魔王軍僧侶

@rapurasu1234

第1話

 冷えた岩石、その隙間を僅かに流れる汚れきった水、今俺の体温を奪っていっている障壁のうちの一部だ。鉄格子の向こう側は薄暗い通路が延々と続いている。

 一体、俺はどこにいるんだ?

 つい先ほど目を覚ましたとき、一番に俺を襲ったのは激しい頭痛だった。頭を必死に抱えて悶えることすら俺は許されなかった。手足につけられた鉛の鎖によって動きが制限されていたのだ。

 身体の状態も最悪で、左手の末端は腐りかけて、辺りに吐物がぶちまけられていた。身に着けている服装も破れ、汚れ原型をとどめていない。

 これらの状況から、ここは地下牢であろうと推測する。しかし、それで状況が改善されるという訳でもないが。

 頭痛がようやく治まった頃に、記憶が復元されてきた。場所は学校の屋上、たったひとり佇んでいる俺の足はがくがくと震えている。次の瞬間には、もう頭蓋骨が校庭に衝突していた。自殺だった。原因はクラスのいじめだろうか。

 ああ、楽な道を選んで死んで、結局地獄に辿りつくんだもんなぁ。

「笑うしかないな」

 乾いた笑い声を上げる。のども渇いていて、ほとんど嗚咽のようなものだった。しかし、何も変わらない。

 死にたくない。

 一度自ら命を絶った身分としては自分勝手なことこの上ないが、どうしようもなくそう思ってしまった。

手始めに、壁をかすかにつたう汚水を舐める。腕を引きちぎれんばかりに振り回して手錠が劣化していないか確かめる。壁をひっかいて掘ろうと試みる。

じゃあ次は、じゃあ次は、じゃあ、次は?

万策尽きてしまった頃には、ふつふつと怒りが沸き起こってくる。顔も知らない、今太陽の下で悠々自適に過ごしているであろう俺を牢屋に放り込んだ野郎に。

「ねえ、生きている」

 突如目の前に顕現した、その小さな女の子は心配そうに話しかけてくる。大きさは手の平に乗るくらいで、白い無地のワンピースのようなものを身にまとっている。

「ああ」

 その二文字に彼女は目にいっぱいの涙をためてくれた。なんでそこまで思ってくれるのかは分からない。しかし、それでも、俺の心は救われる。

「君は誰」

 その言葉で彼女のさっきまでの笑顔は消え失せた。今度は違う涙を見せようとしてくる。なにか悪いことでもしたのだろうか。

「いや、その、ただ死んですぐにここに飛ばされたからよく分からなくて」

 咄嗟に弁明をしたが、かえって墓穴を掘っただけだった。彼女の説明では、ここは私語の世界でも地獄でもないようだ。日本とは違う異世界の魔王城の地下。俺は本来死んだはずのこの身体の持ち主であった僧侶のスペルクという男に転生したそうだ。説明をしてくれた彼女の名はミカエラで天使なのだそうだ。

「それで、どうやったらここから出られるんだ」

「さあ、不可能なんじゃない」

 俺がスペルクではないと分かった途端に態度が変わった。

 僧侶は聖職魔法を使うときに女神の加護を受けることで魔法を安定させる。天使は女神と僧侶の間に立ってサポートをするのが仕事なのだそうだ。ミカエラはスペルクが牢屋に入れられたとしてもずっと側に居続けた。

 スペルクの体を勝手に乗っ取った俺のことを目の敵にしてもそれは当然の反応で何も言えない。

 ミカエラはそっぽを向いて口を利かないままある程度時間が経ったときのことだった。奥の通路から足音が聞こえてきて、だんだんそれは大きくなる。

「誰かいませんか。助けてください」

 俺は出せるだけの大声で助けを求めた。この足音の主が仮に殺人鬼でも、死神でもいい、藁にもすがる思いで声を張り上げた。ミカエラは必死になっている俺のことを冷めた目で見ている。

 間もなく、赤と黒を基調とした綺麗な衣類で身を包んだ体の大きな男が現れた。無言でただ俺のことを見下ろしているだけなのに、背筋が凍りつく。ミカエラは強く睨みつけている。きっと目の前にいるのは魔王なのだろう。

「お前らに選択肢をやる。俺の部下になるか、ここで野垂れ死ぬかだ」

「あいつの言葉に耳を傾けないで」

 ミカエラは俺を必死に引き留める。口車に乗せられるな、と俺を制しようとする。申し訳ないが、答えはもう決まっている。俺は生き延びたいんだ。

「分かりました。私はたった今から貴方様に尽くします」

 ゴツゴツとした地面に膝を立てて、礼をする俺を見て、魔王は軽く笑った。ミカエラの顔は青ざめている。そして、俺の身体に禍々しいオーラのようなものが入り込んだ。

「これでお前は闇魔法を使える。そして、俺に背いた瞬間に身体が爆散するようにもなった。しっかりと働いてもらうぞ」

 ひどく低い恐ろしい声だった。魔王は続ける。

「人間界、いや世界の残り半分を征服しろ」

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