大きな愛②


「……だからキスしなかったの?」


「あぁ」


「抱き締めなかったのも?」


「あぁ」


「私のこと、好き?」


「何だと?」


 問い掛けに、コータ先輩は驚いた顔で髪を拭いていた手を止め、



「好き?」


 ジッと見つめる私に、「何だ、それ」と小さく笑う。



「好きじゃない?」


「好きでもねぇ女にここまでする男がいるかよ」


 そう答えたコータ先輩の顔はとても真剣で、その表情を見て一気に湧き上がってきた愛おしさに、私は毛布から両手を出し、その頬に触れた。



「コータ先輩、好きよ」


 はらりと毛布が落ちた体を隠しもせず、自ら唇を重ねて微かにあった隙間から舌を入れると、コータ先輩の手が私の腰に回り、グッと引き寄せる。



 幾度となく唇を合わせ、生々しいキスの音が部屋に響き、お互いの体温が上がっていく。


 息をするのを忘れるくらいに求め合い、十分に舌を絡ませ合った後、コータ先輩は唇を離し、私を抱き上げベッドに連れていった。



 私をベッドに寝かせてから服を脱いだコータ先輩の、筋肉質な肉体にドキリとする。



 覆いかぶさってくるコータ先輩の艶めかしい表情に、ドクンと大きく胸がなる。



 そしてそれと同時に頭によぎるのは、申し訳ないと思う気持ち。



 コータ先輩は今までどんな気持ちで私を見守っていてくれたんだろうと、その胸中を思うと胸が痛くなる。



 うるさいくらいに「恥じらいを持て」と言っていたのが、我慢出来なくなるからだと知り、ずっと我慢させてしまっていたことを申し訳なく思う。



「樹里」


 私をしっかりと見つめながら名を呼んだコータ先輩は、



「抱くぞ?」


「うん」


 私がそう返事をすると、優しくキスをした。



 そして重なった唇を離し、ゆっくりと首筋に移動させ、



「やべぇ……風呂上りの匂いがまたエロい」


 耳元でそう呟くから、私はクスクスと笑った。





「お前さ?」


「うん?」


 情事の後、まだ全身が痺れて力が入らない体を毛布に包ませている私に、コータ先輩は煙草を吸いながら「初めて?」と小さく笑う。



 そして、「何が?」と聞き返した私に、「イッたの」と楽しげに笑いながら煙草を消して隣に寝転がると、毛布の上から私を抱き寄せた。



「……うん。そうかも」


「そうか。俺のテクに溺れたか」


「バカ」


「『コータ先輩大好きぃ』って言ってたぞ」


「言ってないっ」


 恥ずかしさから手元にあった枕でコータ先輩の顔を叩くと、コータ先輩は当たった枕を手で避けて、



「でも、俺のこと好きなんだよな?」


 更に強く私を抱き締め、耳元で囁く。



「うん」


「イッちゃうくらい好きなんだよな?」


「それ、意味分かんない」


「バカ。そんなに好きでもねぇ男とヤってもイカねぇだろ?」


「そんなに経験ないもん」


「っぽいな」


 そう言ったコータ先輩は私の頭を撫で、「初めて会った時さ」と呟いた。



「うん?」


「コンビニで会ったの覚えてるか?」


「うん」


「俺、お前見て『うわっ、こいつ小さくて可愛ええ』って思ったんだよ」


「嘘」


「マジマジ。って言ってもペット感覚な? 子犬見て可愛ええって思う感じ」


「ペットとか最悪……」


「俺がちょっと近付いたら、お前怖がったろ? それ見て、何だよコイツって思った」


 声を出して笑うコータ先輩の楽しげな話し声が寝室に響き、



「野生の勘で危険だと察知したんだよ」


 一緒になって笑った私の言葉に、コータ先輩は「何だと、この野郎」とじゃれ合うように私の頭を手でグリグリと押す。



 そして、「痛ぃぃ」と再び笑った私の言葉にその手の動きを止めると、



「で、繁華街で会った時、俺びっくりした」


 またゆっくりと話し始めた。



「うん?」


「死人みたいな顔して歩いてるお前見てのびっくりした」


「そんな顔してた?」


「してた。俺びっくりして思わず声掛けたんだよ」


「そうだったんだ」


「完全に目ぇ死んでたな、あの時のお前。薬やってんのかと思ったよ」


「してないよ」


 その言葉にコータ先輩は「分かってるよ」と笑い、私の背中を優しく撫でる。



「結局、そんなお前ほっとけなくてずっと一緒にいただろ?」


「うん」


「最初は、ただ心配でほっとけねぇって思ってたんだよ」


「うん」


「毎晩毎晩、死人みてぇな顔して繁華街来るしさ。危ねぇから俺のとこ来いっつってもお前来ないから、お前が繁華街来るくらいの時間に、後輩に出入り口全部張らせてお前が来たら連絡来るようにしてたんだよ」


「それ、本当だったの?」


「そうだよ」


 少し得意げにフッと笑ったコータ先輩は、



「全然知らなかった」


「しかも、よくよく聞いてみりゃ公園に住んでるとか言いやがるし! 俺は、あれ聞いてマジでビビったぞ」


 当時のことを思い出したのか声を出して笑った。



「仕方なかったんだもん」


「コイツ何がつらくてこんな顔してんだろうってずっと思ってたんだよ」


「うん」


「初めてこの家来た時覚えてるか? 一日半以上お前が寝てた時」


「うん。覚えてる」


「あん時さ? マジで起きねぇから死んでんじゃねぇかって何度も息してるか確かめたのな?」


「うん」


「お前、寝言で『直人』って言いながら泣いてた……」


 突然コータ先輩が低い声を出して黙り込んだ所為で、部屋の中が一瞬にして静まり返る。



 だからといって何を言えばいいのか分からず黙っていることしか出来ない私に、コータ先輩はチュッと音を立てておでこにキスをすると、



「そん時、俺は『あぁ、コイツ直人のことで落ち込んでんだ』って思った訳だ」


 口調と声色をいつものように戻して話を続けた。



「……うん」


「まぁ俺にはお前が直人と何があって、どういう経緯で公園に住んでんのかは分かんねぇけど、とりあえずほっとけねぇって思ったんだ」


「……ん」


「あれだな、捨て犬拾った気分だな」


「またペット扱い、最悪」


「それから毎日一緒にいただろ?」


「うん」


「俺、お前の純粋さにマジでビビった」


「純粋さ?」


「気持ちが? ってか心が? 何か真っ白って感じ」


「そう?」


「うん。俺の周りみんなスレてる奴らしかいねぇから余計にそう思うのかもしれねぇけど」


「うん」


「そんなお前にどんどん惹かれて『コイツのこと幸せにしてやりてぇ』っていつしか思った訳だ」


「そうだったんだ」


「そんくらいの時、俺気付いちゃったんだよな」


「何を?」


「……お前がそうでいられるのは、直人をずっと想ってるからだって。直人のことだけ想ってるからスレないで真っ白なままでいられるんだって気付いた」


 それまでクスクスと笑いながら話していたコータ先輩が、少し寂しそうな声を出すから、私は何も言えず、



「それ気付いた時すげぇヘコんだ。コイツには直人しかダメなんだって思うとすげぇイライラして……お前に無理矢理キスしちゃったし」


 声が小さくなっていくコータ先輩を、ギュッと抱き締めることしか出来ない。



「お前抱いた時もすげぇヘコんだよ。お前最初の時うんともすんとも言わねぇんだもん。顔見たら目ぇ力いっぱい閉じて泣いてるしさ……」


「……」


「しかも挿れようとしたら『やだ』って言い出すし、終わって寝てりゃ寝言で『直人』って言うし。俺のプライドずたぼろだぞ?」


「……ごめん」


「正直、あん時にもう関わんのやめようと思った。一応、顔通しとけばお前一人でも危なくねぇだろうって思って顔通しに連れてったんだよ」


「そうだったんだ……」


「んでも、クラブ連れてった時……人に埋もれてるお前見て『やっぱほっとけねぇわ』って思ったんだ」


「……うん」


「そこから俺は踏ん切ったよ。とりあえずコイツの傍にいて守ってやろうって思った」


「……うん……」


「なのに……」


 そこまで言って突然言葉を切ったコータ先輩の顔を覗き込むと、その目は真っ赤に充血し、私に向けられている。



「なのに年明け、お前おかしくなった……」


 そう言って私を力一杯抱き締めたコータ先輩の体は、少しだけ震えているように思えた。



「俺……マジでお前死ぬんじゃねぇかと思った。守ってやりてぇのに何も出来ねぇ自分に腹が立った。衰弱していくお前見て苦しかった」


「……ごめんなさい」


 自分のしたことがどれほどコータ先輩を傷つけたのか、事の重大さを知らされ、涙が溢れてくる。



 こんなにも私のことを想ってくれる人を傷つけてしまったという後悔の念が、次から次へと湧き上がってきた。



「俺、お前がリンゴ食ってる姿見た時、マジ泣きそうになった」


「……ん」


「それから毎日願ってた。お前が早く直人忘れて俺のこと好きになればいいって。そしたら絶対ぇ幸せにしてやるのにって」


「……ん……」


「お前から『眠れない』って電話あった時、俺めちゃめちゃ嬉しかった。俺の過去聞きたがった時も、やっと俺の方見てくれるようになったって思って嬉しかった」


「……んっ」


「今日、お前に『好きだ』って言われた時、俺マジで死んでもいいって思ったよ」


 コータ先輩は泣いている私の顎を指でしゃくり、自分の方に向かせると、



「樹里。絶対ぇ俺が幸せにしてやる」


 甘く囁き深く熱いキスをした。





 どれほど愛され、どれほど深く想われていたのかを知った私は、その愛の大きさを実感し、これが幸せってものなのかと思った。

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