第45話 ビギナーズラック、お弁当

 勝負事となると、千隼が持つ生来の負けん気がフツフツとたぎってくる。しかし、どうにも運が向かない。対するさとみは次々に釣果を上げ、あっという間に三匹のマスを釣り上げていた。千隼は、辛うじて小さなマスを一匹釣っただけ。焦りが募る。


 その時、さっきの釣り堀のおじさんが、再び二人の元へと近づいてきた。釣果を見て、ひょうひょうとした笑顔を浮かべる。


「おお、こりゃお二人とも初めてにしちゃなかなかだなあ」


「ありがとうございます」


 さとみはにこやかに応じたが、千隼は必死になって釣りに集中していたので、それどころではなかった。竿を握る手にも力が入る。そんな千隼の様子を見て、おじさんは千隼のすぐそばに寄りニヤリと笑う。


「お嬢ちゃん、悔しかったら、騙されたと思って向こう岸ギリギリの、木の枝の下の影んとこ投げてみな。もしかすっと、もしかすっぞ」


「きゃあ! また釣れた!」


 隣で四匹目を釣り上げ、歓声をあげるさとみの声が、千隼の心に火をつける。負けていられない。おじさんに言われた通り、向こう岸の木陰を狙って竿を振った。


「やっ!」


 千隼の投げた針と餌が木陰の水面に落ちた瞬間、ぐぐっと強い引きがきた。竿が大きくしなる。


「ちーちゃん、大丈夫?」


 さとみが驚いた声を上げる中、千隼はぐっと力を込めて引き上げた。釣り上げた魚は、先ほどのマスとは明らかに違う。おじさんが、感心したように口を開いた。でもその言葉は、どこかしらわざとらしいように千隼には思えた。


「へえ、ヤマメだわこら。いやあ、ビギナーズラックってほんとにあるもんだなあ」


「ヤマメ? すごい! ちーちゃん、本当にすごいよ!」


 さとみは目を輝かせながら、はしゃいで千隼を褒め称えたが、千隼本人はまだ驚きから抜け出せていない。


「え、でも……これ、たまたまおじさんに言われた通りに投げただけで……」


 千隼はそう言いかけたが、おじさんはその言葉を遮るかのように、無言で親指をグッと立て、またもや大股でゆったりと去っていった。


「勝負は、ちーちゃんの勝ちだね。参りましたー」


 さとみは感心した様子で言った。


「え? でもあたし、二匹しか釣ってないよ。さとみは四匹も」


「うーん、マス一点、ヤマメ五点、かな?」


 そう言って、さとみはにっこりと微笑む。


「でも、あたし、ただおじさんの言う通りに投げただけだし……」


「でも、釣り上げたのはちーちゃんだよ。おじさんが投げたんじゃないでしょ」


 さとみの笑顔に、千隼も少しずつ納得していく。何となく誇らしい気持ちが心に湧き上がる。


 釣りを終え、釣果を捌くことに。さとみは包丁を手際よく使い、五尾のマスと一尾のヤマメを捌いた。キッチンペーパーに包まれた魚たちは、車に置いてあったクーラーボックスの中に大事にしまわれた。


 そして、少し登ったところにある小さな広場で、さとみ特製のお弁当を広げる。


「いただきまーす」


「おー、これ美味しい!」


手作りのおにぎりと、さとみが早起きして作ってくれたおかずが並ぶ。おにぎりを頬張る千隼の横顔を見ながら、さとみは嬉しそうに微笑んだ。楽しい時間が、ゆっくりと過ぎていく。


「ねえ、ちーちゃん」


「ん?」


「ヤマメ。あんなにすごいの釣れたんだから、もうこれからは釣り名人って呼ぼうかな」


「いやもうちょっと、勘弁してよ」


 千隼は少し照れながらも、内心はまんざらでもない。


 初夏の風が心地良く吹き抜ける中、二人はお弁当を楽しみながら、ささやかな幸せを感じていた。


【次回】

第46話 温泉、仲直り

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