歴史が答えを出す周期

森本 晃次

第1話 未来への課題

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年11月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。全作品と、似ているところが多いが、まったくう別の作品となります。今回の日本と世界の発想に関しては、若干違っているとすれば。それは、「パラレルワールドの世界だとお考え下さい。


 令和5年の年末近くになると、世界情勢はあわただしくなってきた。

 数年前から引き続きの、

「世界的なパンデミック」

 さらに、世界の紛争も激化していき、元々燻っていた地方の戦争が勃発したかと思うと、その1年後には、半世紀前からの問題だった地域において、本格的な攻撃が起こり、戦争状態に突入していた。

 これらは、平成の時代から、

「解決してこなければいけない問題だった」

 と言ってもいいだろう。

「世界的なパンデミック」

 もそうである。

 21世紀になってから、

「世界で流行した伝染病」

 というのは、数年周期で起こってはいるが、幸か不幸か、今まで日本において、大流行ということはなかったので、政府もさほど大きな問題とはしていなかった。

 とりあえず、流行した時に発令する、

「緊急事態宣言」

 なるものを、政府として法案を通し、

「法律として確立しておけばいい」

 というくらいに考えていたのではないだろうか?

 これは、勝手な一国民の、

「政府を見た目」

 ということで、無責任な考えかも知れないが、見ている限り、

「法律を作ったんだから、これでよし」

 ということで、

「もし、パンデミックが起こっても、緊急事態宣言を出せば、それで何とかなる」

 というような、楽観的な考えだったのではないだろうか?

 もし、そうだとすれば、これを、

「平和ボケ」

 と言わずして何というか、その数年後、

「日本の近くで有事が起こるかも知れない」

 ということで、

「防衛費をねん出するための増税」

 というのを、やたら言い始めて、国民に戦争機運を煽るようなことをする政府は、

「ソーリが違うとはいえ、同じ政党じゃないか」

 ということで、

「同じ政党でここまで掌を返すというのは、どういうことだ?」

 と言ってもいいだろう。

 あれだけ、

「平和ボケだった政府が、煽るのだから、どっちが本当なんだ?」

 と考えるが、結論として、

「どっちも本当かも知れないが、どっちも嘘だということの裏返しでしかない」

 と言えるのではないだろうか?

 そんな時代は今に始まったことではない。

 同じ政治家が、時間が経てば、前に言っていたいたことと、正反対のことを言いだすなどということは、今に始まったことではない。

「掌返し」

 ということなのか、

「二枚舌」

 ということなのか、

「だから、政治家のいうことは信用できない」

 ということになるのだ。

 そのいい例が、

「世界的なパンデミック」

 が、日本にも大いなる影響を与えた数年前、外国で開発されたワクチンを、日本は輸入して、国民への接種を呼びかけたのだが、国民の多くは、

「そんな臨床検査も、どこまであてになるか分からないものを接種しろと言って、接種するリスクと、接種しないリスクを天秤に架けなければいけない状態で、誰が接種するというのだ?」

 という人が多かった。

 政府としては、

「ある程度国民の人数分を輸入しているので、接種率が減ると、余ってしまって仕方がない」

 ということになる。

 しかも、途中で、海外から入ってくるワクチンが滞ってしまい、せっかく、接種がスムーズだったものが、接種待機組が多くなって、政府の信用は失墜した。

 そんなところで、

「スムーズに摂取できる」

 というような話をしていた政府がこの体たらくで、

「政府のいうことはあてにならない」

 ということになり、いよいよ、

「接種拒否」

 の人が増えてきた。

 焦った政府は、

「何かあった時は国が保証する」

 ということをいい始めたのだが、最初こそ、

「政府はあてにならない」

 と言っていた人の中から、

「それなら打ってもいいか?」

 という人も出てきた。

 それだけ、接種に関しては、

「気持ち得t気に半々」

 という人が多かったということだろう。

 もちろん、ワクチンを

「リスクしかない」

 ということで、反対運動を繰り広げている人がいるが、それが一種の抑止力のような形で、

「どっちがいいのか?」

 と言って、戸惑っている国民を、

「ワクチンを打つ」

 という方向に向けさせることを、難しくした。

 それは、どうしても、政府が、その誠意を見せないからだ。

「誠意」

 というのは、何もお金だけではなく、

「責任」

 というものだ。

 政府が、

「保障する」

 といったということは、それは、

「政府が責任を持つ」

 という言葉の裏返しだということになるのだろう。

 だから、接種する人も増えてきて、順調に摂取が続いていた。

 しかし、さすがに、1億ちかくの人間が接種するのだ。そのうちのどれくらいかは、何かの異常があってもしかるべきなのかも知れない。

 手術にしても、投薬にしても、相手が人間であり、人間の一人一人で体質も違うのだから、

「万人にすべて有効」

 ということはないだろう。

 それを思うと、

「すべての人間が、何もなくうまくいく」

 ということはないというのは、ある意味、暗黙の了解というものであろう。

 だから、ワクチン反対派というのも、

「絶対にワクチン反対」

 ということではないのだろう。

「接種するのであれば、それなりの知識と覚悟をもって接種しなければいけない」

 ということを、もっと国家も訴えなければいけないし、

「もちろん、臨床試験を平行して行う」

 ということも、大切なことであろう。

 それを考えると、反対派というのは、

「接種するなら、覚悟をモテ」

 と国民に言いたいのと、政府には、

「リスクがあることも、ちゃんと国民に熟知させる必要がある」

 ということである。

「保障するしない」

 というのは、それ以降の問題ではないだろうか。

 だから、反対派というのは、政府に対して怒っているのではないかと思うのだった。

「国民も、政府も、どっちも平和ボケだ」

 と、反対派の人の中には、そう思っている人も多いことだろう。

 日本が、

「平和ボケ」

 と言われるのは、まず、

「世界的なパンデミック」

 というものが流行り始めてから、諸外国では、その対策に苦慮していたのに、日本では、

「これといった政策をとっているわけではなかった」

 と言ってもいいだろう。

 特に、

「水際対策」

 においては、まさに、

「ザル状態だった」

 と言ってもいいだろう。

 他の国では、

「入出国制限」

 というものを行っていて、

「パンデミック対策の最初にしなければいけないこと」

 という認識で動いていたのに、日本では、

「パンデミックを引き起こした国の国家元首を、国賓として招く」

 ということまでしようとしていたのだ。

 しかも、

「入出国制限」

 というものをかける以前に何を行ったのかというと、

「学校閉鎖」

 だったのだ、

 ただでさえ、保育園に入園するための、

「待機児童」

 という問題があるくらいに、

「保育園不足」

 あるいは、

「保母さん不足」

 ということで、大きな社会問題になっているところに、いくら、

「世界的なパンデミック」

 と言っても、いきなりのこの通達は、ひどいとしか言いようがない。

 しかも、他の政府高官が誰も知らず、官房長官ですら知らなかったという状態での、ドタバタ劇で、なんといっても、

「学校閉鎖」

 などというのは、教育委員会であったり、保護者会に根回しをしてから行うのが常識なのに、いくら、

「緊急事態」

 とはいえ、あまりにもひどい政策であった。

 ソーリとしては、

「スピードが問題」

 と答弁していたが、

「だったら、どうして、最初に行うのが必須である、水際対策を行っていないのですか?」

 というマスゴミの話に、ソーリは何も言えなかったのだ。

 さらに、それ以降の政府のやり方は、実に不細工なものだった。

「マスクを、転売屋が買い占めたことで、全国的にマスク不足となった」

 そこで、政府は、

「あるメーカーにマスクを作らせて、国民に配る」

 ということを行った。

 有職者の研究では、

「マスクは布マスクでは効果がなく、使い捨ての、不織布マスクでなければいけない」

 という結果が出ているのに、政府はあえて、布マスクを作って、国民の、

「一家に二枚を配布する」

 というのだ。

 考えてみればバカな話で、

「夫婦が使えばそれで終わりではないか」

 ということだ。

 そもそも、

「学校閉鎖」

 にしても、

「マスク二枚配布」

 にしても、政府からすれば、

「子供は眼中にない」

 ということなのだろうか?

 少子高齢化といことで、政府は、

「子供を安心して育てられる社会を構築しないといけない」

 という立場で、しかも、実際に、

「子供を産んで育てよ」

 という立場が、子供をおろそかにするのだから、

「これじゃあ、安心して子供を産んで育てるなんてできっこない」

 として、自分たちの、

「少子化対策」

 というものを、真向から否定しているといってもいいのではないだろうか?

 しかも、そのマスクを製造しているところは、

「聞いたこともないメーカー」

 ということで、しかも、そのメーカーは、ソーリの

「お友達」

 が経営しているところで、その会社を設けさせるがためだけの政策だったのだ。

 それを、

「ソーリの肝いり」

 などと言われると、

「これほどの茶番はない」

 と言ってもいいだろう。

 ソーリは、そこから、個人的にマージンでももらおうということなのは、

「お友達」

 ということが分かった時点で、暴露されたも同じことだ。

「そんなことがばれないはずないのに」

 と国民の大勢は思うのだろうが、実際にバレて、問題になった。

 しかも、そのマスクも、

「小さすぎて使えない」

 ということになり、もらう人はあまりおらず、

「作ったはいいが、大量の在庫」

 ということなり、

「ただで配布するので、ほしい人は言ってください」

 と言っても、引き取りては少なかった。

 こうなってしまうと、最後は、

「政府が金を使って、処分するしかない」

 ということになるのだ。

 そもそも、

「マスク製造」

 というのも、国家予算で、メーカーに作らせるのだ。

 そして、廃棄するにも、国家予算が使われる。

「国家予算って、何なんだ?」

 ということになるわけである。

 それは、

「税金」

 であり、元々は国民の金なのだ。

 勤労で得た金から、政府が、国民のために働くための予算を、国民が税として取られているわけである。

 だから、

「政治家は、国民に養ってもらっている」

 と言ってもいいのだ。

 だから、

「国民の役に立たない政府は、いらない」

 ということであった。

 しかし、かつての政府は、予算を汚職に使ったり。国民が、税金と同じように、自分の老後のためにということで国に納めている、

「年金」

 というものを消してしまったという、

「前代未聞」

 と言われる事件もあったくらいだった。

 さすがに、その時は、

「当時の野党は勢いがあった」

 ということで、政権交代が起こった。

 しかし、結局は数年で、

「政治をしたことがなく、ただ、批判するだけで飯を食ってきた」

 という野党の化けの皮が、あっという間に剥げてしまったということであった。

 それを考えると、

「今の与党がどんなにひどい政治をしていようと、まったく勢いのない野党に票を入れるわけにはいかない」

 ということで、結局は、

「政権交代など起こらない」

 ということになるだろう。

 そんな与党政府だったが、さすがにワクチン問題の時には、ひどいものだった。

 というのも、

「ワクチンで何かあったら、保障する」

 と言っていたくせに、いざ

「ワクチン接種後、数日で死亡した」

 ということで、

「基礎疾患もなく、それまでなんともなかった人が死んだ」

 ということなので、誰が見ても、

「ワクチンが原因」

 ということは明らかだったのに、政府は、

「因果関係が認められない」

 ということを盾に、保障を拒んだのだ。

 確かに、

「因果関係」

 というものは、大きな問題なのかも知れないが、

「ワクチンで何かあったら、政府が保証する」

 と言って、接種させたのであるから、その責任が、どこにあるか?

 ということが問題なのだ。

 政府も、

「因果関係がどうのこうの」

 などというのであれば、最初から、

「政府が保証する」

 などという、

「大風呂敷を広げなければいいのだ」

 ということである。

「それだけ、ワクチン接種のスピードが問題だった」

 ということなのか。

 何といっても、

「政府が保証する」

 というお金も、もとをただせば、

「血税」

 である。

 血税でも、

「ワクチン接種によって死んだ人への保障であれば、反対意見も少数はいるかも知れないが、ほとんどの国民は、意義を唱えることはないだろう」

 と言ってもいい。

「政府も、訳の分からないメーカーにマスクを作らせる予算があるなら、ワクチンで犠牲になった人の保障に使うということであれば、なんぼかいい」

 と言ってくれるに違いないだろう。

「政府は、俺たちが収めた血税を、好き放題に使っていいわけではない」

 と言いたい。

 しかし、問題は、これが、

「民主主義国家だ」

 ということである。

 要するに、

「多数決」

 というのが基本だとはいえ、今の政府は、

「国民の投票で決まった」

 と言ってもいいだろう。

 もっといえば、

「投票率が下がれば、与党が有利だ」

 と言われる。

 なぜかというと、

「組織票がゆるぎない」

 ということになるからだ。

 組織票というのは、

「政治家を支援する団体の票」

 ということで、その人たちが、例えば、30%の票を持っていたとして、投票率が100%であれば、70%がごぶごぶだとしても、政府の票は、65%、反対票は35%になるということだ。

 もしこれが、70%の投票率であれば、それぞれに分かれたとして、50%と20%ということで、比率からすれば、前者では、倍の得票率までの開きはないが、後者では、倍以上ということになるのだ。

 これが、選挙の仕組みであり、だからこそ、政府としては、

「選挙に行きましょう」

 と口では言いながら、投票率が低いことを願っているというものだ。

「だから、政府がいうことは、信用できない」

 と言ってもいいだろう。

 それが、前述の、

「少子高齢化問題」

 にも関わっていて、片方では、

「少子高齢化が大いに問題」

 と言っておきながら、片方では。防衛費の増大のために、増税に走る。

 それも、

「日本国民を守るため」

 ということではなく、

「外国から武器を買わされる」

 ということでの増税、

「有事が近い」

 と言って、国民を煽っての増税問題。それが、本当に政府のやることであり、本音なのである。

「日本という国が、未来に残そうとするもの」

 それは、

「負の遺産」

 でしかないものだ。

 と言ってもいいだろう。


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