第二十八話 煉獄の襲撃者

 東地区運営本部。

 多くの者達が働き住人達が相談に来るここは、常に賑わっているものだ。

 グレイ、そして幼馴染達もここで働き、日々東地区を良くしようと努めている。


 その中でリズリーはペンを握りながらため息をついていた。


「はぁ……なんか。暗くなるわね」

「そうっすか?」


 リズリーの言葉に、同じく忙しそうにしていたゴーズは首を傾げた。

 東地区の食糧事情を担当するリズリーと、情報収集を担当するゴーズは常に暇なく忙しい。

 しかしここ最近のリズリーはあまり仕事が手に付かない様子だった。


「これも全部グレイよ。グレイが辛気臭い顔してるからね」

「……それは、しかたないっすよ。失恋ってそういうものっす」

「まあ、そうだけどさ」


 ゴーズのたしなめるような言葉に、リズリーはつまらなそうな顔をする。

 無論リズリーもしかたがないことだとはわかっていて、その上で言っているのだ。


「……リズリーは二人のことどう思ってるんすか?」

「そうね……まあ、あたしはグレイの幸せを願っているわ」

「それは俺もそうっすね」

「ええ。でも複雑よ。こんな叶うはずない恋なんて忘れて欲しい。でもあいつの思いを尊重したい」


 リズリーは目を瞑って答えの出ない問題に溜め息をついていた。

 少しキツイ態度からは察せぬが、彼女はとても優しい子だ。孤児の頃から女子を纏め、グレイと共に全力で生きてきた。

 その胸の中には、仲間達を思う温かな気持ちであふれている。


「あいつは本来一人で生きていける人間よ」

「……そうっすね」


 リズリーはグレイをそう評す。

 彼は生まれながらに最強だった。

 この貧民街であっても、たった一人で生きていけるほど強かった。


「でも、あたし達を助けてくれた。いつも一番前でボロボロだった。あたし達を助けるメリットなんて、グレイの強さを考えれば微々たるもののはずなのに」

「それが兄貴っすよ」

「ええ。ずっとあたし達のために生きてきたから、そろそろ自分のために生きて欲しいのよ。だからあいつの恋は応援したい」


 それがリズリーの思いだ。

 故に二つの思惑の狭間で揺れる。


 ハクアのことなんか忘れて、新しい恋を見つけることがグレイにとっての幸せなのか。

 あるいはハクアへの恋心を尊重し、気のすむまでやらせるのが幸せなのか。


 それの答えが出せずにいる。


「俺は……兄貴の恋を応援しますよ。それで敗れてしまったら、全力で励ましてやるのが仲間ってやつっすよ」


 答えが出せぬリズリーに、ゴーズは己の考えを伝える。

 それにピクっとリズリーは反応した。


「そうね。でもここで諦めたら、これ以上傷つかずに済むとも言えるわ」

「そうかもっすね。でも兄貴は、ここで諦めても一生の傷として残る人っす」

「……そうかしら」

「そうっすよ。兄貴は絶対に、見捨てない人っすから」


 ゴーズは知っている。グレイが絶対諦めない人間であると。

 多くの命を抱えて生きてきたのに、グレイは誰一人としてその手を離したことはない。

 死にかけていたユウを助けるために、ギャングから金を盗んだ。普通なら見捨てるべきなのにだ。


 皆、そのグレイに手を掴まれて今日この日まで生きている。

 その過程でこぼれた命は多々あっても、グレイはやはり最後まで手を離さなかった。


 仲間の命が零れても、己の弱さが全ての原因だと追い込み、より強くなる。そういう人だ。


 だからハクアのことを彼は諦めないだろう。


「姫騎士様から拒絶されない限り、兄貴はずっと忘れないっすよ」


 だからゴーズはその想いを尊重する。

 彼の幸せを願う思いのままに。


「……なら、あたしもそうするか」

「それが良いっすよ」


 そのゴーズの考えに、リズリーは共感した。

 そして悩むのを止め、すっきりとした顔になる。


 彼女の決断は、恐らく大きな意味を持つだろう。

 リズリーの言葉なら、多分グレイは聞いた。今の状況であれば、ハクアへの恋を諦めたかもしれない。


 だがリズリーは見守ることを決め、グレイに何も言わなかった。

 それは世界の命運すら変えてしまう、大きな決断と言えるだろう。

 


 ◇



 冬が来る。

 インフラの整っていない貧民街にとっては、とても厳しい季節の到来だ。

 医院を出てフラフラと歩くグレイも、冬風の寒さに身を震わせていた。


「……やるか」


 しかしやる気が削がれることはない。

 ただ剣を振るい、さらなる強さを追い求める。

 それが今のグレイにできることだ。


 貧民街の外に出て、王都の外に広がる平原に進む。

 己の修行に他者を巻き込まないために、グレイは一人で無茶をしようとしていた。


 こんな修行で最強たる姫騎士に届くなんて到底思えない。

 しかしやるしかないのだ。そうしないと己の心が乾くばかりだから。


「ああ。師匠は……なんて言っていたかな」


 寒空の下を歩きながら、グレイはふと己を鍛えてくれた師のことを思い浮かべた。


 師はとても強かった。そしてグレイのことを、とても期待していた。

 マヌル人最強にすらたどり着くと豪語し、多くのことをグレイに教える。


 そして確かに今、グレイはマヌル人最強にたどり着いているかもしれない。

 だが姫騎士には勝てなかった。

 格別たる最強のハクアの足元にすら及ばず、そこに届く気はしない。


 だけど届きたい。同じ場所まで行きたい。そして――恋を成就させたい。

 グレイはさらなる、さらなる強さが欲しかった。


「確か師匠は、まだ……足りない。だったか」


 最後に会った師匠は、グレイにそんなことを言っただろう。

 グレイには、足りないものがあるらしい。それを見つけた時、真の頂にたどり着ける。


「真の頂ってどこだよ師匠。俺を連れて行ってくれ。そうじゃないと、ハクアは」


 空を仰いで、そう呟いた瞬間だった――


「――良い場所まで来た。誰にも邪魔されぬ、冬の平野だ」

「っ!」


 グレイの背後から、声が聞こえた。

 その声が聞こえるまでグレイは一切の気配が感じられず、慌てて背後を振り向く。


「……誰だ」


 そこに立つ者は、筋骨隆々の大男だ。

 顔は晒しているが、見覚えはない。服装はいたってシンプルな戦士のもので、外見から推察はできぬがかなりの強者とは見受けられる。


「クリスタ人だな。俺に何の用がある」

「今から死ぬお前が知ってどうする」

「へえ。喧嘩売りに来たってところか」


 突然の殺害予告にグレイは剣を抜いた。

 貧民街という魔境で生まれ育ったグレイにとって、見知らぬ者に絡まれるなど良くある恒例行事でしかない。

 故に男が突然襲ってきたとしても驚くことなく撃退するだけだ。


「ああ。俺と戦い、そして死ね」

「残念ながら、ずっとイライラしてるんだ。手加減はできねえ。勘弁しろよ」

「それは結構。お前が強者足り得るほど、俺は燃える」


 男が構えるのは、身の丈ほどの巨大な剣だった。

 それを軽々と振るい、全身から魔力を発する。


「……強いな」


 その覇気に、グレイは一切油断を見せなかった。

 ただのチンピラはありえない。確実に名の知れた男だ。

 しかし残念ながら貧民街の外にいる強者など、姫騎士以外詳しくなかった。


「まあ……何となく察せるか」


 知らぬとはいえ今襲ってくる強者のクリスタ人というだけで、凡そ察せるものがある。


 間違いなくハクア絡み。

 多分、国からの刺客だろう。


「やるか」


 男のことを推察し、グレイはスイッチを入れる。そしてわずかな希望をその目は見ていた。

 この男との邂逅によって、またハクアとの繋がりを取り戻せるのではないだろうか。


 グレイはそんな子供らしい、淡い期待を胸に抱いていた――

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