星喰い悪魔は月に願う

氷垣イヌハ

第1話 序章 巫女は、夜月に

 未来さきのことなんてわからない。

 明日がどんな日になるかなんて、わからないのが普通だ。

 できるとしても明日の天気の予想ぐらいが精々だろう。


「あーした天気に、なぁーーれっ!」


 そう言いながら、道をかける女の子が片方の草履を天に向かって蹴り上げる。

 青い鼻緒の草履はくるくると回りながら数歩先の砂利道に逆さまに落ちた。


「ええ~。あしたは雨?」


 女の子はがっかりしたようにそう声を上げる。


「大丈夫。明日もきっといい天気だよ。でも、夕方には少し曇ってくるかもしれない、かな?」


 白の上衣に緋色の袴を身に着けた少女は女の子が蹴り飛ばした草履を拾い上げた。

 拾った草履を女の子に履かせなおすとその頭を優しくなでる。


「巫女様、ほんと? あした、みんなで丘の上にお花見に行くの。雨は嫌だよ?」


 集落へと戻る道の中、女の子は巫女の少女を見上げながら笑顔を向ける。

 空には雲は見られず山の峰に隠れだした陽の光は周囲を茜色に染め、女の子の影を後ろに引き伸ばしていた。

 優しく肌をなでる風は芽吹き始めた草の香りを少女たちに届ける。


 穏やかな風に雲一つない空。綺麗な夕日。雨の気配は全く感じられない。


 どうやらこの女の子のお天気占いは外れそうだ。

 大人たちなら今までの経験からそう判断するだろう。


「そりゃ違いねえ。星詠み様の言うことだ。巫女様の占いに間違いがあるわけねえ」


 女の子の手を握りながら老人が巫女の少女に頭を下げる。

 日の落ちるこの時間まで畑仕事をしていたその顔は日焼けがより濃くなっている。


「いいえ。明日の天気などは毎日空を見つめ、地を耕している貴方がたの方がもっと詳しく予想できているのではありませんか?」

「まさか、そんなこと。巫女様のお告げに敵うわけがねえですよ」

「私も星詠みの巫女なんて呼ばれていても、近い将来のことがなんとなくわかるだけですから。明日の天候がわかっていても、作物にどうしたらいいかなんてわかりませんもの」


 くすくすと笑いながら少女は答えた。

 朗らかに笑うその顔には幼さの中にも不思議な艶っぽさがあった。


 星詠みの巫女。未来を見ることができる特別な力を持った神職の少女だ。


「私はただ星の巡りを見ながら、いくつもある可能性の一つを言っているにすぎません。長い経験の中でみる予測こそ真に称賛されるべきものです」


 老人はそうですかと頷いて孫娘の頭をなでる。

 照れくさそうに、そして少しばかり誇らしげに笑った。

 この里の者たちは働き者だ。

 比較的穏やかな気候であるとはいえ、里の者が飢えずにいられるのもそのおかげだ。


 周囲にはまだ小さい芽が出始めたばかりの農地が広がっている。

 天候を読みつつ、この農地を耕し作物を得るのは並大抵の努力ではない。


「ねえ、おなか空いた。はやく帰ろう?」


 少しつまらなそうにしていた女の子は老人の着物の裾を引っ張るとそう言った。

 陽はもう山の向こうに消え、間もなく暗闇がやってくる。

 もう夕食時で里の家からは料理をする煙が上がっている。いい匂いも漂っていた。


「それではこれで、巫女様もお気をつけて」


 暗くなる道を老人は女の子を連れて家へと向かっていった。


「おやすみなさい、巫女様」


 途中で女の子は振り返り、巫女の少女に手を振った。巫女もそれに手を振り返す。

 その後ろ姿をしばし見つめると巫女の少女も道の反対側に歩き出した。


「今日は満月、明るくていいね」


 暗くなる夜道を一人歩きながら巫女は空を見上げる。沈んだ陽とは反対側。

 山の峰からは丸い月が顔を出そうとしていた。


 雲一つない春の夜。瞬き始めた星。

 それでもその空の一点には陰りかげりがあった。


「う~ん…… また大きくなってる? やっぱり見間違えじゃないんだね」


 天に昇った月の下方には虫食いのように黒い染みがかかっていた。


「陽の彼方より大岩迫り、夜の月に影を落とす。其、天より堕ちて大地を焦がす」


 この世界は、陽の周りを一年かけて回っている。

 この世界と陽の間には同じ様に別の星が幾つもまわっていて、そのうちの一つの星が今この地に落ちようとしている。その事実に巫女はずっと頭を悩ませていた。


 月に影を落とすほどの大岩が天から落ちてきたらどうなるかはわかりきっている。

 大岩そのものの下にいれば助かるものなどいるわけがない。

 そうでなくとも大地は抉られ田畑は荒れ、作物の取れなくなった人々は飢えて多くの者が命を落とすだろう。


「本当なら、このことを帝にお伝えしないとなんだろうけど…」


 今ならまだ、この地を捨て遠くに逃れれば命だけは助かる者もいるかもしれない。

 仮にこのようなことをただの村娘がそこらで叫んだところで誰も信じはしまい。

 どうかした哀れな娘と思われるのが関の山だろう。


 でも、巫女の言うことだけは違った。


 その年の天候を占い、作物の出来不出来を予言する。

 国に認められた神職の娘たちはまつりごとにも関わり、口にする言葉には一定の信頼を置かれている。

 その予言はほとんど違えることはなく、もしもその警告に従わなければ恐ろしい災いが訪れる。その言葉はある意味で畏れの対象にさえなっていた。


 そして、その巫女の最高位にあるのが星詠みなのだ。

 帝でさえこの少女の言葉には耳を傾けざるを負えない。


「でも、その場合は……」


 未来など見えたところでどうしたらいいのかまでは、なかなかわからない。

 まだ十数年しか生きていない少女の経験と知識には限界がある。

 知らせたところで悲劇は避けられないのだからなおさらだった。

 天高くにあり手も届かぬ大岩に一人の少女がどうできようか。


 考え事をしているうちに巫女は自分が仮住まいをする星見櫓に帰り着いた。

 木組みの何層かに組まれた櫓の最下層。寝泊まりするだけの小屋に入る。

 入ってすぐ、地下へと続く階段を下りた。


「さてさて。囚われのお姫様、ご機嫌いかが?」


 巫女は暗闇の中に一歩足を入れるとその先に声をかける。

 通気のために開いた小さい穴からは月明かりが差し込み、地下の狭い牢の中を照らし出す。

 衣擦れの音が微かにすると室内から呻き声とかすれ切った言葉が聞こえる。


「もう、ゆるして…… 助けて。もう、殺して……」


 ツンと鼻を刺す臭い。酷い臭いだ。よどんだ空気が充満している。

 吐瀉物やらなんやらで汚れ、染みだらけの着物。青ざめ頬のこけた顔。

 地下の座敷牢には少女が両手両足を鎖で壁につながれていた。


「あはは、言ったでしょ? だ~めぇ。貴女に死なれたら戦になっちゃうもの」


「いやだ、もう。やめ……」


 そう呻くと少女は目の前の甕に胃の中身をぶちまけた。ゴホゴホとむせている。

 目に涙をためて苦しむ少女に巫女は苦笑交じりに答えた。


「隣国の姫様に死なれたら。いいえ、殺したなんてことになったら大問題でしょ?」


 虚ろな目で呻き続け、ぐったりとしているのは隣国から視察名目で送られてきた姫君だ。

 この国で最も尊敬を集め、『星詠み』の称号を得る最高位の巫女。

 しかし、その可愛らしい見た目の少女はここ数日地下に隣国の姫を監禁していた。


「何が狙いだ? 誰の命でこのようなことをする」


 姫は目に涙を溜めながらも首を振るとキッと巫女を睨み問い詰める。

 その言葉に巫女はしばしの間、首を傾げた。


「ああ、勘違いしてるのね。誰の命令でもないよ? すべて、私が勝手にしてること。すべて私の意志で、責任も私。全ては、私の目的のため」


 何とか気丈に振る舞う姫だがその言葉に巫女は笑い声をあげて答えた。

 だれの指示でもない。巫女本人の意思でこんなひどい仕打ちをしている。


「ただで済むと、思っているのか?」 

「当然バレたら、私は死罪ね。一国の姫にこんなこと、許されるはずがない」


 仮に一国の姫が他国で責め殺されたとなれば、戦になるのは目に見えている。

 だが、巫女に姫を殺す気はまったくない。戦になられても困るのだ。

 とはいえ、もしこんなことが明るみに出ればさすがの巫女でも処刑は免れない。


 この状況は巫女の本意からは少しだけずれていた。

 まだ少女の幾を出ない姫君を鎖につないで牢に閉じ込めるのは巫女の本意ではなかったのだ。

 

 今の姫の姿は監禁初日の喚き続けて煩かった姿を思うとまるで別人の様だった。

 この数日ですっかり弱り切った姫はうっかり目を離せば自ら命を絶ちかねない。

 仕方なく両手足を拘束することになったのだ。

 

「でも、バレなければいい。そして、絶対にそうはならないもの。だって巫女の予言は、その言葉は絶対。疑ってはいけない。信じぬ者には恐ろしい災いが訪れる。巫女である私が言ったことは嘘でも本当になる。だから、貴女がこのことを話さない限りは誰にもバレない」


 巫女である自身の言葉でこの事はどうとでもごまかせる。

 そして、今後この姫君がそのことを他言することもないのはもう予知の力が教えてくれている。


「この、悪魔め……」


 忌々しげに姫は呟き、がっくりと首をたれ俯いてしまった。

 流石にもう限界だろう。


「悪魔。それは、世の理に縛られず人に災いをもたらす者」

 

 姫の言葉になぜか巫女は笑いだす。


「さあ、吐いて? 全部吐いたら、楽になれるから」


 思っていたよりはこの姫君の心は強かった。

 巫女はもっとかかるかとも思っていたのだが、これなら計画通りに進みそうだ。

 自身の予想が外れたことに笑いながら牢の鍵を開け中に入ると、姫の口に強引に水差しを挿しこみ水を含ませる。繋がれた姫は抵抗しながらもその水をゆっくりと飲み下した。


「そろそろ、次の段階に移ろうか……」


 その言葉の後、狭い地下には姫の悲鳴が木霊した。

 その絶叫に驚いた鳥たちは、木々から暗い夜空へと飛び立っていった。

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