凡庸の二酸化炭素

けいゆう

思い出


「肺が2つあるのはね、理想と現実それぞれで呼吸をするためだと思う」


赤の混じった空の下、こだまする蝉の鳴き声とアスファルトを揺らす日差しの中で、夜霧の髪を垂らしながら彼女はこちらを覗き見る。

風鈴のような明るく澄んだ声音で、からかうように彼女はよく不思議な話をして私が答えに考えて悩むさまを楽しみつつ、少し期待の入り混じった表情をしていることがあった。

私はこの他に誰もいない2人っきりで、なんとなく話をする時間が好きだった。

将来の夢など特になく何か夢中になるものもない、ただただ大人に言われたことをする。

朝起きて、登校して、授業を受けて、友達とお喋りして、家に帰る。

目立ちすぎず、かといって周りに失望されないようにやる気のある振りだけをする。

不満があるわけじゃないけれども、やるせなさだけが募っていく日々。

そんな、枯れそうな時間の中で彼女とこうしてお互いの心を落ち着かせながら笑いあって話しているときが、自分の中で楽しみとなっていた。

この心地のいい時間を続けたい思いと言葉の意味を知りたくなって、どういうことなの?と尋ねる。

すると、試すような表情から若干の得意そうな顔をして続きを話しだす。


「私はね、今のなんの変哲もない平凡な日常という現実を生きているけど、それだけじゃ心が枯れちゃって息苦しくなっちゃう。

だから、良い感じの夢を見て未来への活力を吸い込む必要があると思うんだ。」


微笑んではいるけれど、淡々としていてどこか寂しさを感じるような口ぶりで、空に投げるように言う姿に私は驚いた。

いつもゆったりとしていて、自分の意思をしっかりと持った振る舞いと新月の海のような惹き込まれる瞳に、神秘性と憧れを感じていた。

そんな彼女が、ただ流されて生きている私と同じ凡庸さの二酸化炭素に苛まれていることが、より心を明けわたそうとする思いとチクリと刺さるような嫉妬心を覚えた。


「ずっとこの先、大人になったとしてもなんとなくの不安を抱えたままなのかな……」


自分の感情を誤魔化すため、急いで感じた不安を吐露する。

そうかもね…と颯爽と答える彼女が記憶に残っていた。



あれから数年、憧れていた彼女とは進学先が違ったことで自然と疎遠となっていった。

私は、すっかり大人の社会に足を踏み入れさせられ、ようやく仕事と1人暮らしに慣れてきたころだった。

久しぶりの連休の最終日、頭に描いていた理想の休日を横目にだらだらと過ごしていたところ、頭痛がそろそろ外の空気を吸えと訴えてきていた。

とりあえず、散歩に出かけて蝉のこだまする鳴き声と蒸発するかと思うほどの日差しに、頭をぼんやりとさせながら昔のことを思い出していた。

あのころと同じように、平々凡々とした日常に自分なりの楽しみかたを見つけて、面白味はないかも知れないけれど満足はしていた。

ふと思い出した記憶から、彼女も平凡な日々を過ごしているのだろうか、それとも夢中になれるものを見つけたのかは分からないけれど、また話をしたいなと思った。

夏の持つ哀愁がそうさせるのか、胸の奥から大波のように押し寄せる孤独感の寂しさと懐かしさが、もう通じないであろう電話番号に指を止めさせる。

少しの期待と緊張に心臓が活発になるのを感じつつ、木漏れ日でたたずむ私の耳には風鈴の音だけが通り過ぎていった。

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凡庸の二酸化炭素 けいゆう @k-you3420

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