幕間:ナディア・クレモス

 わたくしはナディア・クレモス。クレモス領を治めるクレモスの長女ですわ。


 …ですが、長女とは言っても大した力を持っているわけではありません。わたくしは側室の子で、落ちこぼれなのですから。


 わたくしには2歳年上の兄がいます。そちらは本妻のわたくしが知らないお母さまとの間に生まれた男性です。

 クレモス領では本妻と側室の子同士を交流させることはなく、兄の顔を知りません。


 現領主である父は子宝に恵まれず、ようやく生まれた子がまだ見ぬ兄とわたくしです。


 本当に小さいころですが、父はわたくしに、今後領主となる兄をを支えていってくれとお願いされていました。

 幼いころに何度も聞かされていて、わたくしもまだ見ぬ兄を支えるのだ、と未来に憧れを抱いていました。わたくしの頭をなでる手がとてもやさしい父でしたわ。


 しかし、それは6歳の加護の儀式うけてしばらくまでのこと。




 加護の儀式を受けると、わたくしのような貴族は魔法の教育を受けます。そこで身体強化から学び、それぞれ得意な分野を学んでいくのです。

 …ですが、わたくしはどれだけ頑張っても身体強化の魔法すら使うことができなかったのですわ。


 わたくしが女神様より賜った加護は『知恵の加護』。


 父は当初、兄を支え、サポートできる加護だと大変喜んでいましたわ。けれど、この加護は成果が非常に分かりにくいものでした。



 わたくしを指導する先生からすれば、多少物覚えがいいな、という程度だったでしょう。わたくし自身、周りには他の兄弟姉妹もおらず、唯一との兄とも会うこともございませんでした。

 この加護については他の方達とどう違うのかを確認することさえできなかったもの。


 そのうえ、魔法が全く使えなかったことで、父は大きく失望しましたわ。それから、少しずつ父は変わっていったのです。

 魔法の進捗を聞くたびにその表情は暗くなり、ついにはお母さまを殴り、わたくしを怒鳴ってくるです。役立たず、この能無し!…と。


 それ以降は父はお母さまと、そしてわたくし会いに来なくなり、半年に1度、生活費と養育費が送られてくるだけになりました。

 それでも、わたくしを上級貴族として11歳まで不自由なく過ごせ、きちんとした教育を受けるだけの費用をもらえていたことは、感謝しなければいけません。


 …いえ、お母さまは王国内のどこかの大領地の末娘だそうですので、ひょっとしたら、そこからの援助を受けるための最低限の支援だったのかもしれないですけれど。


 勉強したわたくしはこのくらいは分かるようになりましたわ。




 そして、3年ほど前に1度、父はお母さまのもとを訪れました。その時に2人が話していたのを聞いたのですわ。


「成人したらすぐ、ナディアは政略結婚に出す。しっかりと礼儀作法の教育をしておけ。魔法が使えない女なんぞ置いておいても無駄だ」


 正直ショックでした。父は私に期待していないことは理解していたのですが…。それでも、幼いころに聞かされた、領主となる兄の補佐としてクレモスを支えていく、という思いで日々訓練に励んでいました。


 その日、お母さまは泣いていました。わたくしも涙が止まりませんでした。



 お母さまの涙を見て、わたくしは絶対に魔法を使えるようになると思ったのですわ。魔法を使えるようになって、『使えない』と言っていた父を見返そうと思って。

 …ですが、どのような先生に見てもらっても魔法は使えるようになりませんでした。


「お母さま、わたくしは魔法は使えるようになりますか…?」


 わたくしはお母さまに正直な気持ちを伝えました。


「…ごめんね、ナディア。私は魔法について詳しくないの…。でもきっと使えるようになるわ。学園に行くようになれば、先生が何とかしてくれるわ。学園の先生は頼もしいのよ」


 優しくなでる手からには、お母さまの苦悩などが感じられたのです。


「もし先生がだめでも…きっと、学園でのお友達との出会いで運命が変わるかもしれないわ」


 私も学園でできた友達には助けられたから、とお母さまは言っていましたの。学園に行けば少しは変わるのかしら?


 お母さまのお言葉から、わたくしは漠然と、学園に通うのを楽しみにしていました。




 そして、ようやくわたくしは11歳になり、王都の学園に通うことになりました。


 お母さまからは、学園で友達を沢山つくり、これからの人生に活かせる人脈を作っておきなさい、と常々聞かされていました。

 これまで同世代のお友達と呼べる方が居なかったのでとても楽しみだったのです。そして、先に学園に通っている兄にもやっと会える、と思っていましたわ。


 兄と関係を深めれば、政略結婚だけでない、わたくしの幼いころの夢が叶ったり、他の道が見つかるのではないかと。

 …ですが、その兄はわたくしの想像とはかけ離れた、尊敬することも難しい人物だったのです。



 お母さまから普段、屋敷の使用人や、外出した先の平民にだって分け隔てなく優しく接していて、沢山の方に愛されていたと思います。

 その姿を幼いころから見ていて、わたくしもこのような大人になろうと考えていましたわ。


 学園の理念である『学園では貴族、平民、種族を関係なく、平等』に非常に共感し、たとえ魔法が使えなくて6組となっていても、上級貴族としての誇りは忘れないと。



 そして、わたくしが最初にその場面を目撃したのは、入学して一週間後のこと。


 どこかの貴族が、その権力を振りかざし、わたくしと同じ6組の同級生を取り囲んで威圧していたのです。

 そこにいたのは、レオネアという虎人族の平民と、ヴァリクスという小領地の中級貴族。2人とも6組の同級生です。相手を退けるには身分的に少し弱いですわね。


 わたくしは当然のようにその暴挙を止めようと声をかけました。


「やめなさい!貴方達はどちらの領の方達かしら?その子達はわたくしの同級生ですの。ご無体な行為は遠慮していただけるかしら?」


 後ろから取り囲んでいた3人の男子生徒に声をかけると、彼らはこちらへ向きました。


「あぁ??」


「なんだ貴様は」


「…どこの貴族だ?」


 …振り返った3人の真ん中にいる男子は、どことなく父の面影を感じましたが、気にせず続けました。


「わたくしはナディア・クレモスですわ。貴方達はどこの領の方かしら?学園の理念はご存じですわよね?このまま非道な行為を続けるのであれば、貴方達の領へ厳重な抗議をいたしますわよ」


 あなたたちは早くいきなさい、と同級生の2人に声をかけると、彼らは少し距離を取ってくれました。

 後はわたくしがこの不届き者たちを…と考えていた時、彼らは笑い出しました。


「な、なんですの…?」


 大きな声でひとしきり笑った後、中央の男子生徒が口を開いた。


「くっくくく、お前か…お前があの出来損ないという妹か」


 信じられない言葉が真ん中の男子生徒から聞こえたの。私の胸がひゅっと締め付けられ、息苦しさを感じます。


「え…ま…まさか…?」


 わたくしは震える手で口を押さえました。


「はっ!俺はマルヴェック・クレモス…。クレモス領の次期領主で、お前の兄だよ、ナディア」


 そう名乗る彼の瞳には濁った光が見え、その顔は愉悦を湛えて歪んでいました。


「あ、貴方がわたくしのお兄様…??ど、どうしてこんなことをしているのですか!わたくしの同級生を…!」


 愕然とした気持ちを押し殺し、ぐっと兄を見定めて問いただします。


「どうして?そんなの決まっているじゃないか。上級貴族の上級生に対して礼がなっていない低俗な奴らに対して教育をしてやっているんじゃないか。新入生に序列を教えてやってるのさぁ」


「…この学園は貴族、平民、種族を関係なく、平等なのですわ。お兄様の言っていることは…間違っていますわ」


 兄はにたぁと醜悪ともいえる笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。


「はん!そんなものは上辺だけさ。お前も気づいているんだろう?貴族は貴族でまとまって、決して平民と交わろうとしない。平等を謳ったとしても、この学園を卒業してしまえば明確な身分差に平民は押しつぶされるんだからなぁ…!!」


 両手を広げ、兄はまるで劇でもしているかのような大げさな動きをしていました。


「そんなことはありませんわ!お母さまは身分を問わずに絆を深めた友人に助けられたと言われていましたわ!!」


「お前の母は保身のためにいろんな奴に取り入ろうとして、誰彼構わずいい顔していたみたいだなぁ。父さんが来ないことをいいことに平民とか商人の男とか連れ込んでいたんだろ?」


「何を言っているのですか!お母さまを侮辱しないで!!」


 やれやれ、といった風に兄は手を広げて上下させ、さらに毒を含んだ言葉を続けます。


「出来損ないのお前がいる6組はどうなんだ?入学から1週間は過ぎただろ?平民と仲良くしている貴族はいるか?貴族に近づいてくる平民はいるか?」


 兄に言われて気づきました。確かに6組には、明確に貴族と平民でのグループができています。そこにいるレオネアとヴァリクスはお互い1人で行動しています。少し…特殊なのですわ…。


「どうした?何か言え。落ちこぼれの愚者め」


 わたくしは現在の6組の状況を考え、何も言えませんでした。悔しくて思いっきり拳を握りしめています。


「ふん。知恵の加護というからどれだけ頭が回るのかと思えば、ただの青臭いガキじゃないか。まぁいい。今日は飽きた。行くぞ、お前達」


 取り巻きを後ろに連れ、兄はわたくしの横を通りすぎざまに肩を叩き、声をかけてきました。


「あぁ、そうそう。お前、卒業したらすぐに政略結婚に出されるんだろ?父さんはお前のことを役立たずだと言っている。適当な大領地の好色じじいに嫁に出されるんだろうよ」


 冷え切った兄の声が耳からわたくしの脳に伝わってきました。呪いのように。


「お前は父さんからただの道具としか見られていない。だから6組なんだよ。意味、分かるだろう?上級貴族は魔法が使えないからって6組に配属されるなんてことは無ぇんだよ」


 まぁ、頑張れや、とポンポンと肩を叩いて兄は通り過ぎていきました。


 わたくしはゆっくりと振り返り、去り行く兄の背中を見ましたわ…。その時、胸の奥の何かが壊れたような気がして、目から暖かい水が頬をつたってきたのです。




 それから、兄が普段どのような振る舞いをしているのか調べたら、定期的に下級貴族や平民に対して、学年問わずいろんな嫌がらせをしているのが分かりました。


 これだけ情報が集まるのに、なぜあのような振る舞いが許されているのか不思議でした。

 どうやら、この学園の上層部に、兄の母方の大領地の親族がいるようですね…。うまく手を回しているようです。


(…わたくしの夢は…もともと幻みたいなものだったんですのね…)


 わたくしのこれまでは一体なんだったのかしら。学園に入学するまで気づかなかったとはいえ、あんな小さな夢にすがっていたなんて。お花畑も甚だしいですわ。


 一度も顔を合わせることがなかったとはいえ、あそこまで傍若無人な振る舞いをする人なのであれば、母と共にいたときに少しでも情報が取れたはず。

 幼いころの父の言葉を妄信して、また、魔法ができないことに負い目を感じて、何もしなかったわたしの罪ですわね…。


 兄があのような振る舞いをしているのであれば、同級生の皆もわたくしのことを同じ種類の人間だとみるでしょう。

 6組のクラスメイトとは今後の付き合い方を考えないといけないでしょう。


 他の組の方と交流することはできるでしょうか…?


 …だめですね。兄が言っていたとおり、上級貴族が6組に配属されることは…何かしらの瑕疵があることを意味するようです。

 他の組からみても友人として付き合う対象にはならないでしょう。


 お母さま、ごめんなさい。わたくしは学園での友達を作ることは難しいようですわ…。


 "お前は道具だ"


 言われた言葉が頭に繰り返されてしまう。『知恵の加護』はきっとわたくしを助けてくれるとお母さまは言っていたけれど…。


 兄の言葉が正しいのであれば、わたくしは成人後、クレモス領にとってメリットがあると考えらえる殿方へ有無を言わさずに嫁がされるようになるはず。クレモスは子供が少ないですから…。


 …それがたとえどのような人であっても。


 今のクレモス領の状況を考えながら、いくつか王国領地の候補を考えてみましたが…領との関係性に問題なく、クレモスに大きな援助をもたらしてくれる場所がありました。

 海沿いの大領地に他国との海上貿易で大きな利益を生み出している領があります。


 そして、そこの領主は60歳を超えていますが、周辺の小領地から、金銭的支援を餌に、成人したばかりの姫を側室として何人も迎えている方がいます。噂だと、10代の女性にしか興味がわかないそうですわ…。

 歳を重ね、20を過ぎた後はそのまま自国の重臣に下げ渡したりするそうです。


 想像するだけで鳥肌が立ちます。


 あくまで推察ですが、残念ながら『知恵の加護』がある以上、必要な情報が集まった後の推論は、ほぼ確実にそうなってしまうのです。

 どう考えても将来幸せにはなれそうにありません。


 せめて、お母さまのように寵愛はなくとも、きちんと役目を果たし、自身の子供を優しく育てられるような、そんな方に嫁ぎたいです。

 クレモスはその領地から金銭的援助を受けるためだけの道具として考えています。わたくしのことは考えてくれません。


『知恵の加護』はようやく、その使い方、活用方法が理解できるようになってきたのだけれど、現状では、父の考えを翻すようなものは出てきていません。


それなら…これまで私だけ使えていない魔法が、何かを変えてくれるかもしれない。


 皆は使える魔法。わたくしだけ使えない魔法。


 …なんとかして魔法を使えるようにならなくては。




「駄目ですわ!!どうして!!魔法が使えないんですの!どうして!」


 実技から戻ってきたわたくしは思わず自室の机を両手で叩いてしまいました。


 あれから数週間。わたくしは担任のロレンゾ先生に無理を言って魔法についての特別指導をお願いしました。座学については特に問題はありません。すでに最上級生で学ぶ内容までわたくしの頭に入っています。


 午前中は図書館でわたくしと同じような事例がないか資料を探し、役に立ちそうなものがあれば午後の実技で試すという日々。


 属性魔法の詠唱は間違いないです。魔法陣を使っても試しました。


 身体強化は言わずもがな、支援魔法も使えるかどうかを試してみましたわ。


 でも、どれもうまくできません。魔力を流せば動作するはずの魔法陣でさえ、不可解な動きをしたり、呪いのような効果がロレンゾ先生に降りかかってしまったりして大変でした。

 その時の影響で、陰で「呪い姫」なんて囁かれるようになってしまいましたわ。


 どんなに研究しても、学園の専門家に相談しても一歩も前に進まない。そんな日々が続き、わたくしの心には淀んだ、もやもやとしたものが詰みあがっていました。


「はぁ…。もうやれることはやりましたわね…」


 わたくしは徐々に学校に運ぶ足が重くなっていました。

 そして、春の季節の三月のある日。学園の校門前での騒ぎに遭遇したのですわ。


 なんの騒ぎかと思えば…。あの兄がまた、平民を虐待しているというのです。わたくしにはもう、あの兄を行動を止めるための勇気も、心の強さもありませんでした。


 心を殺し見て見ぬふりをしてその場を通り過ぎようとした時。見知らぬ少年が、不思議な従魔を連れて兄の前に飛び出したのです。

 その動きは只ならぬもので、兄が放とうとした魔法をかき消した上、あろうことか、意識を刈り取ったではありませんか。


 服装は学園のものではく、冒険者、といった装いでしたので、たまたま通りかかっただけかもしれません。

 しかし、あの傲慢で尊大な兄が何もできずに崩れ落ちた様を見て、不謹慎かもしれませんが、闇に引き込まれそうだったわたくしの心が少し、軽くなった気がしました。


 ですが、上級貴族を相手にそのようなことをしてどのような責めを負うのか…とわたくしは気が気ではありませんでしたが、兄と同世代の学年にいる王族、第四王子のヴィクター様がその場を収めてくれました。


 王子は野次馬で集まっている生徒たちを解散させましたが、わたくしは少し離れた場所から様子を伺っていました。これまで…あの兄に対してあそこまで毅然とした対応をする方はいませんでしたので気になってしまいました。


(聞こえてくる会話の端々から、どうやら彼は編入の為の手続きに来た生徒のようですわね)


入学式、進級式が終わってすぐでタイミングとしては非常に珍しいことですが、あり得ないわけではありません。

 何年生なのかはわかりませんが、わたしくしと同じ歳の頃に見えます。風にのって彼の名前が聞こえてきました。 シノ…ですか。その顔は覚えました。


(もし彼が無事に編入できた暁には、直接お礼を言わせてほしいですわね)


 彼がマーガレット先生に連れられて行く姿をこっそり見つめていました。


 そして、この時のわたくしは気づいていなかったのです。この少年が、わたくしのこれからの人生を大きく変えるきっかけとなることに。

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