カモメ

緋雪

第1話

 奈緒なおが死んだ。


 そう聞かされた時、私は、「ああ、ついにか」と思った。

 田辺たなべ奈緒なおには、持病があった。心臓の病気で、何度か手術はしたものの、治らない病気なのだと言っていた。


 彼女と知り合ったのは、私も所属しているボランティアグループで。主に障害者ボランティア活動をやっているところだった。

「いつどこで死んでもおかしくないんです。だから、できることを何でもやっておきたくて。何か人の役に立ちたくて」

 そう言って笑う彼女は、天使のようで。容姿の美しさも相まって、本当に純粋で綺麗な女の子だった。


 まだ21歳。もっともっとキラキラした時代を送れていただろうに。本当に気の毒なことだと、彼女を思い、手を合わせた。


 


美和みわちゃん、聞いた?」

 市内の障害者運動会の日、私はボランティアとして参加していた。同じグループの斎藤さいとう麻美あさみが声をかけてくる。

「何を?」

「奈緒ちゃんのこと」

 麻美は、周りに注意をはらいながら、耳打ちをするように言ってきた。

「自殺だったんだって」

「えっ?」

「病室で、多量の睡眠薬や他の薬と強いお酒を飲んだらしいよ」

「嘘でしょ? 奈緒がそんな事するはずない!」

 とにかく頑張って頑張って生きていた子だ。自殺なんてあり得ない。

「担当看護師さんと、私の姉が親友なの。その人から聞いたんだから、間違いないよ……これ、絶対内緒ね」

 そんなわけない。何かの間違いだ。

 

 イベントをなんとかこなしたが、私の頭の中は、奈緒のことでいっぱいだった。

「なんで……?」

 何か生きていくのが辛すぎるほどのことがあったんだろうか。あんなに明るくて一生懸命生きていたのに……。



 数日後、仕事の休みの日に、奈緒の家を訪ねた。

 母親がやつれた顔で出て来た。

高柳たかやなぎと申します。奈緒さんとは、ボランティアを一緒にやっていました。……お線香をあげさせて頂きたいのですが……」

「ありがとうございます。どうぞ」

 彼女は私を招き入れた。


 奈緒の母親の実家だという古い家は、こざっぱりと片付けられ、飾りも置物も殆どなく、どこか寂しい印象だった。

 母親に案内された部屋の祭壇の前には、元気そうに笑っている奈緒の写真。私は、静かにお線香をあげ、深く手を合わせた。

「奈緒……何があったの?」

 心の中で彼女に問いかけながら。


「わざわざありがとうございます。大したものはないのですが、お茶でも……」

 そう言って、母親が出してきたのは、奈緒が好きだった店の練り切りと緑茶。

「ありがとうございます」

 遠慮なく頂くことにした。


「奈緒さん、これ、大好きでしたよね」

 私が言うと、母親は申し訳なさそうな顔をした。

「奈緒のお友達から、お供えにと頂いたんです。奈緒が好きだったからと……」

「ああ、それで……」

「それを聞いて、私は、時々そのお店で、そのお菓子を買って供えるようになりました」

「そうですか」

 母親が、グッと感情を抑えながら言う。

「私は、あの子のこと、全然……好きなものすら知らないんです……」

「障害のある弟さんがいると聞いていました。弟さんのお世話が大変なので、自分のことは仕方がないのだとも……奈緒さん本人が仰ってましたから」

「あの子だって、心臓が悪かったんです。それなのに……」

 母親の目からたまりかねたように涙がこぼれる。


「奈緒さんは、お母さんのことが大好きだと言っていました。ですから、お母さんのせいではないと思いますよ」

 私がそう言うと、

「ありがとうございます。奈緒と仲良くして下さって、本当にありがとうございました」

 彼女は涙を流したまま、微笑みながら言った。



 玄関で、挨拶をし、帰ろうとした時だった。


 タタタタタ、と足音がしたかと思うと、背の高い男の子が現れた。

「奈緒の弟のつかさです。ほら、司、お姉さんにご挨拶して」

 司は、ニコニコしながら私の方を見ている。奈緒とは4歳違いだと聞いていたから、17歳か……発達遅滞で5歳くらいの子供のようだと聞いていた。

「こんにちは〜」

「こんにちは」

「あのね、あのね」

「なあに?」

「奈緒ちゃんはパパと仲良しなんだよ~」

 母親は、その言葉に、ハッとしたように、司に強く言う。

「司、お部屋に帰りなさい。あとでおやつにしようね」

「はあい」

 司は「バイバイ」と言って去っていった。



 彼が何か叱られるようなことがあったのだろうか……。

 奇妙な感覚を残しながら、田辺家を後にした。

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