艱難汝を玉にす
らぼ
名文は苦難からこそ産まれるのか。
名文は苦難からこそ産まれる。
そのような一文を見かけた。
さて、と思う。それはモダナイズされた考え方ではないか、と。
たしかに、辛く苦しい時にこそ、人は思い悩み、考え、その過程で様々な独自の言葉や文章を生み出すだろう。それは楽しげなエブリデイからは発生し得ない。もちろん、楽しげなエブリデイからも折に触れ、言葉や文章は個々人の内に生み出されていくのだが、それはどこかありふれていて、広く人口に膾炙したり琴線に触れたりはしないのではないか。
また、苦難にも様々ある。その質は時代によって変わるものではないか。思うに、昭和以前の苦難と平成後期の苦難は似て非なるものだ。いけいけどんどんで毎日を慌ただしく消費してきた過去と、自己と他己が明確に切り離され「温かみ」がないなどともいわれる今とは、苦難もモノが違うだろう。尤も、視点論点は様々にあろうが。
名文を産むタイプの苦難は、個の問題を家族単位、近所付き合い単位で解決することの多かった近代よりも、個の問題は個で解決しがちな現代にこそ多いように思う。
ではなぜ、近代文学にも名作は数あるのか。
その鍵は「富」であろう。裕福な家庭でのびのびと育ち、学と教養を身につけた人間が深く思い悩むからこそ、その艱難から名文がぽつりぽつりと産まれたのだ。
世の中やっぱり金ってワケ。
この書き散らしが気に入った諸君は、
次回、『愚痴は酒と同じ』にも乞うご期待。
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