殉真裂士 2

しゔや りふかふ

第1話 殉真裂士、悪を糾す

「ちょっと行って来る」

 そう言ってジョルジュ・サンディーニは龍馬を降りた。街道の途中にある小さな町の大通りを、二人ならんでゆくりと進んでいたときだ。


 女性(にょしょう)のように嫋やかな青年騎士ジャン・〝アンニュイ〟・マータが手綱を引いて龍馬を止め、訊く、

「どうした、何かあったか」

「いや、大したことじゃない。懐かしい奴がいてね。約束を守らないので、私は自分の言った言葉を実行しなければならなくなったようだ」

「そうか、くれぐれもつまらんトラブルは起こすなよ」

「わかってる。何度も聞いている」

「ちっともわかってないから、何度でも言うんだ。いつになるかわからぬから酒場で待つよ」


 その頃、ジョルジュの姿を見たマルゾは慌てて物陰に隠れ、そっと暗くて細い路地へ入る。身を縮めて、腰をかがめ、小走りだ。

 汚れたシャツの胸をはだけ、つば広の帽子を被った町のギャングは路地に入って最初の角を素早く回り、身を翻して、そっと大通りの方をうかがう。

「見られたかな、いや、追って来ない。どうやらぎりぎり間に合ったようだ。

 ふう。やれやれ」

 安堵して向き直ると、眼の前に、ジョルジュが。

 美しく凛々しい男装の女騎士にマルゾは見下ろされていた。身の丈一八〇センチを超え、二十歳の女性とは思えぬ過烈な威厳に。


「久しぶりだな。マルゾ。よもや私との約束を忘れてはいないだろうな」

「あ、あ、も、もちろんですとも、裂士様、忘れるなんざ、あり得ません」

「そうか。ならば、なぜ、逃げる」

「滅相もない、逃げてなんかいやしませんよ。こちら側に、ちょっと、つまらない用事がありやして。いやはや、貧乏暇なしで」

「そうかな」

 そのとき。別の声が。

「おや、マルゾさん、こんなとこにいたんですか、待ち合わせ場所にお姿が見えねえんで、帰ろうとしたところでした。

 いや、よかった。もう、すっかり困り果てておりまして、いや、助かりました」

「し、知らん、お前なんぞ、知らんぞ。さっさとあっちへ行け、消えろ」

「どうしたんですか、いきなりおかしなこと言って。あっしは、マンゾさんの言う、簡単で儲かる仕事に縋るしかないんです。妹も老いた母もすっかり痩せ衰えてしまいました」

 ジョルジュは咳払いし、

「ところで、君はこのやくざな悪党に何と言われたんだ?」

 若い男はぽかあんとしたが、すぐに、

「や、これは大変失礼しました。こんなご立派な騎士殿とお話中だったとは」

「いや、私は構わぬ。君はこの男に何と言われたんだ?」

「へい、いや、申し遅れました、あっしはマルコと申しまして、しがない絨毯職人の見習いですが、こちらの絨毯が有名なものですから、わざわざ田舎から引っ越してきたんですが、何てことか、勤め始めて三ケ月もしないうちに、安い輸入品が大量に入って来るようになったせいで、たちまち腕が未熟なあっしが親方の工房を馘になるはめになりまして」

「なるほど、それで幼い妹や老いた母があれば、さぞかし困るであろう」

「はい、全くそのとおりでもございまして、そんな折、このマルゾさんが誰にでもできる簡単な仕事で、儲けることができる、お前がよければ、紹介しようと言ってくれて」

 ジョルジュはマルゾへ向き直って、きっと睨む。

「どうやら、相変わらずのようだな、マルコ」

「おや、おや、滅相もない、この男の勘違いでござんす、俺はこんな男、知りやしません」

「何を言うんです、マルゾさん、あなただけが頼みの綱なんですよ」

 ジョルジュは冷厳な表情で、

「ところで、マルコ、お前はその仕事とやらの話を持ち掛けられたとき、家族のことなんぞ訊かれなかったか」

「へい、訊かれました。あっしがどのくらい困っているか、確かめてみたようで、あっしは嘘偽りもなく、さっきも申し上げたとおり幼い妹と老いた母がいるとお答えしました」

「いいか、マルコ、こいつの言う仕事とは強盗だ。金のありそうな家に忍び込んで、罪もない人を殺し、苦労して稼いだ金を奪う仕事だ」

「そんなばかな、そんな恐ろしいこと、あっしは引き受けやしません」

「だろうな。だが、そういう訳には行かなくなるのだ。もし、お前がやらぬと言ったら、この悪党は幼い妹を売り、老いた母を殺すと脅すであろう」

「何て恐ろしいことを」

「こいつは昔からそうやって稼いできた男なのだ。人間のクズだ。いや、人として扱う必要はない」

 真っ青になったマンゾは狂ったように喚く、

「とんでもない、滅相もない、違う、全然違う、全く誤解です、どうか信じてください、あゝ、神様」

「お前が神の名を言うな。何十人も不幸のどん底へ落としておきながら、命乞いか。浅ましい。お前は命乞いをした女こどもを一度でも存命させたことがあるか、この悪鬼羅刹が」

 マルコが震え、

「おお、そんな、惨たらしい、そんな、あゝ、恐ろしいことを」

 ジョルジュは剣を抜く。

「次にやったら、斬ると言ったはずだ」

「あゝ、どうか、ご慈悲を」

「ならぬ」

「警察に自首します、牢屋に入ります、更生します」

「だめだ。一度チャンスは与えた。お前は更生しない」

 月光の剣を抜く。その冷たく皓々たる光が薄暗い路地を照らす。

「ひ、人殺し、ほ、ほう、ほう、法律がある」

 しかし、ジョルジュは言い放つ、

「それがどうした。人間の法は不完全だ。真理真実ではない。人類が勝手に決めたものでしかない。神の天然理法ではない。私は神に祝福された者、神の恩寵を賜り不死なる者、真実に殉ずる者、殉真裂士なるぞ。我が法が正義だ」

「け、警察を、警察を呼んでくれ」

 ジョルジュは嘲笑う、

「お前が警察を言うか。

 呼ぶなら呼べ、我が威の前に司法も警察も屈する。何なら、警察署へ行って全て叩きのめして見せようか。

 国王ですら我らとは争わぬ。この国の五千の正規兵など、この私一人で、神速の月光剣を以て、たちまち無みしてみせよう。たとえ、予備兵を駆り集めて二万のフル武装備の軍隊で来ようとも、一時間の後には屍の山となるであろう」

「おゝ、どうか、お助けを、ご慈悲を」

「ならぬ」


 剣を振りかぶる。しかし、ジョルジュは気が変わった。

 






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