第10話 特別な存在
さとみは手際よく串を焼き上げ、大皿を持ってカウンターまでやってくる。そのもう片方の手には大瓶のビールを二本、器用に持っていた。大皿とビールをカウンターに置くと、さとみは千隼の隣の席にすとんと腰かけた。
「はい、どうぞー」
大皿には、二十本はあろうかという串が並んでいる。すべてが塩焼きだ。
「ちーちゃん、塩派でしたものね」
「え、ええ、でもこんなに……」
千隼は自分の好みをしっかり覚えていたさとみに感心するよりも、その大量の串にただ驚いた。
さとみは小さく笑いながら説明した。
「実はこれ、明日捨てなきゃいけないものなんです。だから私、いつもそういうのを晩御飯代わりにしてるんですよ。フードロス削減、ですか? そう考えたら、罪悪感もなくなるでしょ?」
「う、うん……まあ」
千隼は、曖昧に答えるしかなかった。
「ね、冷めないうちにいただきましょう。はい、手を合わせて、いただきます」
さとみは手を合わせると少しおどけて言い、やげんを手に取りコリコリと音を立てて噛み砕いた。千隼もつくねにパイナップルが乗った串を手に取って、不思議そうに見つめた。
「これって……」
「あ、それは『ハワイアンつくね』です。ハワイで大流行中なんですよ」
「え、そうなんですか?」
「うふふ、うそです」
「なんだ、うそか……」
やけくそ気味に「ハワイアンつくね」をかじってみると、胡椒が効いたつくねの塩味が意外にも、パイナップルの甘みと酸味にマッチしていた。
「意外と……美味しい」
「意外は余計ですー」
ちょっとふざけた口調のさとみと目が合うと、満面の笑みを浮かべていた。千隼も思わず微笑む。なんだか涙が出そうだった。ここ六年で一番心が温まった瞬間だった。
そのあとは、ビールを注ぎ合いながら、他の常連客や互いの地元の話題をぽつりぽつりと語り合う。千隼は、レースの話が出なくてほっとしていた。今は、ただこの小さな野花のようなさとみとのささやかな時間を楽しんでいたかった。
小さな宴は一時間半ほど続き、串が食べ尽くされると、やはり消費期限が近いという理由で、さらに様々な肴が並べられた。
「はー、食べた食べた、飲んだ飲んだ」
さらに一時間後、さとみが大げさに薄いお腹をさするのにつられて、千隼も笑う。ここに通うようになってから、ほんの少しずつだが千隼に笑顔が戻りつつあった。
「あたしも、です」
さとみは少し照れくさそうに、でもいたずらっぽい目で千隼を見つめた。
「もしよかったら、こういうの、またお願いしてもいいですか?」
「え? 本当に? あたしなんかでいいんですか?」
さとみは優しく微笑んだ。
「はい、その『あたし』だからいいんです。だめですか?」
千隼の胸に甘い喜びがじわりと湧き上がってくる。さとみにとって、何か特別な存在になったのだろうか――そう思うと、胸が熱くなった。
「もちろんです。あたしで良ければ、喜んで」
「よかった……」
さとみはほっとしたような表情を浮かべ、そそくさと厨房で洗い物を始める。どこか満足げな笑顔を浮かべるさとみの姿を見つめながら、千隼も心穏やかで満たされた気持ちになっていた。この日から千隼は「季節料理 鷹花」の「特別な常連」となった。
【次回】
第11話 スーパー銭湯での思わぬ出会い
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