消えぬ想い②
「樹里だ!!」
こっちを指差す大きなハルの声に、みんなの視線が一斉に私を捕らえる。そして私に向けられるのは、
「樹里ちゃん、久々じゃん!!」
「元気かよ?」
「何してんの、早く入れって!」
変わらないみんなの態度。
それが凄く嬉しくて、いつでも私を受け入れてくれるこの場所が本当に嬉しくて、思わず綻んだ顔は――すぐに強張った。
視界の端で捉えたのは、みんなの輪の中にいる直人。
視軸が合ってなくてはっきりとは見えないけど、直人がこっちを見ている気がして、胸がチクリと痛んだ。
だけどもう気にしないでおこうと、直人の方を見ないようにして部屋の中に入り窓際に目をやると、ピンクの座布団がまだきちんと置かれていて、それをまた凄く嬉しく思った。
杏子と窓際のいつもの場所に座り、買い物袋から布や刺繍糸やソーイングセットを取り出す。
すぐに作業に取り掛かり、布のサイズを測り始めると、「何してんだ?」とみんなが興味深そうに寄ってきた。
「文化祭でさぁ? うちのクラスたこ焼き屋するから暖簾作れって言われちゃったよ」
愚痴っぽく説明する杏子に、「協調性を養いなさい」と笑ったヨウちんは杏子の頭を撫でる。
途端に杏子の顔が赤くなり、それを見てクスクスとながら、あぁ、やっぱりいいな――と、私は溜まり場の居心地の良さを改めて感じた。
「暖簾の文字って刺繍すんの? 普通は文字貼り付けるんじゃねぇの?」
「私もそう言ったんだけど、杏子が刺繍にするって……」
ケンちゃんの質問に答えながら、チラリと杏子を横目で見やると、
「当たり前! アタシがやるからには、格好いいもん作るんだ!!」
杏子は張り切った声を出し、ブレザーを脱いでシャツの袖をめくった。
それから始まった作業の間、みんな私達の周りに集って、「文字が曲がってる」だの「字がヘタクソ」だのと口々に文句をつける。
暫く無視して作業を続けていた杏子も、最終的には堪忍袋の緒が切れたらしく、
「みんな、うるせぇ!!」
半狂乱になっていた。
「ケンちゃんのクラスは何やるの?」
杏子の雄叫びを無視して口にした私の質問に、「俺らのクラス?」と一瞬きょとんとしたケンちゃんは、
「え……っと、何だったかな? 直人、何だっけ?」
突然直人に話を振る。
直後に聞こえた「知らね」という直人の声は、私の右隣からのもので、直人が隣にいた事に気付かなかった私の体が思わずビクッと震えた。
夜が更けてくると、杏子のイライラは絶頂に達し、
「無理無理無理! 今日はもうやめだ!!」
そんな雄叫びと共に、その日の暖簾作りは終了した。
それをきっかけに、パラパラと何人かが帰り始め、杏子は疲れ切った様子で「文化祭までに死ぬかも……」と、ブツブツ言っていた。
そんな――本人曰く――瀕死の杏子は、
「ケン……アタシ花火したい……」
思い付いたようにそう口にする。近くにいたケンちゃんはすぐにそれに反応し、
「花火だぁ? んなもんあったか?」
「花火、向こうになかったっけ?」
ハルが壁の向こうにある隣の部屋を指差した。
「あぁ、あった気がする」
ハルの言葉にコウが賛同すると、「んじゃ、見てくるわ」とケンちゃんが部屋を出ていく。
その数秒後に隣の部屋から、「くっせぇ」というケンちゃんの声が聞こえた。――そして。
「ロケット花火しかない」
数分してから戻ってきたケンちゃんの手に握られていたのは、沢山のロケット花火。
当然、「何でロケットしかないんだよ!」と杏子が散々愚痴ったけど、花火をしようとみんなで部屋を出た。
プレハブ前の空き地に大きな石を並べ、ロケット花火を立てる。
ピューッという花火の音が、工場地帯に響き渡った。
みんながみんなそれぞれに楽しそうで、最初は「ロケット花火なんて嫌だ」と言っていた杏子も、ヨウちんとはしゃいで楽しそうにしていた。
そんな中、ケンちゃんはみんなの輪から少し外れ、一人で花壇のブロックに座っていた。
一見、ぼんやりとみんなを眺めるようにこっち向けられるケンちゃんの視線。
でもその目は――杏子を追ってる。
それに気付いてしまった私が、「ケンちゃん」と近付き声を掛けると、ケンちゃんは「おぉ、樹里ちゃん」と、その視線を私に移し、
「隣……いい?」
その問いに、どうぞどうぞ――と、自分の右隣をポンポンと叩いた。
「樹里ちゃん、どうしたん? 疲れちゃった?」
「うん。平気」
ケンちゃんの隣に腰を下ろすと、みんながロケット花火を持ってはしゃいでるのが見える。
その中にはヨウちんの隣で楽しそうに笑う杏子の姿もあった。
「樹里ちゃん、ありがとね」
「うん?」
「杏子と仲良くしてくれて」
徐に口を開いたケンちゃんに目を向けると、ケンちゃんはその声色同様優しく笑う。
「私が仲良くしてもらってるんだよ」
そしてそう返した私に、「アイツと俺、幼馴染なんだ」と、ケンちゃんは、みんなの方を見つめたまま口を開いた。
「アイツ、昔っから気ぃ強くてさ。思った事なんでも口に出すから、女友達って少なくて。いっつも俺らとツルんでるから、余計に女友達出来なくってさ」
言いながら、ケンちゃんはポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
ライターの火に照らされたケンちゃんの横顔はとても寂しそうだった。
「アイツ、バカだけどさ。これからも仲良くしてやって」
言って、ポンと軽く叩かれる頭。その手の優しさに涙が出そうになる。
――ケンちゃん、ごめんね。ケンちゃんの事大好きだけど、私はやっぱり、杏子の恋を応援してしまうよ。杏子の好きな人が、ケンちゃんなら良かったのに……。
ロケット花火の発射音が工場地帯に虚しく木霊した。
花火を全て使い切ると、みんなゾロゾロと部屋に戻り、杏子はすぐに「そろそろ帰るさ」と、鞄を手にした。
「あ、私も帰る」
窓際に置いてあった鞄を取りにいく私に、「んじゃ、外で待ってるね」と、靴を履いた杏子は先に部屋を出ていく。
私は急いで鞄を手に取り、散らばっていた布と刺繍糸をまとめて部屋の端っこに置くと「おやすみ」とみんなに言って部屋を出た。
階段の所まで行き、下を覗いて杏子の姿を探すと、そこに杏子の姿はなく――その代わり、夜の暗闇の中に金色のツンツンした髪が見えた。
――直人。
ドキドキと胸が大きな音を立て、手足が震え始める。
緊張で体が強張り、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
手すりに捕まって階段を降り始めた私の足音に気付き、直人がこっちを見上げて階段に近付く。
階段の電灯が直人の顔を照らし、久々に見た直人の顔にドキリとする。
「杏子、先帰ったから」
「……分かった」
掛けられた声にそう返事をして、俯き加減で直人の横を通り過ぎようとした時、突然直人が私の腕を掴んだ。
思わずビクリと震えた私は、
「……何?」
直人の方を見ずに小さく呟いた。
「ケンが好きなのか?」
「……ケンちゃん?」
低いトーンの直人の問いに、きょとんとする私に、
「ケンはやめとけよ。あいつ好きな女いる」
直人は訳の分からない事を尚も低い声で口走る。。
「うん。知ってる……」
「そうか」
「別に好きとかじゃないし……」
「そうか……」
「うん……」
それで終わりかと思ったのに、直人は私の手を離そうとしなかった。
でも特に何かを言う訳でもなく、黙ったままギュッとその温かい手に力を入れる。
あの日以降初めて触れた直人の手は、とても懐かしく、とても愛おしい。その手の温もりに胸がギュッと締め付けられる。
「……樹里」
私の名を呼ぶその声に涙が出そうになる。――けど。
「……ごめんな」
直後にポツンと呟いた直人の謝罪に目の前が真っ暗になった。
眩暈がする程の痛烈な言葉は、まるで足元から奈落の底へと落とすようで、
「何が?」
問い掛けた私の声は震えていた。
本当はそんな事聞きたくない。
でも「何が?」と言ってしまった。
鼓動が速くなり、今にも吐きそうになる。
そんな私に浴びせられるのは、
「……夏休みの事。ずっと謝ろうと思ってた。ごめんな。俺――…」
更に痛烈な言葉だった。
直人の言葉が途中で途切れたのは、私が手を振り払ったからで、
「いい。気にしてない」
そう言ったのは私の精一杯の言葉。
もうこれ以上何も聞きたくない。聞く必要なんてどこにもない――と、
「樹里、俺さ――…」
「体調が悪いの。帰るね」
まだ何かを言おうとする直人の言葉を遮り、フェンスに向かって歩き出した。
――吐き気がする。頭がクラクラする。
「樹里、送るよ……」
追ってきた直人の声に、
「いらない!」
叫んだ私の声が深夜の工場地帯に響いた。
……ねぇ、直人。
私がこの時、あなたの話をちゃんと聞いていたら、私の幸せな時間はもう少し長いものになっていましたか?
私はあなたの温もりを少しだけ長く感じてられましたか?
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