ヒロインの姉に転生したらピンポイントで推しに嫌われていた話。

真嶋

プロローグ

アイリス・アルベルト。18歳。


ここら一帯の地域を支配する権力を持つアルベルト家の長女。


鴉を思わせる艶やかで豊かな黒髪に、血が透けたような真っ赤な唇。瞳は深い青色で、似ていないと言われる妹との数少ない共通点だ。


生まれ持った家系と美貌の中で育った彼女は、その字面から想像する人もいるだろうが、実に難儀な性格をしている。花による虫の如き男達は容赦なく使い倒し、靡かぬ男をも支配下に置こうとする。取り巻きの女達は自身を飾るための道具で、やはり靡かぬ女をも支配下に置こうとする。そのストレスの捌け口として、ひとつ歳下の実妹であるユイシアを選ぶことも多々ある。


表立って彼女に逆らおうとする者は殆どいない。やりたい放題できるだけの財も権力も待ち合わせて、挙げ句の果てには美しさまでも兼ね備えている彼女には。




絵に描いたような、最早テンプレにもならないような、子供の想像するような。そんな悪役令嬢に転生してしまったのが、私だった。




「え〜〜……そんなことある〜?」




私の元いた世界で、私の身に何が起きてこうなってしまったのかは、定かではない。こうして目覚める前はいつも通りに就寝したような気もするし、仕事中だった気もするし、それこそゲームでもしていた気もする。よく分からないけれど、ふと目を開いた先には豪奢な天蓋があって、驚くほどに滑らかな手触りの良いシーツに包まれていた。訳のわからぬままに夜明けの白い光をレースのカーテン越しに浴びながらこれまた豪奢な姿見に自身を写せば、凡庸・普通な地味と表さざるを得ない私の姿ではなく、冒頭のアイリス・アルベルトの美しい容姿が驚愕を浮かべながらこちらを見つめていたというわけだ。古典的ながら頬をつねったりもしてみたが夢から覚めることはない。


アイリス・アルベルトのことは、そこそこよく知っている。というのも、私がプレイしてきた乙女ゲームのうちの一作の登場人物だからだ。それも、そこそこ周回した、そこそこお気に入りの作品。


無論ヒロインこと主人公枠ではなく、どころか主人公の邪魔をしてくる、よく言えばライバルポジション、悪く言えば悪役ポジションに据えられている。主人公や攻略対象キャラクターほど細かな設定は明らかにされていないので、そこそこよく知っている、どまりなのだけど。


まあ本当に性格はよろしくないけれど、嫌いなキャラではなかった。作品内では他の登場人物からも性格の悪いザ・悪役キャラに相応しい評価を受けているし、ED次第ではあるけれど相応の報いも受けているから。これで謎に良い子ちゃん扱いをされていたり謎の美化をされていたりしたら、とてつもなく嫌いになっていただろうけど、その辺は流石乙女ゲームという感じ。ヘイトを買いそうな攻略対象外のキャラを無意味にageることはしていなかった。


その代わりというべきか、作中で性格悪いキャラが相応に嫌われているという設定やストーリーに伴って、現実世界のネット上では叩かれ放題の言われ放題、軽くネットのオモチャにもなっていたりした。閑話休題。




——相応の報いを、受けることになるかもしれないのだ。




これはまずい。これがまずい。

今がゲームにおけるプレイ開始から何ターンが経過した状態で(件の乙女ゲームは育成要素などもあるターン制のシミュレーションである)どのルートに進もうとしているのかは分からないが、下手したら死ぬのだ。アイリスが、つまり私が。アイリスはそれくらい周囲から恨みを買っている。他人を貶めるなんて朝飯前というか、ヒロインである実妹のユイシアについては存在を抹消しようとしたりもしていたので、人を呪わばというか、本当に自業自得ではあるんだけど。


でもそれは、私じゃなくてアイリスの所業だ。自分の預かり知らぬところで他人が積み重ねた悪行による罪を被るのはごめんである。しかもその悪行の報いが死であるならば、なおさら受け入れられるわけがない。


「アイリス様」

「ヒエッ」


どうにかしなければ、と酷い冷や汗をかきながら決心したところで起こしにきた使用人にドア越しに声をかけられ、あわあわしながらも重厚なそれを開けば、記憶の中の立ち絵(件の乙女ゲームはサブキャラにもある程度立ち絵が用意されていた)とさほど変わらぬ姿が動いている様に、いよいよこれがかの乙女ゲームの世界だということを確信した。ちなみに自らドアを開けるアイリスに、使用人は驚愕していた。




とまあ決心したところだったのだけど、幸いなことにゲームの開始時点から殆ど時は経っていないようだった。アイリスの性格のヤバさは今に始まった事ではないので、取り巻きの人々以外からの好感度はマイナススタートにはなるんだけど。取り巻きだって皆が皆、好意的なわけでもないし。


しかし、ゲーム進行中はユイシアが攻略対象との親密度を深めるごとにアイリスからのユイシアや攻略対象キャラへの当たりが酷くなって、その積み重ねで「下手したら死」に行き着くわけだから、開始時点というのはまだマシなのだ。




すべきことというのは、非常にシンプルだった。


私の常識・良識・道徳心をもって、生活する。


画策していた悪事には手をつけず放棄。逐一嫌味を言わない。わざわざ高飛車に振る舞わない。自分から挨拶をする。他人の失敗を詰らない。誰かの跳ね上げた泥がスカートに付着しても烈火の如くキレない。物を落とした人がいたら拾うのを手伝う。大変そうな掃除を手伝う。エトセトラ。


それだけだ。私だってめちゃくちゃ善人というわけでもなくただの一般人なので、特別良いことをし続けられはしない。なので、今後も続けられる範囲で一般的な道徳心で生活をすることを心がけた。




ギャップというのは、酷く効果的だ。


多少気を使う程度の一般人じみた振る舞いをするだけで、アイリスに負の感情を抱いていた人々からの評価は、一転と言っても過言ではないほどに変わった。それは、件のゲームの攻略対象とされる人々からも。




例えば、ケイ・フォード。


アイリスと同学年で銀髪碧眼の如何にも王子様然とした見た目を持つ彼は、ユイシアの婚約者だ。アルベルト家に次ぐ権力を持つ家の生まれで婚約自体は両家の親が勝手に取り決めたものだが、彼自身は元々ユイシアに憎からぬ感情を持っている——というか、結構惚れている。硬質な声に硬い表情をした厳格を絵に描いたような男で最初の方はつっけんどんというかクールが過ぎる態度なのだけど、エンディングを迎える頃には彼の不器用な愛情表現ひとつひとつが可愛らしく見えてくるような、そんなキャラ。


元々ユイシアに惚れているだけあり、アイリスに対しての好感度はマイナスもマイナス。氷点下だ。彼のルートでは肉体的な死は免れても、社会的に死ぬエンディングも存在する。それほど嫌われているし恨まれている。アイリスは自分に靡かぬ彼をも貶めようと画策することもあったし、何より大事な婚約者に害をなす存在だ、婚約者の身内と言えど許せないのだろう。まあアイリスはそれだけのことをしていたわけだけし、致し方ない。




例えば、ニック・アスタリア。


アイリスの一学年下、ユイシアと同学年で、少し長めのオレンジの髪と薄い茶色の芽を持つ、どことなく軽薄な雰囲気だが人当たりの良い男だ。ユイシアにはケイという存在感の大きい婚約者がいることは、彼らの通う学園の誰しもが知っていることだけど、ニックは気にした様子もなく気軽にユイシアを構っては口説いている。とにかくユイシアを可愛がりたくて仕方がない、といった様子。


アイリスに対しては、ケイほどあからさまな嫌悪感は見せない。でもその曖昧な態度がアイリスに隙を見せることに繋がって、頻繁にアイリスの取り巻きの一員に引っ張り込まれそうになっては適当に誤魔化している。彼のルートでアイリスがどうこうなる描写はなかったが、彼から苦手な相手だと思われていることは確かだ。




主要な攻略対象キャラだとこの二人だろう。ユイシスの一学年下の美少年ことクリス・スパインは良い子が過ぎて元々アイリスのことを他の人ほど嫌っていなかったし、ユイシスと同学年であるイザナ・トワは人間不信で、そもそもアイリスとほとんど顔を合わせたことがない。他にも攻略対象キャラはいるけれど、とりあえず学園内でも屈指の有名人であるこの二人が変わったというのが、とかく大きかった。




特に、ケイ。氷の貴公子とも呼ばれるほどに冷たく他者を寄り付かない彼が、自らアイリスに声をかけた辺りが、ターニングポイントだった。


「…………ご機嫌よう、アイリス」


「お、おはようございます、ケイ……」


ひときわ嫌われていてこのままでは死にかねない、と毎度自分から挨拶をしていた私だったが、ケイからの挨拶に思わず驚きを隠さずに吃ってしまった。


周囲の驚きはそれ以上で、この話は瞬く間に学園中に広がった。それが一日限りではなく毎日続くものだから、尚更大騒ぎだ。毛嫌いしていたアイリスに自ら挨拶を。それも毎日。婚約者であるユイシス以外の女性と話すことすらほとんどなかったというのに。




そんな噂で騒がしい中のことだ。

この学園ではお茶会だのダンスパーティーだのというのが頻繁に開催される。学園主催のものから個人主催のものまで、その規模は様々だ。そして大体が二人一組、つまり誰かが誰かをエスコートする形で参加するのが形式化している。アイリスはニックを取り巻きに引き込む為に何度もパートナーとして誘いをかけては理由をつけて断られていたのだけど、


「今度のお茶会、よかったら一緒にどう?」


「……え、あ、はい! よろこんで〜……」


なんとニックの方から誘われたのだ。これも瞬く間に学園中に広まった。アイリスがニックに断られ続けていたことも、ニックがユイシアに好意を持っていることも、学園中が知ることだったからだ。




この辺りで、やり過ぎたことを悟った。


私はこの乙女ゲームを繰り返し周回した。そこそこ気に入ってるし、そこそこ知識もある。そこそこ、というのはこのゲームは好感度管理がやたらと難しく、攻略サイトや掲示板を頼りたくない私とあまり相性が良くなかったからだ。


このゲーム、好感度の上昇幅も下降幅も極端なのである。正解を選べばぐんっと上がるし、誤ればガクッと下がる。


主人公のユイシアはとにかく良い子で優しい子なのであからさまに変な選択肢は出なかったけれど、性格の良い選択肢の中にも当たり外れがあるから尚更難しい。最新ハードじゃないからすぐさま直前に戻って選択肢をやり直すような便利なクイックセーブアンドクイックロードは使えないし、ランダムで発生する小さなイベントも多々あったからメモを取るのが大変だった。


今回私が取っていた行動は、そんな難しい選択肢が出るようなものではない。

常識的な挨拶をする。好感度が上がる。落としたものを拾う。好感度が上がる。助けられたら礼を言う。好感度が上がる。


——ゲーム画面越しに見たらこんな調子だったのだろう。


ユイシアに向けられていたはずの二人の矢印は、気が付けば完全にこちらに向けられていた。


誓って言うが、そんなつもりではなかった。死にたくない一心だった。ゲーム内に存在するアイリスが死なないルートにどうにか入りたいと思っていた。


こんなルートは本来存在しない。だってアイリスは徹頭徹尾性格が悪くヘイトを集めるキャラで、ヒロインに向けられるはずの好意が彼女に向くルートなんてあったら未だにSNSなんかで叩かれまくっていただろう。


だから、考えもしなかったのだ。

アイリスが好かれることになるなんて。




ユイシアには申し訳ないことをしてしまった。


彼女は本当に良い子だ。ゲームをしていた頃にも思っていたけれど、こうして直接接する内により実感した。

私があの日目覚めた直後は、彼女からすればきっとアイリスから酷いことを言われたりされたりし続けている日常の延長線であっただろうに、ユイシアはふわりと可憐に微笑んで「おはようございます、お姉様」とイメージにそぐわない(件の乙女ゲームは主人公のボイスは収録されていなかった)鈴を鳴らしたような可愛らしい声で挨拶をくれた。突然態度が変わった私に一瞬驚いてはいたものの、訝しむこともなくずっと嬉しそうに接してくれている。ユイシアは普段学生寮で生活をしているけれど、家の事情で屋敷に戻ってくることも多々ある。そんな日は姉妹での話に花も咲いて、死にたくなさ過ぎて必死な私にとって、ユイシアの話す穏やかな学園生活を聞くのは結構な癒しだった。その中にはもちろん、攻略対象キャラたちの話もあったのだけれど、いつしかユイシアの話題は彼女の親友であるセレス・シュタイナーのことばかりになっていた。


そんな折に、聞いてしまったのだ。ケイやニックらがアイリスへ好意を向けるようになってしまってから、ユイシアの話からも彼らの姿が消えていった。だから、つい。心配をした。してしまった。


「最近、ケイとはどうなの?」


いやらしい聞き方になってしまったかもしれない。


ユイシアは少し間を置いたのち、


「婚約、解消になるかもしれないわ。えへへ……」


可哀想なくらいに痛々しく笑ってみせた。


……こんなつもりでは、なかった。それでも今だって、いつルートが変わってしまうかも分からない。あくまでこの世界のヒロインはユイシアなのだから、私が下手を打てば一気に死を免れないルートへ進んでしまうかもしれない。好感度の上昇があっという間であれば、下降もあっという間なはずなので。


「そう、なの」


私が態度を変えれば、恐らく彼らはユイシアへ再び気持ちを向けるのだろう。そういう世界なのだから。でも私が嫌われる選択肢など取れるわけもない。死にたくない。


何のフォローもできずに、ただ妹の頭を撫でるくらいしかできなかった。




罪悪感に苛まれながらもとりあえず死にそうにはない日々を過ごす中で、学園で彼の人物が正面から歩いてくるのが視界に映った。


セレス・シュタイナー。


所謂乙女ゲームにおける「親友ポジ」とされる彼女。

育ちのいい高貴な身分の人ばっかりの学園で、彼女は紛れもない庶民だ。本来ならば別の学校に進学するか家の畑仕事に精を出すか別の働き口を探すか、といった進路を考えていたところ、偶然ユイシアに出会ったことで運命が変わった少女。といっても、道端で転びかけたところをセレスに助けられたユイシアと交流を深める内に、この学園が特待制度を設けている話になり、爆裂に運動神経が良いセレスはさらっとその枠に入ってみせたので、セレス自らが選択した道ではあるのだけど。


アイリスよりは少し低いけれど、運動が得意であることを示すかのようにすらりと伸びた背に、鎖骨あたりで切り揃えられた茶色の髪。どこかクールな印象を受けるその外見は身分がどうのなんて話を忘れさせるくらいにピシっとしていて格好良い。ふんわりと可憐なユイシアと並ぶと正に「絵になる」といった感じだ。


最新ハードでもない、便利な機能も付いていない、好感度管理が大変なこの乙女ゲームを私が繰り返し遊んだ理由が、セレスだった。


――まあ、いわば推しなのだ。


私はセレスが一番好きだった。


なのに何故ここに至るまで顔を合わせなかったかというと、セレスがアイリスを非常に嫌っているから。特別後ろ盾も強力な権力も持たない彼女なので、他のキャラのようにとんでもない展開になったりはしないが、どのルートに入ろうと最初から最後まで徹頭徹尾嫌われているのは確かだ。アイリスもユイシアの味方であり続けアイリスには冷めた視線しか寄こさないセレスのことを嫌っていたので、まあ当然と言えば当然なのだけど。


セレスからは避けられていたし、私も最推しにまで最初からゴミを見るような目を向けられるのは嫌でちょっと避けていたから、ここまで会わなかったというわけだ。


でも、今は、なんて。ちょっとした期待が顔を出してしまった。ユイシアに申し訳ないという気持ちを抱きつつも、ゲーム内ではありえないルートに進みつつある今の世界であるならば、あるいは。などと。


そんな考えで、たまたま一人歩く彼女を見かけた私は、つい話しかけてしまったのだ。




「……私は、ユイシアから全てを奪った貴女が、心の底から、憎いんです」

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