第8話

「お、お兄ちゃん…!?」


公園には、すっかり成長した妹、めぐみがいた。


「めぐみ…?なんでこんなとこにいんだ?めぐみは公園には行きたくないっていつも言ってただろ」


昔めぐみは、この公園の滑り台で頭から滑り落ちて大怪我をしたという過去がある。その日以降、公園というものが怖いらしく、めぐみが友達と遊ぶ時も、公園だけは行こうとしなかった。


「お兄ちゃんがどっかへ行ってしまった後、定期的にうちにやってくるおねぇさんがいてね。その人がさっき来て、この公園に行けばいいことがあるかもしれないって言ってくれたの。公園なんて私は行きたくないって言ったんだけど、彼女、いつになく真剣だったから。さっきまで一緒にいたんだけど、わたしがお兄ちゃんを見つけた途端、どこかに消えちゃって……って、ねぇ聞いてる?」


未兎が定期的に俺の家に来ていたことは初耳だった。


確かにあの日から俺は家に帰っていなかったから、家の情報など入ってくるはずもなかったが、未兎の性格と、定期的にくるこまめな性格とはかけ離れていた。


「なぁ…その女性ってさっきまでいたんだよな。ならどっちに行ったかわかるか?今すぐ追いかけたいんだ」


「ちょ、ちょっとまってよ‼︎数年だよ‼︎お兄ちゃんがいなくなってからお母さんたちが大騒ぎだったんだから。あの子はどこに行っちゃったんだろうって。市内放送まで流し始めちゃって。それですぐに見つかるだろうと思ったら全然見つかんないし。どこに行ってたのかくらい説明しなさいよ」


俺を逃がさないとでもいうように、めぐみは俺の腕を掴んだ。


「離してくれよ。俺はあいつのところに行かなきゃいけないんだ!!なぁめぐみっ‼︎離せって‼︎」


俺は強引に離そうとするが、めぐみは一向に離さない。


「なんで逃げようとするのっ‼︎私たち、ずっと待ってるんだよ?お兄ちゃんが帰ってくるのをっ‼︎今日はお母さんも家にいるからっ‼︎だから一度帰ってきなさいっ‼︎」


妹ということだけあって、これ以上力を込めて引き剥がすのは躊躇われた。


それに、俺の家族のことを盾に出されると、断りづらかった。


今逃してしまったら、次どこでいつ会えるのかわからない未兎がわざわざめぐみをこの場所に連れてきたということは、たまには家に帰ってやれというメッセージなのだろうか。


俺はそんなことより第一に、未兎に会いたがっているというのに………


結局断ることができず、俺は数年ぶりの自宅に帰ることになった。


その道中、俺たちは一言も話すことなく、自宅に着いてしまった。


「ただいま〜〜。お母さ〜ん、夕飯一食分追加で〜。バカ息子が帰ってきましたよ〜〜」


めぐみは、家に入った途端、玄関で声を上げた。


「めぐみっ‼︎俺の分はいいから、ほっといてくれよ」


俺は慌ててめぐみの口を塞ぐが、すぐにドタバタという音がして、母が現れた。


「あんた、どこほっつき歩いてたのよっ‼︎あんだけ探したのにどこにもいないんだもの。この親不孝者が……心配させんじゃないわよ……」


母の目は涙できらきらと光っている。きっとよっぽど心配だったのだろう。


「ほら、お母さんに謝んなさいよ。お兄ちゃんがいなくなった後、ずっと自分のせいだって落ち込んでたんだから」


俺の気まぐれがきっかけで、どのくらい母を悩ませたかは、一目瞭然だった。


母は、膝から崩れ落ちながらも目は真っ直ぐこちらを見つめている。その目はどこか安心したような、母の包容力と言ってもいいものがそこにはあった。


「ただいま」


俺は一言告げると、そのまま自分の部屋へと向かう。


これ以上この空気の中で過ごすのはキツすぎた。


数年ぶりの自分の部屋は、昔と変わらず、母が掃除をしてくれていたのだということが一目で分かった。


俺はだんだんと、こうまでして帰らなかった家に、俺の居場所を残し続けてくれた母に、感謝しても仕切れなくなってきた。


俺が不意に姿を消してから、数年もの間、ずっと保ち続けることは、とても辛いものであっただろう。


誰も使わない部屋、持ち主のいなくなった部屋、そんな部屋は放置され埃まみれになっていたとしてもおかしくなかった。


けれど母はそうはしなかった。帰ってくるかもしれないと信じ続け、定期的に掃除をしてくれていた。


「ご飯できたわよ〜」


ダイニングから聞こえてくる母の声に俺は自分の部屋を出た。


「いただきます」


昔と変わらない味、昔と変わらない日常がそこにはあった。


この数年間何があったのかを全く聞かず、まるで昔から俺がいたかのように扱ってくれる家族。


そのことがたまらなく嬉しかった。


食べ終わり、食器を洗っている時だった。


ぷるるると、家の電話が雄叫びを上げた。


「わたし、出てくるよ」


その音に真っ先に反応したのはめぐみだった。


「もしもし浅黄です」


遠くからめぐみの相槌と共に、所々真剣そうな声が聞こえてくる。


何を話しているんだろう、と耳を傾けてみるも、相手の声は全く聞こえない。


ただめぐみの口調からは安心できる、見知った相手なのだということだけはわかった。


「は〜い。じゃあおやすみなさ〜い」


戻ってきためぐみに「誰と話してたんだ」と聞いてみたが、


「ただの友達だよ、今度遊ぼうかっていうことを話してたの」


めぐみは嘘をついている。


めぐみが嘘をつく時は大抵、耳をいじる癖がある。


けどここで本当は何を話していたんだと言ってもはぐらかされるだけなので、あえてそれを信じることにした。


それに何処か、俺に腹を立てているように見えた。


心当たりならたくさんある。それこそ俺がいない間の苦労や、何も言わずに出ていってしまったことなど。例を挙げれば終わりが尽きない。


俺だけが気まずい雰囲気に呑まれこの場にいることの違和感を覚えた。


俺は自分の食器をささっと片付けると、すぐに部屋に戻った。今夜中にはまたこの家を出て行こう。そう決めて……

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