第三十九話 姫騎士の終わり
『魔王降臨』
それは魔術の奥義である。
使い手の中でも限られた者しか使えないその魔術は、一手で戦況すら変えうる必殺技。
クリスタ人の中でも、恐らく十数名程度しか使えないだろう。
無論ハクアは使える。
誰よりも強力な魔王降臨が、ハクアは使用できた。
でもそれを、人に使ったことは一度もない。
無人の平野で試し打ちした時に、二度と使わないと固く誓ったのだ。
ハクアの魔術は強力だが、結局奥義が一番ヤバい。ハクアが使う『魔王降臨』は、一手で全てを終わらすものだった。
「…………たくさん、人がいる」
とても遠くで、アザール人の兵士達が列を組んでいる。
彼らにハクアは攻撃するのだ。
そして、皆殺しにする。
「さあハクアよ、放つのだ」
後方よりバルカンの命令が聞こえてきた。
でもハクアの手は震えて、動くことができない。
「……っ!」
己の手で一万人の人間を殺すなんて、できるはずがないのだ。そんなことができる精神があれば、姫騎士であることに苦しまない。
ハクアはとても脆い少女だ。その精神は一般的な女子となんら変わりない。
故にハクアは何もできずに沈黙した。
「何をしている! やれ!」
バルカンの苛立つ声が聞こえる。
彼はハクアの力を当てにして準備を進め、ここまで来た。このまま帝国軍を討ち滅ぼし、大陸統一へと進む手筈だ。
だというのに一番大切なハクアが動かぬことに、バルカンは怒りを募らせていた。
「む、むり、です。嫌だ。私にはできません。皆殺しなんて、絶対、できない」
「……ハクアよ、この大儀に緊張が走るのもわかる。しかし、皆がその力を求めているのだ」
バルカンは怒りのままに言葉を尽くし、ハクアを説得しようとする。
しかしハクアの顔面は蒼白したままで、全身が恐怖で震えていた。
被っていた姫騎士の仮面は外れそうになり、弱くて儚いハクア・G・クリスタの顔が現れる。
それを見たバルカンは叫んだ。
「皆の者、称えよ! 今ハクアは悪逆たるアザール人を滅ぼそうとしている。その偉業を称え、万雷の拍手を送るのだ!!」
バルカンはハクアを決して逃がさぬように、期待というプレッシャーでその背を動かそうとする。
そしてそれは、確かな効果があった。
「ハクア様! お願いします!」
「我らクリスタ人をお救いください!」
「アザール人に滅びを!」
「そのお力で我らをお導きください!」
うるさいほどの拍手が鳴って、ハクアを称える言葉が至る所から聞こえてくる。
全員ハクアが敵を滅ぼすことを望んでいた。
ハクアが勝利に導いてくれることを願っていた。
「さあ、この場の者だけではない。全国民がその偉業に期待している。力を解き放て!!」
「「「ハクア様! ハクア様! ハクア様!」」」
ハクアは普通の少女だ。故にこれほどの圧力を受ければ、その心はポッキリと折れてしまう。
己というものがその拍手を聞いた時に死んで、ただ誰かが望むままに力を振るおうとする何かが己の内から出てくるのだ。
「やら、ないと、いけない……? やる。私が、やる」
そこにハクアはいなかった。
勝手に体が動いて、魔術を発動しようとする。嫌だと全力で叫ぶハクアと、それを無視して動く体。
ハクアは地獄を生み出そうとしていた。
「まお、まおう――『まおう、こう、りん』」
極大の魔法陣が現れて、そこから巨大な闇が溢れ出す。
それは人型を作ると、空に浮んでアザール帝国軍と相対した。
「ゴゴゴ――アアアア゛ア゛ア゛!!!」
現れた闇の人型、魔王は不気味に叫び、それで全ての者は動きを止める。
アバンが呼び出した魔王よりも二回りはデカく、それだけでハクアの力がわかるだろう。
空には暗雲が立ちこめて、魔王が降臨したことを目に入る全ての者に告げていた。
「あ、う……あ、や」
あとはハクアの命令一つだ。そうすれば魔王は全てを滅ぼすだろう。
拍手は鳴り止まぬどころかより酷くなり、ハクアを突き動かす音を鳴らす。
だから、命じた。
「魔王、う、撃て――」
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
魔王は闇色の光を集めると、命じられるままに解き放った。
ドス黒い光は一瞬で帝国軍全てを飲み込んで、命を刈り取ろうとする。
それに抵抗する術を、人は持たなかった。
一万人のアザール人を一瞬で包み込み、抵抗すら許さない。
世界から音が消えるほどの光は数秒で収まり、その一撃で魔王は任務を終えたとばかりに空へと消えた。
その光景に呆然とし、ハクアは震えたまま沈黙する。
そしてふと視線を向ければ、帝国軍は全滅していた。
「死ん、だ?」
ハクアはポツリと呟いて、顔を徐々に青ざめさせた。
「あ、あ、いや、わた、し。こんな、つもりじゃ」
一万人のアザール人が平野に倒れており、ピクリとも動く気配がない。
命の音が、聞こえなかった――
「素晴らしい!! 何たる力だ! これがあれば大陸統一は目前! 皆の者、称えよ!」
「クリスタ王国万歳!!」
「ハクア様万歳!!」
「我らをお導きください!!」
拍手がうるさいほど鳴り響いた――
「っ――――いやあああああああああああ!!??」
ハクアはその音から逃れるように、全力で走り始める。
とにかく己が犯した罪から逃げ出したかった。
全てが悪い夢だと妄想して、誰も死んでいないはずだと希望を持って、アザール人達の下へとたどり着く。
そこには重なるように多くの人間が倒れていた。
外傷は一切ないのに、一様に苦悶の表情を浮かべて死んでいる。
必至に耳を澄ませて、目を凝らして、ハクアは生きている人を探そうとした。
「いない。誰か! 生きて、ないですか? 返事、してください」
どこを見ても死体しかない。
死体、死体、死体――地の果てまでも、アザール人の死体が転がっていた。
そんな景色の中心で、ハクアの叫びはあまりにも虚しく空に消えていく。
当たり前だ。ハクアが全員殺したのに、返事をする者などいるはずがない。
だけどハクアは、そんな馬鹿みたいな希望に縋っていたのだ。
「あ、あ、いやあああああっっ!?!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!!」
己が犯した罪を認識し、ハクアは目をつぶって耳を塞いで懺悔を始めた。
もう取り返しなんてつかないのだ。
誰かに言われるがままに魔術を放ち、人を殺した。一瞬で一万人が死んだ。
彼らは悪人ではないだろう。望んでここに立っている者など少数だ。大半が徴兵された民間人なのをハクアは知っている。
それがアザール帝国という国家だ。
「ごめんなさい――っ。グレイ、助けて。私、やっちゃった。たくさん、殺しちゃった。私が、私の手で、あ、あああああああっ――」
ハクア・G・クリスタは英雄になれない。
彼女はただ力を持ってしまっただけの凡夫だ。
最強の力があったから英雄になるしかなくて、でもその道を歩める強靱な心がなかった。
故にその行き着く果てはこれしかない。
力と精神が釣り合っていないから、心を壊して終わる未来しかハクアにはなかった。
グレイが予想した通りの未来がハクアに訪れ、終わる。ただそれだけだ。
英雄になりたくなかった少女の心は、今日この日、完全に壊れて終わった。
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