第50話 レース1・レース2、初表彰台
予選1と2の後に行われたレース1の結果は、十二位だった。スタートドライバーだった綾の鬼気迫る走行が、人々の注目を集め、結果として八位も順位を上げたのだから重畳と言えるが、ポイントに繋がらなかったのは痛い。これで十一レース中ここ五レース続けてノーポイントだったことになる。ECUのバグによる四レース連続リタイアは、VRMにとって大きな痛手となっていた。
だがその翌日のレースは違った。日曜日のレース2で、千隼は目覚ましい活躍を見せる。七番グリッドでスタートした千隼は次々に前を行くマシンを抜き去っていく。まだ不慣れな綾をカバーしたい思いが強かった。昨日行われたQ1のようなアクシデントで潰れるような胆力ではドライバーとして失格だが、それでも千隼は少しでも綾に有利な状況で走ってもらいたかった。綾とドライバー交代する時、千隼の順位は驚くべきことに四位にまで上がった。これにはチームもさとみも色めき立ち、ライバルたちは浮足立った。千隼はギリギリまで綾とのドライバー交代を引き延ばし、三位の車に猛追すると綾の走行時間を可能な限り短くして、その負担を減らそうとした。綾にはその心遣いが嬉しくもあり悔しくもあった。ヘルメットの下で唇を噛む。
タイヤ交換も終わり綾が車に乗り込もうとする前に、ヘルメットをかぶった綾はやはりヘルメットをかぶったままの千隼に言った。
「私、千隼さんを表彰台に上げます。今度こそほんとにやってみせます」
ヘルメット越しの千隼の、そして綾の眼も笑ってはいなかった。
「判った。思いっ切り走ってきて。待ってるから」
千隼は綾の背中を軽くたたいた。
「はいっ!」
綾は経験に見合わぬ得意の高速ドライビングでストレートや高速コーナーを果敢に駆け、苦手な低速セクションでもできる限り丁寧なドライビングを心掛けた。
その結果、千隼の遥か前方を走っていた三位の先行車を目前に捉える。前を行くマシンが周回遅れの車両の処理に手間取ってる隙を捉えた。綾が意表をついてアウト側から周回遅れの車ごと三位の車を抜き去ったのは、昨日不様なコースアウトを喫したあの高速コーナーだった。綾の叫びが無線で届く。チームのみんなも叫んでいた。千隼とさとみも周囲のことなど忘れて抱き合う。アドレナリンが高まる。
綾は高速セクションでの走りの特性を充分に生かして後続車を突き放し、三位でフィニッシュした。今シーズン初参加でしかも直前二戦ともリタイアしていたチームが表彰台に上がったことに、ドライバーもスタッフも観客もマスコミも興奮のるつぼにわきあがり、ライバルチームたちは驚きを隠せなかった。今正にチームの力関係が変わろうとしている。そのくさびを打ち込んだのは他ならぬVRM、ヴォルテックス・ラプター・モーター、そして星埜千隼と柚原綾だった。
レース後パルクフェルメそばの待機エリアに、オリオンDSR-GT3Rが“3”と書かれたパネルの前に停車させられる。降車した弱冠二十一歳の綾にマスコミが群がる。言葉が上手く出ない。ヘルメットを取ると唇が震えかすかに上を向く。インタビューにもうまく受け答えできない。この実に“絵になる”シーンを収め、満足したマスコミをあとにした綾は、チームのガレージへ向かって歩く。昨日とは違ってその足取りはしっかりとして頼もしかった。チームの仲間たちはみなガレージを出てピットで綾を待ち受けている。みんなからもみくちゃにされる。嬉しくて嬉しくて涙が止まらない。ふと目を上げるとそこには千隼がいた。こんなにも嬉しくて千隼に飛びつきたいのに、それはできない。理性が必死に感情を抑え込もうとするけれど、綾の心臓は張り裂けそうだった。
「おめでとう」
「おめでとうって…… 千隼さんだって三位なんですからね。これから一緒に表彰台上がるんですからね」
「そうだね。でも三位になったのは綾ちゃんの実力だよ」
「そんなの全部千隼さんがおぜん立てしてくれたからで…… だから、だから……」
もう我慢が出来なかった。綾は思い切り千隼にしがみ付いて号泣した。それに驚いたさとみも今日ばかりは仕方がないかと苦笑いして嘆息する。
綾の背中をポンポンと優しく叩きながら千隼は感じていた。以前、自分はレースに楽しみを見出せていなかったと思っていたが、それは明らかな誤りだった。競争と緊張と焦りが常に彼女を支配していたあのライトニングフォーミュラ時代、千隼は正に充実していた。「季節料理 鷹花」での安らぎのひと時とは全く違う充足感。喜び。自分はやはりレースをするために生まれてきたんだと実感する瞬間だった。
歓喜して大騒ぎする彼女らの後ろ、腕を組んで立ち尽くすバシル・チームマネージャーの表情は、いつもとあまり変わらなかった。彼女にとって今回の順位は、長くて高い階段のごく小さな一段に過ぎなかったのだから。
▼用語
※ パルクフェルメ:
レース終了後にマシンが留め置かれる、車両を保管し検査を行う閉鎖された区域。上位三位のマシンが目立つ場所に披露され、その後全てのマシンは違反等がないか厳重な検査をするために移動される。この付近でドライバーがインタビューを受けることも多い。
【次回】
第51話 綾の決意、兆候
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