第26話 恐るべしフェアリー
岳斗は家に帰ってからも、海斗と顔を合わせずにいた。夕飯は先に食べて部屋へ入ってしまったし、海斗が風呂から出て、部屋に入ったのを確認してから風呂へ行った。もはや、どうして避けているのか自分でもよく分かっていなかった。
岳斗が風呂から上がり、階段を上っている時に、携帯電話の鳴る音がした。
「もしもし。うん。悪いな、お前もインターハイ近いのに。」
海斗が電話に出た。インターハイという言葉で、電話の相手は前園だと分かった。岳斗は、つい海斗の部屋の前で立ち止まった。
「嫉妬させるとか言って、全然だめだよ。俺ばっか嫉妬しててさあ。やっぱあいつ、俺の事好きじゃないのかなあ。」
どういう事だ?前園は、誰かを嫉妬させる為に彼女のフリをしたというのか?そして、海斗には別に好きな人がいるという事か……?
「えー?マジでー?あははは。」
海斗の電話は続いていたが、岳斗は自分の部屋に戻った。前園ではない、誰か別の人。海斗が嫉妬させたいのに、嫉妬してくれない誰か。そんな人が、この世の中にいるのか。年上とか。意外に白石会長だったりして、などと岳斗は思いを巡らせた。だが分からない。海斗がどんどん遠くへ行ってしまうような気がして、怖かった。寂しかった。
翌朝岳斗が学校へ行くと、教室がザワザワしていた。何事かと思いつつも自分の席へ向かうと、そこにポニーテールの女子が立っていた。なんと前園がいたのだ。
「あ、君が城崎岳斗くん?」
岳斗が机に荷物を置くと、前園はそう聞いてきた。
「はい。」
岳斗が恐る恐る返事をすると、
「私、前園です。よろしくね。」
と言って、岳斗に握手を求めて来た。岳斗はそっとその手を掴んで、すぐに離した。周りの男子から羨望の目で見られる。だから、羨ましがられるのは懲り懲りなのに、と岳斗は思った。前園は腕を組み、岳斗をジロジロと眺めた。
「ふうーん。」
薄ら笑いを浮かべる前園。新体操をしている時とはだいぶ印象が違う。
「あのー、何かご用でしょうか?」
岳斗が尋ねると、
「城崎の弟ってどんな子かなーと思ってね。城崎があんまり可愛い可愛いって言うからさ。」
岳斗の顔はボッと熱くなった。可愛いなんて言っているのかよ、海斗め!と思った。
「つまり、宣戦布告をしに来たって事ですか?私と弟とどっちが可愛いのよって?」
と、聞いたのは金子である。
「まあ、そんなとこかなー。」
前園はそう言ったが、岳斗は知っている。前園は海斗の彼女ではない。海斗の好きな人は別にいる。なぜこんな事をするのだろう、と岳斗は訝しんだ。前園はそれで去って行った。
よせばいいのに、また昼休みに新体操部の練習を見に行った岳斗たち四人。暇だから仕方がない。前園は、今度は岳斗たちに気づいて、手を振ってきた。金子と笠原は喜んで手を振り返していた。
練習の最後に、海斗が現れた。今日はちゃんと、体育館まで前園を迎えに来たようだった。そっちを見ていると、前園が明らかに岳斗の方を見て、それから海斗の腕に寄りかかった。フリだと分かっていてもイライラする岳斗。前園はけっこう嫌な人だ、と岳斗は思った。そして、友達を放っておいてさっさと教室へと歩き出した。
新体操のインターハイが行われ、前園は個人七位という結果だった。剣星高校の新体操部始まって以来の快挙だった。そもそもインターハイ出場自体が快挙だったわけだが。
テスト前になり、部活がない日々が始まった。こうなるともう、岳斗に海斗からの逃げ場はない。朝食も一緒に食べ、一緒に登校し、夕飯も一緒に食べなければならない。何となく避けてきたのだが、もう、そういうわけにもいかなくなる。食事の時、岳斗と海斗の席は向かい合わせだ。岳斗はなるべく海斗を見ないようにしているのだが、海斗の方は時々岳斗の顔を盗み見ている。岳斗はそれが嫌なわけではない。だが、気持ちが落ち着かない。
もう、このままでは勉強にも集中できない。岳斗は、ちゃんと海斗と話さなければならないと考えた。まず、前園は本当の彼女ではない事、それをはっきりさせなければならない。
学校から帰って着替えてから、岳斗は海斗の部屋を訪れた。海斗も着替えたばかりの様子だった。
「海斗、ちょっといい?」
「お?いいよ。」
「あのさ、前園さんの事なんだけど。」
岳斗が切り出すと、海斗はパッと岳斗の顔を見た。
「前園さんは、本当の彼女じゃないよね?フェイクなんだろ?」
岳斗がそう言うと、海斗は口をぽかんと開けた。
「なんで?」
海斗が聞く。
「前園さんと電話で話してるのが聞こえちゃったんだ。嫉妬させたいのに、自分ばっかり嫉妬してしまうとか、あいつは俺の事が好きじゃないのかな、とか。」
岳斗がそう言うと、海斗は更に口をぽかんと開けて、目も大きく見開いた。
「そう、だったのか。あははは。それじゃあ、嫉妬するわけないじゃん。あははは。」
海斗は目を片方の手のひらで覆って、笑いながらそう言った。
「ん?なに?」
岳斗が問いただすと、
「いや、何でもない。もう彼女のフリはやめてもらうよ。意味ないし。」
と、海斗が言った。岳斗は首を傾げる。
「お前さ、どうしてそう鈍感なんだ?」
海斗は岳斗の両肩に手を置いた。
「何が?え?俺、鈍感?」
岳斗には訳が分からない。
「俺が好きなのは、お前だって、分からないの?」
「……。」
海斗が自分の事を好きなのは、岳斗も知っている。だが、それだと、どういう事だ。つまり、嫉妬させたい相手が自分、という事になるのか?岳斗は混乱した。
― やっぱあいつ、俺の事好きじゃないのかなあ ―
岳斗は、海斗が電話で嘆いていたのを思い出した。あいつ、が、自分?
「え、うっそ。いや、嘘だろ?」
岳斗は激しく動揺した。
「嘘じゃない。本当だ。今までも何回も好きだって言ってるけどな。本気にしてくれなかったもんな、お前。」
「だって、それは、俺たちは兄弟だから、好きなのは当たり前で、だから、でも、俺は本当の弟じゃなくて、えっと、海斗は、海斗は、えっと。」
岳斗は頭がパニックに。何を考えればいいのか、分からない。
「岳斗、落ち着けって。岳斗。」
「でも、でも。」
岳斗が尚もパニックになっていると、海斗は岳斗の口を自分の口で塞いだ。
さすがに二回目なので、岳斗もそれほどびっくりしなかった。その代わりに、胸にズキンと痛み、いや、疼きが生じた。海斗は一度唇を離し、もう一度口づけた。すると……
「うわっ。」
次の瞬間、思わず岳斗は海斗を突き飛ばした。
「岳斗?」
海斗が岳斗の顔を覗き込む。岳斗は、自分の部屋に駆け込んだ。
(何だ、これは!何なんだ!)
自分の体の反応にショックを受けた岳斗は、海斗の顔をまともに見られなくなった。
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