知らない、分からない。
「大丈夫?」
お母さんが運ばれた病院の待合室で座っていると、飲み物を買ってきてくれた姫乃ちゃんが私に寄り添うように隣に座る。
「…はい。」
どうにか絞り出すように声を出して答えるが、気分は沈んだままだった。
「とりあえず命に別状はないみたいでよかったわね。」
母の診断結果は、疲労に加えて栄養不足に睡眠不足。そのせいで倒れていたらしい。
姫乃ちゃんの言う通り、命に別状はない。
ただ、母の状態にはひっかかる事が多すぎる。
「ねぇのり子。…今から聞くのはただの確認だから気を悪くしないでね?」
俯いて母の事を考えていると、姫乃ちゃんは優しい声で話しかけてくる。
「本当にのり子はお母さんと仲悪かったの?」
そして続いた言葉で、私の眉間にシワがよる。
答えはYES一択であるはずなのに、現状を見ると簡単には口が動かないのだ。
「…私、騙されたりしてないわよね?」
「それはっ…!…絶対に違います…っ…」
しかし、更に続いた言葉には無言でいられなかった。
ガバッと顔をあげ、姫乃ちゃんの顔を見ながら手を掴む。
すると、普段の姫乃ちゃんからは想像もつかない悲しそうな表情が目に映って胸が締め付けられる。
「…ごめん。ちょっと心配になっちゃっただけだから。」
それから無理をして明るい笑みを浮かべる姫乃ちゃん。
こんなふうに不安にさせて傷つけたのは、私だ。
でも、私だって状況が全く理解できていないのも事実で。
「状況を見たら、のり子が居なくなったから自暴自棄になった…と考えるのが妥当よね。」
そんな中でつぶやかれた姫乃ちゃんの言葉が、あまりにも核心をついていた。
食事や睡眠に障害が生じてしまったのは、どう考えても私がいなくなったせいだ。
私が家を出るまで母はいつも通りだったはずだから。
「…本当に、わからないんです」
でも、やっぱり納得はできなかった。
だってあの母が、私が数日家出をしたくらいでこうなるなんて意味がわからない。
私の事を目の敵にして、存在を否定してきたのは母だ。
むしろ私がいなくなった事は都合のいい事だと考えるのが、私の母に限り妥当なところなのだ。
「…お母さん…わからないよ…」
姫乃ちゃんは私の心の叫びを聞いて、優しく抱きしめてくれる。
姫乃ちゃんだって、私が嘘吐きである可能性を捨てきれていないはずなのに。私の事を信じようとしてくれている。
それが今、私の唯一の支えとなっていた。
「それなら、一緒に真実を探しましょう。」
「…しんじつ?」
「ええ。お母さんに直接聞くのよ。ちゃんと話し合うの。」
姫乃ちゃんの言う通りではある。
このまま一人で考えたって、母の心の中など分かるはずがない。
「元々そのつもりできたんでしょ?私がいるからお母さんと向き合う勇気が湧いたんでしょ?」
そうだ。今日はそもそもお母さんと向き合う為に実家に帰ってきたんだ。
姫乃ちゃんがいるから、真実の中に何があっても大丈夫。
「…ありがとうございます。姫乃ちゃん。」
私は彼女に寄りかかるように頭を預けて、感謝を口にした。
◆
「とりあえず、今日はここで寝泊まりできるように手配しておきましたから。」
色々な対応をしてくれていたマリアさんに案内された一室。
どうやら、私達は母が目覚めるまで病院への泊まり込みが許されたらしい。
「ありがとうマリア。」
「いえ、私は何も。…全部、『七星』のおかげです。」
「…そうね」
二人の会話内容から察するに、七星グループの力が働いたらしい。確かに特別な理由も無しに病院に寝泊まりができるなんて、普通は考えられない事だ。
どこか不満気な姫乃ちゃんを不思議に思いつつ、私もマリアさんに頭を下げた。
「それと、四ノ宮様には見てもらいたいものが。」
そんな私に、マリアさんはポケットから随分年季の入ったスマートフォンを取り出して見せた。
どこか見覚えのあるそれに視線を移すと、電源が入っていて画面が映っていることがわかる。
どういう意図でマリアさんは私にこれを見せたのだろうかと、不思議に思いながら、画面の内容をよくよく確認する。
「…え?」
そして、その画面に映し出された情報を正確に捉えた瞬間、私は目を大きく見開いて固まった。
「お母様が持っていたスマホです。…電源がついたままでした。恐らく倒れる寸前までこの画面を見ていたのでしょう。」
「…小さい女の子?」
固まる私の代わりに、一緒に画面を覗いていた姫乃ちゃんが情報を口にする。
小さい女の子…見た目5.6歳くらいの黒髪の女の子が、満面の笑みを浮かべている写真。
それが、マリアさんの持つスマートフォンには表示されていた。
「…なんか、のり子に似てる気がするけど……もしかして…」
姫乃ちゃんも、その写真をよく観察している内に気付いたのだろう。今度は固まる私の顔に視線を移してくる。
「…子供の頃の…私です…」
私は、ドクドクと早くなり始めた心音を感じつつ、震える声でなんとか答えた。
やはり何度見ても、どう考えても、そこに映っているのは幼い頃の私だった。
「…やっぱり、のり子から聞いた人物像とは随分印象が違ってくるわね。」
姫乃ちゃんはそう呟いて、考えるように顎に手を当てた。
私だって、姫乃ちゃんの意見と同意見だ。
これまで積み上げてきた母の人物像が、ボロボロと崩れていく。
母は何を思って倒れる寸前まで私の写真を見ていたんだろうか。…いや、それ以前に、目障りだったはずの私の写真を何故保存しているんだろうか。
疑問ばかり溢れて止まらない。
「のり子。さっきも言ったけど、私がついてるから。」
「…姫乃ちゃん」
本当に姫乃ちゃんは強いなって思う。
現状を見れば、恋人が嘘に塗れている信用のならない人物であるのに、私に気を遣ってくれる。
本当は私の方が気を遣わなければいけない立場なのに。
「おいで。」
姫乃ちゃんはベッドに腰を下ろすと、両手を広げて私を呼び込む。
私はそんな彼女に誘われるように、ゆっくりと倒れ込んだ。
「…大丈夫よ。」
私を受け止めた姫乃ちゃんは、あやすように私の背をリズムよく叩いてくれる。
やはり、姫乃ちゃんに触れているとすごく落ち着く。
今日というたった1日で、母が何を思っているのか、私の今までの人生は一体なんだったのか、途端に全部が分からなくなった。
…けれど、姫乃ちゃんだけはここに居てくれる。私を受け止めてくれる。それだけは確かで、絶対だった。
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