第10話 セバスワルドの弟子
馬車は、オラエノ伯爵邸に到着した。
映画やアニメでしか見たことのない、立派なお屋敷だった。
敷地の門を入ってから、エントランスまでが広い庭になっている。
婚約破棄したホジネオノ・サットガの屋敷と比べても見劣りしない。
ガーデンパーティだって、開けそうな前庭だ。
「すごい所に住んでいるんだな…」
俺のつぶやきが耳に入らないくらい不安なのか、マリアンは屋敷に返ってきたというのに、安心した様子はなかった。
「予定より早い帰宅になったけど、メイドのアルケナは出て来てくれるかしら」
婚約発表の予定が、婚約破棄になって急遽戻ってきたのだ。
不安になるのも無理はない。
「お嬢様、ご心配いりません。もう必死になってこっちに向かって走っていますよ」
セバスワルドが指さす方向を見ると、亜麻色の髪を綺麗にまとめたメイドがこちらに向かって走って来る。
どの使用人よりも早く、お嬢様の帰宅に気づいて、必死に走る姿が健気だ。
アニメでしか見たことが無いが、本物のメイドだ。
エプロンの下は裾の長いドレスで、ミニスカートではないのは残念だが。
「おかえりなさいませ、お嬢様。お迎えが遅くなりまして申し訳ございません」
よほど慌てて走ってきたのだろう、メイドは息を弾ませていた。
そして、セバスワルドは俺に馬車から先に降りるようにと促した。
「あ、俺? 俺が先に降りるんすか?」
「先に降りて、お嬢様が馬車から降りるのをエスコートしてください」
そんなことしたことないよ。
いきなり、そんな……、しかもメイドさんから見たら俺は怪しくないか?
「ボーイとして、最初のお仕事です」
「はい、わかった……です」
俺は先に馬車から降りた。
メイドは俺を不思議そうに見ている。
ま、普通こうなるだろ。
俺は、マリアンが馬車から降りやすくするために、手を差し伸べた。
俺の手にマリアンのやわらかい手がそっと添えられる。
握っていいのか? 握って。
いいんだよな、握らなきゃエスコートにならないもんな。
「ありがとう」
マリアンは、俺がエスコートに慣れていないのを気遣って、自ら俺の手を握りに来た。
そして、軽やかに馬車から降り立った。
セバスワルドはアルケナに命じた。
「新しい使用人です。ボーイとして雇うことになりました。お嬢様のお世話の一部は、このボーイにもしてもらいます。これから、彼に使用人についての説明と身なりを整えさせますので、アルケナはお嬢様の支度を整えてください。なにかと、忙しいかと思いますが協力してください」
セバスワルドの説明は早口だったが、メイドはマリアンと俺を交互に見ながら聞いていた。
そして、全てを察したかのように
「承知いたしました」
と、余計なことを一切聞かずに答えた。
なんて優秀なメイドだ。
よく教育されている。
アルケナの返事を聞くと、セバスワルドは俺の方を見て「ついてきなさい」と歩き出した。
メイドとお嬢様が向かう先とは、違う方向なんだけど。
もうちょっと、お嬢さんとメイドと一緒にいたかったな。
屋敷のエントランスとは別の、屋敷の勝手口のようなところから中に入った。
ここが使用人出入り口なのだろう。
屋敷の中を、セバスワルドの後について歩いた。
「おかえりなさいませ、セバスワルドさん」
何人かの使用人が、セバスワルドとすれ違うたびに軽く会釈して通り過ぎていく。
廊下を歩くと、洗濯物が集められたリネン室、食品庫などがあった。
「おや、新しい使用人ですか、セバスワルドさん」
「新人を連れて来ました。みなさん、仲良くしてやってください。ボーイの制服がまだ余っているはずですが」
「はい、そこのクローゼットにまとめてあります。お持ちしますよ」
「よろしくお願いします。では、……君はなんという名前でしたっけ?」
「大森学です」
「オーモリ……ブ、覚えにくい名前ですね」
「そうでもないですよ。マナブでもいいですし」
「モリブ?」
「違います。マナブです」
「せっかくですが、ボーイは名前で呼ばれることはありませんから」
「じゃ、聞かないでください」
「でも、お嬢様のお部屋に、名前も知らない者を連れて行くわけにはいきませんから」
「わかった。もう何でもいいですよ。マブでもモブでも」
「ほう! それは、覚えやすいですね。モブにいたしましょう」
「え? ちょい待った。今のは、冗談。モブはよくない。それって意味がわかって言ってます?」
「モブさん、さっさとこれに着替えてください」
俺に使用人用の服を手渡したセバスワルドは、着替える間、席をはずそうとした。
「ちょっと待って、セバスワルドさん。見たところこの服……、俺ひとりで着る自信がない。着方を教えてください」
「あ、失礼しました。異国の方には見慣れない服かもしれませんね。ではまず、今着ている服は洗濯しましょう。ですから、脱いでください」
俺は、言われた通りバイトで着ていたファミレスの制服を脱いだ。
「まず、最初にこれを履いてください」
おれは白い靴下のような物を手渡された。
「www、これって、白いタイツじゃん。嫌だぁ。白いタイツなんて嫌だぁー!!」
「お静かに願います。もう先ほどまで着ていた服は、ランドリーメイドが持っていきました。嫌でも、着る服はこれしかありません」
うううう、白いタイツなんて、幼稚園のお遊戯会か、七五三でしか履かなかったぞ。
「こんな格好は絶対に嫌だよぉ……」
俺があまりにわめくので、かわいそうだと思ってくれたのか、セバスワルドは相談に乗ってくれた。
「しょうがありませんね。モブさんは何歳ですか?」
「俺、15歳だけど、元の世界にいたらあと一か月で16になるところだった」
「おや、もっと幼いかと思っていました。ふむ、顔立ち、身長……なるほど……」
「年齢や顔立ちに、なにか問題でもあるんですか?」
俺はタイツが嫌で嫌でしょうがなくて、泣きそうになりながら突っ立っていた。
すると、セバスワルドは部屋のクローゼットから、別の服を出してきた。
「本当は、これはボーイよりも階級が上のフットマンの制服です。わたくしのお古ですが、これで我慢してください」
「これは、セバスワルドのお古? きちんとしたタキシードじゃないか。いいんですか? こんなにいい服を借りちゃって」
「男性使用人の世界では、少年たちはボーイからフットマンに。それから執事になるのです。もうすぐ16歳だというのなら、フットマンで雇用しましょう。少年たちは、先輩のおさがりをもらうのが普通ですから、気になさらずに」
へぇ、部活の先輩からユニフォームもらうような感覚かな。
タキシードなんて着たことが無い。
着たことが無いものだから苦労している俺に、セバスワルドは手を貸してくれた。
「毎回、手伝うわけにはいきませんからね。はやく慣れてください」
着てみたら、少し大きかったが、それでもなんとか形になった。
「驚きました。よくお似合いですよ。この姿なら、お嬢様の部屋に出入りしても誰も怪しまないでしょう。最初からフットマンにしておけばよかったですね」
鏡の前で、セバスワルドと俺は、師匠と弟子のように並んで立っていた。
まるでミニ執事みたいだな、俺は。
一歩間違えると、二人そろってお笑いコンビにも見える。
とりあえず、白タイツを拒否して正解だった。
「では、お屋敷の中を案内しながら、お嬢様の部屋まで参りましょう。あっと、スマホは忘れずに持って移動してください」
「合点承知の助!」
「?」
「承知いたしました」
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