第21話 さとみの選択

「別にあんたが、まるで目のないあの遥歌って子を追いかけ続けても、私は止めないわよ。好きにしなさい。自分の気持ちは、自分で決めるしかないんだから」


「志乃……」


 志乃は冷静な顔を崩さず、コーヒーカップを口に運びながら続ける。


「でもね、全然違うのよ。あんたの目が」


「目……?」


「そう。あんた、千隼と話してる時の目と、遥歌と話してる時の目が、違ってた」


「そんなことない……」


「いいえ、全然違う。千隼と話してる時、あんた、ほんとに楽しそうだったわ。まるで高二の生徒会で、大好きだった生徒会長と話してるみたいに。大恋愛だったじゃない。あの頃のあんた」


 志乃はさとみに視線を据えた。まるで、さとみの本心を見透かすかのように。


「でも、遥歌と話してる時は違った。楽しそうに見えても、全然違ってた」


 さとみは反論しようとしたが、言葉が出てこない。遥歌のことを思い出すと胸が切なくなる。でも、それは志乃の言う「楽しさ」とは別の感情だと、さとみは気づき始めていた。


「あんたのあの笑顔、彼女を繋ぎ止めようと必死だったんだもの」


 志乃の言葉に、さとみはわずかに顔を伏せる。


「うん…… そうかも。それでも、遥歌ちゃんのそばにいられればそれで良かった……」


「でもそれは、彼氏の役目」


「そう…… だよね」


 さとみの声は小さく消え入りそうだった。彼氏の役目。さとみはその言葉を噛みしめる。自分じゃない。私じゃないんだ。


「それにずっと知ってたでしょ? 遥歌が異性愛者ヘテロだってこと」


 さとみはうなずく。その事実を受け入れてもなお、心のどこかで諦めきれない自分がいた。それが、さとみの胸をずっと苦しめていたのだ。


「でも…… 彼女がそばにいてくれるだけで、私良かったの」


「違う。あの子のそばにいたいって気持ち、それってもう、あんたのエゴ、執着に過ぎないんだから。遥歌の気持ちはもう、彼氏の方に向いてるの。あんたはあの子の友達以上にはなれない」


 そう言う志乃の胸にも鋭い痛みが走る。


「……うん」


「だからさ、遥歌と話してる時のあんた、顔は笑ってても、目は全然輝いてなかったのよ。本当の笑顔じゃなかったの。自分で気づいてなかったの?」


 さとみは沈黙する。志乃の言葉が、重く心にのしかかってくる。自分は、遥歌への想いに囚われ続けていたけれど、それがもう過去のものだと今になってようやく理解できた。


「私……本当に、ばかだ」


「そうね」


 志乃は冷たい言葉で同意しながらも、どこか優しい目でさとみを見つめていた。


「どうしたらいいと思う……?」


 その時、脱衣所から大きな電子音が響いた。


「まずは服着て。それから、千隼に謝りに行くのよ。そして、本当の気持ちを言いなさい」


「本当の……気持ち……?」


 志乃は少し寂しげに笑う。


「そうよ。もう自分でも判ってるでしょ?」


 さとみは、自分の胸の中にあるものを確認するように、ゆっくりとうなずく。


「……私、ちーちゃんが好き」


 その言葉を口にした瞬間、さとみの胸に温かい何かが広がっていく。長い間心に押し込めていた感情が、ようやく形になった。砕けそうだったさとみの心のひびが内側からゆっくりと塞がっていく。

 だが、同時に、遥歌への想いが完全に消えたわけではないことにも気づいてしまう。彼女の無邪気な笑顔、共に過ごした日々。それらの記憶がまださとみの心の奥底に残っている。だけど、千隼への感情はそれとは違う。もう一度深く息をついて、さとみはその違いをはっきりと感じ取った。


「私は…… ちーちゃんが好きなの……」


 まるで確かめるように繰り返す。

 しかし、その時、志乃が浮かべた悲しげな笑顔には気づかない。


「じゃあ、さっさと行ってきなさい。そして、自分の気持ちを伝えるの」


「受け入れてもらえるかな……?」


「もちろん。あんたの知ってる千隼なら、いつまでもあんたを待ってるわ。違う?」


「……うん」


 さとみは志乃の言葉に背中を押されるように立ち上がる。


「乾燥も終わったから、さっさと服着て行ってらっしゃい」


「でも、どこに行けば……?」


「『鷹花』に決まってるでしょ。彼女、きっとあそこでぼーっと突っ立って、いつまでも待ってるわよ」


「そうね…… 急がなきゃ」


 さとみが支度を整えると、志乃が傘を差しだす。


「ほら、まだ降ってるから」


「ありがとう。借りるね」


「今度『鷹花』に取りに行くからよろしく」


「うん、色々ごめんね」


 受け取った傘から、ほんのりと志乃の体温が伝わってくるような気がした。

 志乃から傘を借りてマンションを後にする。玄関を出た瞬間には、もう足が勝手に駆け出していた。息を切らしながら、さとみは「鷹花」に向かって全速力で走っていった。早く。一刻も早く千隼のもとへ駆けつけるために。

 息が苦しくなる。汗が額から流れ、手汗もかいて傘が手から滑り落ちそうになる。何度も歩行者や自転車とぶつかりそうになった。それでもさとみは走り続ける。もし間に合わなかったら。呆れた千隼がもう「鷹花」から立ち去ってしまったら、もう二度と自分の気持ちを伝えられないかも知れない。その恐怖が更にさとみを焦らせ、さらに速度をあげる。彼女の頭の中にはあの時の真剣な千隼な眼差しだけがあった。


 さとみが志乃のマンションを出た直後、志乃はマンションのドアに向かって呟いた。


「がんばれ……」


 そして少し泣いた。


【次回】

第22話 千隼とさとみ

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