ゴミと宝物
槇瀬りいこ
ゴミと宝物
「おかしいな。ここに置いてたはずなのに……」
彼はキッチンカウンター周りを慌ただしく行ったり来たりしていた。引き出しを開けたり閉めたりと、耳にも目にもうるさい。
仕事を持ち帰り、パソコンの前で集中していた私は、その彼の忙しなく何かを探す姿にイライラとした。視界に彼が映ることが、その時は無性にうっとうしく思えた。ゴミ箱まで漁ろうとする彼に、私は冷めた目を向けた。
「一体なにを探しているのよ?」
「俺のコレクションだよ。ほら、ここに綺麗なあれを置いてたんだ。もしかして捨てたのか!?」
そう言われても、全く心当たりがなかった。
ㅤめんどくさい男だと思いながら、だんまりを決め込む。視線はパソコン画面だ。
「ほら、エナジードリンクのプルタブだよ!」
俺のコレクションの綺麗なやつ、と彼は続けた。
確かに今朝、エナジードリンクのプルタブをいくつか捨てていた。確か10個以上はあったと思う。空き缶のプルタブがなぜか分解されていて、いくつかシンクの上に置いてあったのを思い出した。
私はそれを迷わずゴミと判断した。
それを見た時、彼がバカだと思ったぐらいだ。
ㅤペットボトルなら蓋と別々にして分別するが、アルミ缶の蓋のプルタブなんて同じ素材で出来ているのに、なぜ分別してるのか。彼は相当なアホなんだと思いながら、私は迷わずに空き缶の回収に出していた。
「ああ、あのゴミなら今朝捨てたわよ。どう見てもゴミにしか見えなかったから。だからいくらゴミ漁ったって無いわよ」
「ゴミとはなんだ!俺にとっては宝物だったんだよ! 大体君はいつもそうだ。そうやって俺をゴミ扱いして、今まで君から謝罪の言葉をひとつも聞いたことがない!!」
私は初めて彼が大声で怒る姿を目の当たりにした。こんな些細な事で怒鳴られたことに驚き、それと同時に怒りの感情が溢れ出した。
もうすぐ三十路になろうとする男が、エナジードリンクのプルタブを捨てられただけで怒るとは、本当に小さい男だと思った。そんなくだらないことで怒鳴る彼を目の当たりにすると、私の彼への気持ちは氷のように冷めていった。
「宝物ならちゃんとしまっておきなさいよ。私から言わせればあれはただのゴミにしか思えなかったの!!」
私も負けじと大声を放った。
多分この声は外まで聞こえただろう。どうでもいい。私はこのくだらない喧嘩をさっさと終わらせ持ち帰った仕事に取り組みたかったのだ。
少しの沈黙の後、彼は悟ったような顔をした。
ㅤ諦めたような顔にもとれる。
ㅤこの空間の色が、赤から青の雰囲気へとガラリと変わった。
ㅤ彼は、低く静かに私の名前を呼んだ。
「君はもう、ずっと前から俺なんて見ちゃいない。君の中での俺はなんの価値もないものになってしまったんだろ?…そんなふうに思われて、一緒になんて、無理だ」
そう言った彼は、とても悲しい顔をしていた。
ㅤ思えば、最近の彼はよくそんな表情をしていたことに気付く。
だけど私は謝らなかった。
ㅤただ冷たく、「くだらない」とだけ呟いた。
ㅤそのまま彼は部屋を出ていった。
ㅤすぐに戻ってくるだろうと高を括っていたが、その時の彼の言葉と行動は突発的なものではないのだと思わされた。
それから私が彼の顔を見たのは、後日後に彼が荷物をまとめて去っていくその時だけだった。
ㅤそんなことで、ここまでなる? という反発したい気持ちと、あったものが無くなってしまう不安が、どうしようも無い恐怖に陥れてきた。
ㅤ彼が冗談で別れを演じていて、「びっくりした?」なんておちゃらけて笑って、私を安心させてくれるのだと思いたかった。でも違った。
ㅤ私が謝っても、泣いても、お願いしても、もう彼の気持ちが私に傾くことはなかった。
ㅤそんな感じで私たちの5年以上続いた同棲生活は、ゴミを捨て去るみたいに、あっけなく幕を閉じたのだった。
私はエナジードリンクなんて飲んだことがなかった。残業続きで疲れながら立ち寄ったコンビニで、彼のお気に入りのエナジードリンクが並んでいるのが目に入った。
ㅤそれは他のジュースの缶とは違い、味の種類別にプルタブの色が違うことに気づいた。
試しに1本買って飲んでみたら、私の口には全く合わなかった。
ㅤそれでも最後まで飲み干した。
ㅤ空になったアルミ缶を捨てようとして、なぜだかプルタブを外す私がいた。
ㅤどうしてもオレンジ色のそれを捨てられなかった。そのゴミが、綺麗だと気づいてしまったから。
ㅤ私は仕方がなく家の鍵のキーケースに付けておくことにした。
ㅤエナジードリンクの味が美味しいと感じられた頃、私のキーケースには、付けられる限界までのプルタブが集まっていた。その賑やかな鍵で自宅の玄関扉を開ける。
ところで、この集まったプルタブは今の私にとって、ゴミなのか宝物なのか、どっちだろう。
ㅤ
ジャラジャラ……と鍵が鳴った。
カラフルなプルタブが溢れて、目にも耳にもうるさい。
『いまさら集めたって仕方ないじゃない……』
ㅤあの時、くだらないとしか思えなかったけれど、全然少しもくだらない事じゃなかったんだ。
部屋へと入り、明かりをつける。
ㅤ無造作にテーブルへとキーケースを放り投げたら、カラフルが賑やかすぎて笑えてきた。
「……バカみたい」
ㅤそう呟いて、テレビのリモコンに手を伸ばした。
ゴミと宝物 槇瀬りいこ @riiko3
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