第47話 リリアンの旅日記から 馬鹿な男
結果を言うと、アプリードが参加したラヴィコンクールでの成績は分からない。
何故かと言えば、大賞と特別賞を受賞したのが誰か、それだけしか発表されないのだから。
逆にいえば良い成績ではなかったという訳でもある。
ガラと呼ばれるコンクールの後夜祭があり、それが行われる前の関係者のみのパーティ、そこではアプリードは大人気だった。
そのパーティで審査員に言われた事は、ラヴィコンクールではなくアリーチェリーナコンクールに出ていたら、大賞の可能性もあったのではないかという事だった。
今回のコンクールで大賞を取った男からも声を掛けられて、同じような事を言われたので、完全にお世辞という訳ではないのだろう。
演奏家としては最大限に評価されたが、作曲家としては振るわなかった。
それが世間の評価であった。
それでもアプリードは納得していたので悔しい気持ちなどかけらも無かったのだった。
目的は達成したから。
本来ラヴィコンクールで弾かれるべき曲を自分が弾いた誇らしさの方が上回ったから。
それを評価されなかったことに失望感もあるが、時代とともに変化していくのも芸術の良いところだ。
弾き切った今となれば何と思う事はない。
◆
このコンクールのガラで良く行われるお祭りとして珍しい特徴がある。
普通の音楽コンクールのガラでは、コンクール向けではなく派手な曲を披露したりして観客を楽しませるものだが、ラヴィコンクールでのガラでは、作曲者と演奏者が別である事を利用して、パートナーを入れ替える遊びが披露される事が多い。
それもアリーチェリーナとラヴィの末路を考えれば正直どうなのかと思うが、確かに楽しい催しだ。
アプリードは大賞受賞者からも声を掛けられたが、是非弾いてみたい曲があったので断り、その作曲者を探していた。
彼女はガラ前のパーティの隅で難しい顔で腕を組んで立っており、明らかに楽しんでいるという様子では無かった。
気持ちは分かる。
「パートナーにあんたの言葉は伝わったかい?
アデレードさん。」
そう声を掛けると眉間の皺は消えて、目を見開いて驚いていた。
「なに…分かるのね、やっぱり。
アンタは良いわね、自分で言えるじゃない。
それだけの腕があれば。」
「まぁなぁ。
でもラヴィだって自分の口で言ってた訳じゃないからなぁ。
奇跡だろ?
理解者に才能があるなんて。
なあ?」
「そうね。
羨ましいとしか言いようがないわ。
…貴方の曲、演奏は良いけど曲自体は5歳児かと思ったわよ。
何であんなに辿々しい音してるのよ。」
「あぁー…バレてたか。
それでも褒めすぎだけどな。
3歳児だ、あの曲は。
今回のコンクールの準備期間もなぁ、旅の途中に偶然寄って腹が立って参戦しただけだから、やっぱり練り足りなかったんだよなぁ。
お恥ずかしい。」
「ふん。
でもアンタ、アリーチェリーナコンクールに出なくて良かったね。
もし勝っていたら、全然意図にそぐわない曲を演らされることになってたかもよ。」
「もう文句をぶつけたから満足したけど、こっちに出ないであっちに出たとして、もしそうなってたら確かに滅茶苦茶イライラした正月を過ごすことになってただろうなぁ。
…アンタが大賞を取ってたら問題無かっただろうけどさ。」
「そうかもね。
でもまぁ、無理ね。
ラヴィの価値は革新性にあると思ってる奴らに、本質は伝わらないわ。
今でもヤニスとかいう若い女に奔ったと思っているやつすらいるんだから。」
「それなぁ…。
実は俺は一度はなびき掛けたんじゃないかって思ってんだ。
愛とは違う同情とかかもしれないけど、抱いたことあるんじゃないかなって。」
「あら。
なんで?」
「悲しいだろ。
自分は偶然理解者を得たけど、ヤニスは世界で一人だけ誰にも伝わらない言語で喋ってたんだぞ。
そんな相手に縋られて、もし一度だけでもなんて言われて拒める様な男じゃないだろ、ラヴィは。
あんなにアリーチェリーナに愛を捧ぐ男だぞ?
人の気持ちを無碍に出来るような奴はあんな曲は書かないよ。
それになぁ…。
パロノーブルが作った曲が…なぁ。」
「なに?
ラヴィじゃなくて、パロノーブル?」
「気がついてなかったのか?
多分アレはラヴィの偽名だ。
ラヴィだって前提でまた聴いてみたら良い。」
「いえ、知っている曲だから分かるわよ。
…確かにラヴィっぽいけれど…あれだと…。」
「愛と嘘が同居している、突き放すような曲だけれど…どこか優しいだろう?
アンタの方が曲への理解は深く出来るだろう?
反芻してみたらいいさ。」
「…それは…そうね。
それで?
貴方は私の曲をガラで弾いてくれるのかしら。」
「そうしたいね。」
「…同情?」
「そうだ。」
「そう。
遺伝ね、きっと。」
「まだ分からないさ。
まぁでも、遺伝かもな。
黒い髪と紫紺の瞳は珍しいものな。」
「酷いわね、ナイフで刺すわよ。」
「それも遺伝?」
「そうよ、遺伝。
良く知っていたわね、毒婦としてしか残っていないのに。」
「あぁ、友人に古い記述に詳しい奴がいるのさ。」
「その人が恋人?」
「いや、ハゲた男だよ。」
「あら。」
◆
ガラではアデレードの曲を披露した。
慣例としてコンクールの時とは違い、作曲家も演奏者の横に立つことになっている。
出場者の特権で会場に呼んだリリアンが、俺の横に立つ彼女を見て苦笑いしていたのが、このコンクールで2番目に楽しかったことだった。
それにしても成熟した音楽言語はこんなにも雄弁な物なのか。
弾いていて恥ずかしくなったのはまだいいが、一つだけ違和感が拭えない。
コンクールで弾かれていた曲と微妙に違う様な気がするのだ。
まだ拙い中でもなるべく意味を汲み取ろうと聴いていたのだが、こんな曲だっただろうか。
途中でラヴィの系譜だと気がついてから本腰を入れて聴いたので確実ではないのだが、なんとなく楽譜がいじられている気がする。
コンクールで演奏されていたアデレードの曲を読み取れるだけ読み取った内容は、風に乗って思い出の香りを嗅いで思い出した過去の恋人への未練を感じている自分に驚き、それを振り払おうと決意する、みたいな内容だったはずだ。
それが貰った楽譜では、前半部の風になって思い出の香りで思い出す所までは同じだが、失恋を認めずにたとえ死んでも後を追う事を決意する内容に変わっていた、様な気がする。
もしかしたら演奏者が汲み取れていなかったので、ニュアンスの違いで楽譜を直接読んだ場合でも意味とは違って聴こえているだけかもしれないが…。
それでも隣で演奏を聴きながら、薄い笑顔でこちらを見ていた彼女を思い返すと、やはり強烈に血を感じる様な気がしてしまう。
ただ一人の理解者を永遠に自分のものにするために刃を突き立てた情念の女ヤニスと、そんな彼女に心を砕いてしまった馬鹿な男のものだ。
俺もラヴィの気持ちは分かってしまう。
ネージュとの結婚には同情が多分に含まれているから。
好む性質の彼女だし結婚に何の後悔もないのだが、事件も何もなければ夫婦にはなっていなかった可能性が高い。
つまり俺もラヴィと同じ運命を辿る可能性があると言う事だ。
正直アデレードに同情している。
あの雄弁な音楽を体現できるのは自分だけかもしれないと思っている。
…恨むぜラヴィ、馬鹿な男よ。
ガラが終わった翌朝、まだ薄暗い早朝に俺たちは旅立った。
「何故こんなに早くに旅を再開するんですか?
せっかく宿の朝食もあるのに。
楽しみにしていたんですけどねぇ、あそこのパンが大変口に合いましたので。」
「…うるせぇ。
男は皆、一人残らず馬鹿なんだから仕方ないんだよ。」
「私は違いますけどね。」
「はっ、そう奴が一番危ないんだ。」
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