処女①
夏休みは毎日杏子と遊んだ。
駅前をプラプラしたり、溜まり場に行ったり。
曜日の感覚が無くなる程、毎日同じような事の繰り返しだったけど、不思議と飽きる事はなかった。
お盆前には十五人くらいで海にも行った。
杏子はヨウちんと楽しそうだった。でもやっぱり直人は海には来なくて、杏子に聞いた話の感じじゃ毎日彼女と会ってるらしかった。
私は何となく直人と距離を置くようになっていた。
距離を置くと胸の痛みは薄れていき、日に日に直人への想いも薄れていくようだった。それが真実だろうとどうだろうと、このまま会わずにいれば忘れられると、漠然とそう思っていた――のに。
世間がお盆に入った頃、私にとって大きな事件が起こった。
その日の昼前、駅前で遊ぶ約束をしてた杏子から『墓参りで田舎に行くから、今日遊べなくなった』と、電話が掛かってきて、急に予定が事がなくなった私は、溜まり場で漫画を読む事にした。
エアコンの無い溜まり場は、日中人が少ない。
蒸し暑いプレハブの中より、外の方が幾分か涼しいから、みんな夕方になると集まって来るって感じだった。
そんな蒸せるような暑さの、真っ昼間の溜まり場のドアを開けると、学校の違う、顔だけは知ってる男の子が二人いた。
一人は汗だくになりながら布団にうつ伏せで寝ていて、もう一人もTシャツをパタつかせながら、寝転んで本を読んでいた。
二人に適当に挨拶をし、本棚から漫画の続きを手に取ると窓際に座った。
じっとしていても、額から汗が噴き出てくる。
額の汗が頬を伝い、首筋に流れていく。
それでも私はハンドタオルを握り締め、時折汗を拭きながら、漫画を読み続けた。
どれくらいそうやって漫画を読んでいたのかは分からない。暑さで頭がぼんやりとして、読んでいる漫画の内容がちゃんと頭に入ってきているのかさえも分からなかった。
多分、二時間か三時間が経った頃だと思う。
突然、バタンとドアを開く音が聞こえ、読んでいた漫画からドアの方へ視線を向けると、直人がいた。
直人は靴を脱いで中に入ってくると、寝転んで雑誌を読んでいた男の子に近付いて声を掛ける。
そして二人は楽しそうに笑い始め――…私には関係ないと、私は漫画に視線を戻した。
でも、関係ないと思っても直人の笑い声が耳につく。
直人が少しでも動く度、いつものように隣に来るんじゃないかと思ってしまう自分がいた。
だけど直人はその場から動く様子はなく、ずっとその男の子と話をしていた。
だからもう気にするのはやめようと、読み終わった漫画の続きを取りに本棚に行った。読んでいた漫画を棚に戻し、次の巻を取り出そうとして、
――ない。
それがない事に気が付いた。
数日前にはあったはずなのに。
新しい漫画を読み始める前には、全巻揃ってるのか確認してから読むようにしてたのに、何故か続きの巻がない。
でも絶対にどこかにあるはずだと、違う段も探してみたけど、やっぱり続きは見当たらなかった。
どこに行ったのかと思ったその時、
「樹里、どした?」
突然背後から、直人に声を掛けられた。
振り向かなくても分かる直人の声に体が強張る。
「……続きがない」
「どれの続き?」
「これ」
「あー…これか。これ、俺の家にあるわ」
言いながら、直人は後ろから手を伸ばし、さっきまで私が読んでいた漫画の本に触れる。
その距離の近さが落ち着かない。
ザワザワと、胸が――。
「そうなの」
「この間、持って帰ったんだよな」
「そっか」
一度も直人の方を見ないで答えた私は、窓際に戻りそこに置いてあった鞄に手を伸ばした。
――帰ろう。
このままここにいても仕方ないと――むしろ、いない方がいいだろうと思った直後、
「うち来る?」
直人の声が届く。
え?――と、思わず振り返った先。
「続き、読みに来る?」
直人は当たり前のようにそう言った。
そんな事は大した事じゃないと、そこに意味はないんだという風に、悪びれもなく口にした。
その言葉に、
「……うん」
どうしてそう答えてしまったのか自分じゃ分からない。
強いて言うなら無意識だった。
頭で考えるよりも先に、口が勝手に「うん」と返事をして――…直人は黙って私の手を取り、部屋を出た。
灼熱の太陽が私達を照らす。蒸せる様な暑さに、私の手を握る直人の手が少し汗ばんでいた。
直人は階段下に置いてあった原付に乗り、後ろに乗れ――と目で合図する。
言われるままに原付の後ろにまたがって直人の腰に手を回すと、セブンスターの香りがした。
――夏の暑さと直人の匂いに、頭の中がクラクラする。
着いた――と、直人が原付を止めたのは、溜まり場を出て十分くらい走り、見慣れない景色ばかりが目に付き始めた頃。
一軒家が建ち並ぶ住宅街の真ん中で原付を止めた直人は、その中にある一つ家の駐車場に、原付を置いた。
「こっち」
直人に言われるがままに後をついて行くと、直人はすぐに玄関の鍵を開けて中に入る。
入った正面に階段。
その階段の横には廊下があって、突き当たりにドアがあった。
「先に二階上がってて。一番奥が俺の部屋だから」
直人はそう言うと、そのまま廊下の突き当たりのドアの向こうに消えていく。
玄関先で一人ぼっちにされた私は、「お邪魔します……」と小さな声で言いながら、靴を脱いで階段を上った。
二階には部屋のドアが二つ。
言われた通り奥のドアを開けたそこには、男の子の部屋があった。
余り物がない。
床にCDや雑誌が無造作に置かれ、部屋の中央にある、丸いガラステーブルの上には、灰皿とセブンスター。
ベッドの脇にあるサイドテーブルには、男物のアクセサリーが置いてあった。
どこに座っていいのか分からず、ベッドの近くに腰を下ろした私は、何だか落ち着かない気分だった。
男の子の部屋に入るのは初めで、しかもそれが直人の部屋だから余計にソワソワしてしまう。
余りジロジロと見ない方がいいだろうと思いながらも、部屋の中を見回してしまう。
挙動不審にキョロキョロしていると、ドタドタと階段を上がってくる足音が聞こえ、その数秒後に部屋のドアが開き「暑ぃ」と、直人が入ってきた。
「麦茶しかねぇけど、いい?」
「うん。ありがとう」
麦茶の入ったコップを二つ持っていた直人は、それをテーブルに置いて、エアコンのスイッチを入れる。
ブーンというモーター音と共に、エアコンから涼しい風が流れてきた。
体中の汗がゆっくりと引いていく。その涼しさに思わずホッと息を吐いた。
「こんな暑い日にケンとこに居たら死ぬぞ」
笑いながらそう言った直人に「うん」と答えると、直人は「ほら。これだろ?」と私に漫画を差し出してくる。
受け取ったその漫画は、さっき読んでた続きの巻で、
「うん。ありがとう」
私はすぐに漫画を開いた。
ベッドに寄り掛かって漫画を読み始めた私の右隣に、直人は少し離れて座ると手近にあった雑誌を見る。
部屋の中にパラパラとページをめくる音だけが響き、私は少し緊張した。
男の子の部屋に二人きり。
しかもその相手が直人ともなると、自分ではコントロール出来ない感情と緊張感が生まれる。
全身の神経がピリピリとしてるような感覚だった。
雑誌のページをめくる。
煙草に火を点ける。
灰皿に手を伸ばす。
直人が少し動く度に、ドキドキとする。
その緊張がピークに達したのは、
「――なぁ」
漫画を読み始めて一時間程が経ったッ頃、それまで口を開かなかった直人が突然離し掛けてきた時だった。
「何?」
漫画から目を逸らさず返事をした私に、
「何で来たの?」
攻めるような直人の声。
「何が?」
「何で俺の家来たの?」
「漫画読みに」
決して漫画から目を離さず――…離さないというよりは離せずに、答えた私の中には何故か直人の方を見ちゃダメだという思いがあった。
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