夢にまで見た異世界生活

野谷 海

第1話 目が覚めたら王子様


 彼が目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋ではなかった。


 なぜか自分が横になっている屋根付きの大きなベッドが中央に配置された、だだっ広い部屋。まだ寝起きのボーッとする頭の中で記憶を張り巡らせるが、やはりこの部屋には見覚えがない。


 辺りを見渡すと、至る所に高級そうな装飾が施され、壁に掛かっている絵画が窓から差す朝日を浴びて、日光浴を楽しんでいる。


 状況を確かめる為、部屋を出ようとゆっくりと扉を開け、外を確認して忍び足で廊下へ出る。


 次の瞬間――背後から知らない声が響く。

「ユーゴ坊ちゃま!」


 いきなりのことで声をかけられたことにも驚いたのだが、更なる驚きは、知らない人から自分の下の名前を呼ばれた事だった。


 どこにでもいる普通の男子高校生である『佐野悠悟さのゆうご』は、思わずオドオドと振り返る。

もう一つ不思議に思ったのは、敬称が「坊ちゃま」だった事だ。ごく平凡なサラリーマン家庭に生まれた彼は、生まれてこの方、一度とすらそう呼ばれた事はない。むしろ小説の題名くらいでしか、ろくにその言葉を目にする事もなかった。


 声をかけてきた女性はメイド姿で、彼の母より少し若いくらいの年齢だろうか、もちろん知らない人だった。

そのメイドは目に涙を浮かべながら近づいてくる。

「本当に良かった……すぐ、王様に伝えて参りますので……」

そう言うと、長いスカートの裾を両手で持ち上げて、足早にどこかへ行ってしまった。


 何が何だか分からないが、不法侵入で警察沙汰になるような事態ではないと分かり安心していると、それからすれ違う人達は皆、先の女性のような表情で悠悟に一礼をするのだ。

 未だ事態が飲み込めない悠悟は使用人らしきその内の1人にトイレはどこかと尋ねた。その使用人は不思議そうに首を傾げながらもトイレまで案内してくれた。


 トイレに駆け込んだ悠悟は真っ先に鏡を見る。

「やっぱり俺だよな……」

鏡に映ったのは、この世に生まれ落ちてからの17年間見続けた、紛れもない自分の姿だった。


「これってもしかして……夢にまで見た異世界転生ってやつなのか? もしそうなら、いっそのこと顔も名前も変えてくれりゃ良かったのに……」

不親切な神様に不満を漏らしつつ、自分の頬をつねり夢かどうかを確かめてみる。

「いてぇ……」


 高校を休み、部屋に引きこもってアニメやゲーム三昧の日々を送っていた悠悟にとって、異世界についての知識はある程度備わっていた為、一体これから何が起こるのか期待が膨らんだ。


 その後、慌てた様子で入ってきたセバスチャンという執事に朝食の支度が出来たと食堂まで案内された。


 朝食をとりながら分かった事といえば、この世界で俺は王様の子供、つまり王子様だったのだ。王様の口ぶりからわかった事は、この世界の俺もショックな出来事があり、それ以来ずっと部屋に引きこもっていたが、今日久しぶりに部屋から出てきたという内容だった。

 詳しい出来事までは読みとれなかった為、俺はそのショックで記憶喪失になったという設定にすることにした。


「あんな事があったのだ。ショックで混乱するのも無理はない……」

王様はその設定をすぐに信用してくれた。やはり異世界の王様はちょろい。

「俺には何があったんですか?」

と、直球な質問をしてみた。

「今は無理に思い出す必要はないだろう……」

「そうよ。今はまだ様子を見ましょう? もう一度ショックを受けてしまうと大変だもの……」

自分を慈愛の眼差しで見つめる王妃様の姿に、現実世界の母親とのあまりのギャップに笑いそうになってしまった。


 朝食を済ませると医師の診断を受けたが、特に問題はないとの事だったので、王様にこの国を見て回りたいとお願いしてみた。

 すると王様は馬車の手配と、護衛の騎士を呼んでくれた。

「ラージュよ、ユーゴはあの時のショックで記憶を失っておるのだ……どうか支えてやってくれ」

「かしこまりました陛下」

ラージュという騎士様は銀の鎧を纏い、長い金髪に碧眼の美しい女性で、年齢は悠悟と近そうに見えた。



 馬車に乗り込み2人だけになると、先程までよそよそしかったラージュが慣れた様子で話しかけてきた。

「あなた、記憶がないって本当なの?」

「悪い、本当なんだ……。ラージュと俺はどういう関係だったんだ?」

 

「話し方まで変わっちゃったのね……まぁいいわ。私は幼い頃、戦争孤児になったのだけど王様の配慮で、お城のみんなにここまで育ててもらったの」

 

「ってことは俺とラージュは幼馴染だったのか?」

「そうね。歳も近いからよく一緒に遊んだわ。あなたは大人顔負けに頭は良かったけれど、運動は本当にダメだったから稽古の相手にはならなかったけれど」

(この世界では現実とは真逆の設定なのか……)

悠悟は現実世界では勉強は苦手だが、スポーツ万能という体育会系であった。


「今ならいい勝負出来るかもしんないぜ」

「冗談辞めなさいよ、私はもう騎士団の副団長になったのよ? 負ける訳がないわ」

「今度剣術教えてくれよ!」

「嫌よ、昔みたいに泣かれると困るもの」

(どうやらこの世界の俺は泣き虫らしい)



 街まで降りてゆくと大体の時代背景が見えてきた。文明レベルや街並みは中世ヨーロッパくらいだろうか。ただ一つ俺がいた現実世界と最も大きく違うところは、やはりこの世界には魔法が存在するということだろう。


「ラージュは魔法が使えるのか?」

「私は魔法よりは剣の方が得意ね」

「俺にも魔法使えるかな?」

「王族だもの、魔力には問題ないでしょうし訓練すれば使えるんじゃない? いきなりどうしたのよ?」

「炎を操る魔法が憧れだったんだ。あとは氷の魔法なんかもかっこいいよなぁ……」

「初耳ね、あんたホントにあのユーゴなの?」

怪しまれているような気がした悠悟は話題を変える。

「ちょ、ちょっと降りてみてもいいか?」

「いいけど、お忍びなんだからちゃんと顔は隠してよね」


 街を少し散歩していると兵士の姿が所々目に入る。

「やけに兵士が多いな」

「ソウネス帝国と戦争中だからね……以前までは国境付近のみでの争いだったけど、最近では各地で戦いが起こっているわ」

「どっちから仕掛けた戦争なんだ?」

「帝国に決まってるじゃない……。ハイウェ王国は他国に戦争を仕掛けたりはしないわ。これは土地と人を守る戦いなの」


 聞くところによると、ソウネス帝国は近隣諸国に戦争を仕掛け続け急速に領土を拡大してきた国で、国を奪われた民は奴隷のような酷い扱いを受けるのだと言う。

 その戦争の立役者が『無敗の騎士ガイル』という帝国最強の男で、こいつがでてくると今の拮抗した戦況は一気に傾く可能性があるほどだとか。


 しばらく見て回ったハイウェ王国は自然が美しく、人も温かくてとても良い国だと感じた。まさにあの王様の人柄が滲み出ていると言ってもいい。

「この国が奪われちまうのは嫌だな……」

「だから私たちが日々訓練しているのよ」

「それ俺も混ぜてくれよ」

「あなたは王子なのよ? 戦場にはいかないわ」

「でも戦力は少しでも多い方がいいだろ?」

「やっぱりあの時のこと……」

ラージュは小さな声で呟く。

「え? なんて言ったんだ?」

「なんでもないわ!」


 城に帰ってから王様に魔法や剣などの戦闘訓練を受けたいとお願いをしてみたところ、「自分の身を守る術を身に付けるのも大切だろう」と、早速手配してくれた。


「剣の修行はラージュに、魔法の修行はセバスに任せよう、では2人ともよろしく頼む」

ラージュの都合で剣の修行は明日からになり、今日は魔法の基礎知識についてセバスから学ぶことになった。

彼は年老いた今となっては王族の世話係を務めているが、若い頃は王国一の魔法使いで様々な功績を残している。


「まずは魔法とは手段であり、それが目的ではありません。これが魔法の基本的な考え方です。坊ちゃまはどんな魔法が使いたいですか?」

「炎系の魔法かな」

「それは何故ですか?」

「無人島とか何もないところでも火が使えたら便利じゃん」

「確かにそれは便利ですが、マッチで火をつけても同じことです」

「でもそれじゃいつもマッチを持ち歩かないとダメじゃん」

「火の起こし方を知らなければそうですね。でも魔法だってタダで火を起こせる訳ではないのです」

「魔法には何が必要なんだ?」

「知識と想像力です」

「知識は分かるけど想像力って曖昧じゃないか?」

 

「……例えば見たことのある動物と見たことのない動物を粘土で形作る際、どちらが上手く作れると思いますか?」

「そりゃあ見たことのある動物」

「つまり想像力とは頭の中で、いかに具現化する物や現象についてのイメージが出来ているかという事なのです。魔力量にもよりますが、基本的にはその知識量やより詳細なイメージがそのまま魔法の威力へと直結します」

「なるほど……」

「魔法というのはこの世界の発展に大きく貢献してきましたが、魔法を使えない人が差別の対象になったり、より高度な魔法を奪い合う争いの引き金にもなります。ですから魔法というのは手段の一つでしかないということを、くれぐれもお忘れなき様に」


 セバスの授業が終わり夕食を済ませて部屋に戻ると時刻は19時になろうとしていた。久しぶりに頭を使ったからかすこぶる眠い。ベッドに倒れ込むとそのまま眠りについてしまった。


***


 真っ暗な部屋の中で気がつくといつもの癖で枕元に手を伸ばし、リモコンをとり電気をつける。

――この瞬間気がつく。

「なんだよ、やっぱり夢じゃねーか……」




 

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