なんとなくそう思っただけだよ。まだ全然思い出せない」
「そ、そうでございますか……取り乱してしまい申し訳ございません」
そして朝食の席で悠悟は王様へ質問した。
「俺は絵を描くのが好きだったんですか?」
「き、記憶を、思い出したのかっ」
王様は慌ただしく尋ねる。
「いえ、まだ。なんとなくそんな気がして」
悠悟がそう答えると王様は少し残念そうに遠くを見つめながら話した。
「そうだ。部屋に飾ってある絵画も、お前が自分で描いたものだよ」
「俺はどんな絵を描いていたんですか?」
「風景画が得意でね。この国の今の風景や、未来の姿を想像して描いたりするとも言っていたよ」
「いつも俺はどこで絵を描いていたんですか?」
そう尋ねると、この世界の俺はいつも屋敷の裏庭で絵を描いていたそうだ。今日は絵を描いてみたいと伝えると、王様はすぐに画材道具などを手配してくれた。
朝食を済ませ、いざ裏庭でキャンバスに向かうも、やはり何も思う所はない。そこら辺の風景をデッサンしてみるが、部屋の絵とは比べ物にならないくらいの酷い出来だ。
「あちゃー、こりゃ小学生の方がマシな絵描くかもな……」
あまりの下手さに思わず独り言を漏らす。
そこに突然ラージュが顔を出した。
「どういう風の吹き回し? もしかして昨日、私が変な事言ったのと関係ある?」
悠悟は気まずい相手に話しかけられた事に少し驚いたが、咄嗟に平静を装った。
「こうすれば何か思い出せるかと思ってやってみたけど、やっぱり何も思い出せなかったよ」
「そう……」
ラージュは小さく呟くとベンチに腰掛ける。
しばしの沈黙の後、悠悟が口を開く。
「なぁ、『フレア』ってラージュの家族だったのか?」
その言葉を聞いたラージュはハッとした顔で悠悟を見るが、すぐに俯き気味になりこう返す。
「血は繋がってないけど、姉妹みたいに育ったわ……」
「って事は……俺ともそうだった訳か……」
「そうよ。小さい頃はいつも3人一緒だった。でもフレアは私なんかより、ずっと強い騎士だった。もし今も生きていたら、あの子が副団長になっていた」
「おい、いつもの自信はどこにいったんだよ」
「貴方にとっても、あの子は特別なのよ。貴方の、王の剣になり得るのはフレアしかいなかった……」
「俺、そいつの事好きだったのか」
「たぶん……お互いにね」
「……」
それを聞いて押し黙る悠悟。
「貴方たちは、よく2人で未来のこの国の話をしていた。争いのない国を作るにはどうするべきか、そんな事ばかりを語り合っていたわ。あなたの描く絵は、いつもその話から生まれたこの国の理想の未来の姿がモチーフだった……。私も貴方達の創る平和な世界の住人になれることを心待ちにしていたわ」
「昔の俺は頭が良かったんだな……今はそんな難しい事ちんぷんかんぷんだよ」
「あら、随分と絵までヘタクソになっちゃったのね」
立ち上がったラージュがキャンバスを覗き込む。
「おい! 見るなよ! まだ途中なんだ!」
「こんな未来がきたら、お先真っ暗ね」
「これからカラフルに色を塗っていくんだよ!」
「こんなの色塗るくらいじゃどうにもならないわよ」
それからしばらくの間、俺たちは裏庭でゆったりとした時間を過ごした。その中でフレアとの思い出や、彼女は何故命を落としてしまったのか、ラージュはそれを話してくれた。そして気付けば自然と仲直り出来ている事に気がついた。
「あの子が死んだのは、決して貴方のせいじゃない。フレアもきっと、貴方がこれから創っていく平和な世界を待ち望んでいるはずよ」
「結局何も思い出せなかったけど、昔の俺とフレアが作りたかった世界に少しでも近づけないとな」
「私はフレアの分も、貴方を守る剣になるわ」
「じゃあ約束だ」
そう言って悠悟は小指を差し出す。
「これはなに?」
ラージュはキョトンとしている。
(この世界には指切りは存在しないらしい……)
「えーと、おまじないみたいなもんだよ。ラージュも小指だして」
ラージュが見よう見まねで差し出した小指を結び、「破んじゃねーぞ」と念を押した。
その時、訓練の時間だと呼びに来た兵士に「今行く」と返事をしたラージュは、去り際に悠悟へ声をかける。
「ねぇ、この絵私にくれない?」
「いいけど……自分で言うのもなんだけどこんなヘタクソな絵、どこに飾るんだよ」
「私には……これが丁度いいわ」
「まぁ気に入ったんなら、その絵も報われるな」
そのお世辞にも上手いとは呼べない絵には、裏庭の木々の風景の真ん中にポツンと寂しげに置かれた白いベンチが描かれていた。
「ねぇ、この絵にタイトルはないの?」
ラージュは絵を手に取り、眺めながら尋ねる。
「そうだなぁ。じゃあ『約束』ってタイトルにしよう」
「とても素敵ね……」
***
同日、現実世界で目が覚めた悠悟は、ある人に向けて手紙を書いた。長い文章などほとんど書いたことのない悠悟だが、何度も何度も書き直し、誠意が伝わるように自分の言葉で真っ直ぐな気持ちを綴った。
結局朝までかけて書き上げた手紙を封筒に詰め、ポストに出すわけでもなく机の上に置きっぱなしにして眠りについた。
だが、その手紙はしっかりと宛先へ届く事になる。
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