後編

プロローグ 無力な彼は英雄になれなかった

 最初の切っ掛けは、何てことないただの共感だ。


 姫騎士ハクアといえば、もはやお伽噺の登場人物。数多の伝説を打ち立てて、王国を守る英雄だ。

 グレイにとっても、彼女は国を守る英雄であった。


 しかし、違ったのだ。

 彼女は英雄であるが、英雄ではなかった。


 英雄に足る精神を持たず、ボロボロになりながら取り繕うただの少女だ。

 皆が彼女の作り上げた偶像だけを見て、その内面を誤解していた。


 それがとても共感できた。


 姫騎士ハクアであっても、何ら変わりない。グレイとまったく同じただの人間だった。

 英雄ではなく、英雄になるしかなかった少女。


 その境遇はグレイと似ている。

 力があったから、皆を導くために英雄になった。しかしその内はただの人と相違ない。

 そんなハクアだったから、グレイは惹かれたのだ。


 ただハクアとグレイに違いがあるとすれば、その心の強さだろう。

 英雄になるしかなかったが、グレイはその道を歩んだことを後悔していない。皆の英雄になれて良かったとすら思っている。


 だけどハクアは、英雄になりたくなかった。

 皆の英雄になんてなりたくなかったし、戦うこと自体が嫌だった。敵であっても人を傷つけることは大嫌いだ。


 その差はとても大きいのに、ハクアの抱えるものはグレイの何倍もでかい。


 だから、潰れた。

 非常にシンプルな結果であるが、グレイは己の無力を呪っていた。

 初めて好きになった人で、彼女の歩む先にはこの結果しかないってわかっていたのに、止められなかった。


 ハクアはボロボロになって、グレイの胸の中で泣いて、心が壊れてしまった。

 グレイはそんなハクアをもう傷つけさせまいと、ただただ思いっきり抱きしめた。



 ◇



 グレイがこの森を訪れたのは、心のざわめきが止まらなかった故のことだ。

 胸を騒がす予感があって、それを払拭するために走っていた。そしたら森で蹲るハクアを偶然見つけた。


 それは運命と言い換えてもいいが、グレイが訪れなければハクアは自死を選んでいただろう。


「ハクア、一旦医者に行こうか。俺の知り合いに凄腕の婆さんがいるんだ。あの人なら何だって直してくれるさ」


 少し落ち着いたハクアに、グレイはそう言ってみる。

 外傷はあまりないが、その心はボロボロだ。


 クルル人の老婆が精神医療についても詳しいかはわからぬが、一度専門家に見てもらうのが良いだろう。


「嫌だ……」


 しかしハクアは、何かを恐れるように首を振った。


「グレイの、家に行きたい」

「……そうか」

「うん。外は、怖いよ」


 ハクアはもう傷つきたくないのだろう。だから一番安全で、心が安まる場所を選んだ。

 それがグレイの家だ。

 あそこにしか、今のハクアの居場所はない。


「わかった。じゃあ帰ろう」

「うん。……行こう、グレイ」


 ハクアはグレイと手を繋いで歩き出す。

 暗くて寂しい森の中でも、グレイが一緒なら何も怖くはなかった。




 人目を避けるように移動して、貧民街にあるグレイ宅に到着する。

 とても穏やかな空気が漂うこの場所は、ただいるだけで心が落ち着いてくるようだ。


「そうだな。風呂でも沸かすか。ハクア、凄い冷たいぞ」

「あ、そ、そうだね。お風呂、入りたい」


 とてもひんやりしたハクアの手を握っていたからグレイは提案するが、ハクアは己が非常に泥だらけであることを思い出してお風呂に入りたくなる。

 こんな泥だらけではグレイに嫌われてしまう。そう思うと、とても顔が赤くなった。


「よし、じゃあ準備するか」

「ん……」

「ハクアは家で休んでろ」

「やだ。グレイといる」


 風呂の準備だと動き出したグレイの後ろを、チョロチョロとハクアはついて回る。

 ハクアのために椅子も用意したが、それよりもグレイの側にいたいらしい。


 その目を見ればグレイしか映っておらず、休むよりも側にいたいのだろう。

 グレイはその思いを汲んで何も言わずに、風呂の準備を進めた。


「お風呂、水汲んでくるんだ?」

「ああ。王都の方には水道とかあるんだろ。羨ましいかぎりだ」

「大変だね。私に任せて! えい!」


 水を運ぼうかと腕をまくっていたグレイの横で、ちょちょいと指を振ったハクアは大量の水を一瞬で生み出して風呂に張った。


「うおお。凄いな」

「火を付けるのも、まかせて」


 魔術というのは万能のようで、風呂釜に火を付けるのもお手の物だ。

 本来は焚き付けを大量に必要とする火付けも、ハクアなら太い薪にいきなり火を灯すことが可能だった。


 いつもは面倒くさい風呂の準備も、ハクアの手に掛かればお茶の子さいさい。

 魔術の最高峰を風呂を沸かすために使うのは贅沢かもしれないが、ハクアは戦うよりも、こういうことが向いてる子だ。


「じゃあ風呂が沸くまで待つか」

「うん。グレイも、一緒に入る?」


 家に入って少し待つかと思っていれば、ハクアはそう何となしに言ってくる。


「えっ?」

「背中、流してあげるよ」

「あ、いや。それは、ちょっと」


 グレイは顔を赤くして慌てるが、ハクアは平常心だ。

 一切照れることもなく、まるでそれが当たり前のように言う。そしてグレイが断れば、一瞬で泣きそうになった。


「嫌? 私のこと、嫌い?」

「嫌いではない! ただ……恥ずかしいだろ」


 グレイが慌てて弁明すれば、ハクアは涙は止まってくれる。


「……そっか。恥ずかしいんだ……じゃあ、また今度ね」

「ああ……今度?」


 どうにかハクアの猛攻を掻い潜ったが、諦めてくれたわけではないらしい。

 どうにもハクアがグイグイと来る。別れたときは、ハクアもくっ付くのすら勇気を出していたはずだ。


 なのに一緒にお風呂に入ることを当たり前のように提案してくる。

 明らかにハクアは変わっている。それは果たして良い方向への変化なのだろうか。


「…………」


 グレイはハクアを見つめた。

 その目には、光りが灯っていない。じっとグレイだけを見つめて、グレイしか映っておらず、グレイへの執着しか感じなかった。


 多分、平常ではない。

 戦争によって壊れたハクアは、グレイとの愛によってどうにか生きている状態だ。

 そんな状態のハクアを見て、グレイは悲しげに目を伏せた。


「暖かい飯を食うか」

「うん。嬉しいな」


 この心を癒やすには、愛をもって接して、ゆっくり修復していくしかない。

 それはもう、グレイにしかできないことだろう。


「……ん、あれ? 何か外が暗くなってきたな」


 晩ご飯の献立を考えつつ、ふと窓の外を見れば、日が完全に沈んでいた。


「夜じゃない?」

「日が沈むにはもう少しかかると思っていたが……まあ良いか」


 それよりもハクアだ。ハクアの心を癒やすことが先決だろうと、気にすることはなかった。


「…………グレイ、ずっと一緒にいようね」


 グレイは窓を見るためにハクアから視線を逸らしたために、気付かなかった。

 そう呟いたハクアも、その目に映る妖しい光も。


 急に外が暗くなった理由が、真っ暗な壁が家を取り囲んだからと気付くのは翌朝になってからだ。

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