第20話 梨の王 ヴァイオリン
うっかり夢かと思ってしまった。
そうだ、ハンバート家の屋敷に泊まったのだった。
ソファで目が覚めたアプリードは、凝った身体を伸ばしながらいつの間にか置かれていた水を飲み頭を働かせた。
起きた事がどうやって伝わったかはわからないがドアがノックされ、返答をすると昨日案内してくれた家宰の爺さんが入ってきて、水差しに水を追加してくれた。
「どうしてソファでお眠りになったんですかな。」
当然の疑問だろう。
昨日は部屋の豪華さに気後れして、湯浴みもしていない自分がこんな真っ新なシーツに寝転がって良いものかと考えてしまった。
せめて体を拭くものでも借りようかと思案していたが、耽って居るうちに酒の力もあり、そのまま眠ってしまったのだ。
考えてみれば余りに当然な話だ。
朝からリハーサルを行い、長時間の演奏をした後に団長に連れ回されて酒をしこたま呑んだのだから。
ここで粗相をしなかったのだって、屋敷にビビって必要以上にキチッとしていただけだ。
「気が抜けたんでしょうね。
団長、偉ぶらないから、こんな大きなお屋敷に連れて来られるなんて思ってなかったので。」
家宰は襟を正すと、手をパンパンと2回叩いた。
するとメイドが2人で箱を運びこんできた。
「こちらでご用意させて頂きました、お召し物で御座います。
サイズは大まかに、ですが宜しければお使いください。
湯浴みは準備して参りますので少々お待ちを。」
「いや、え、結構ですよ。
そんな事までして貰わなくても…。
俺…私はすぐ帰りますよ。
そんな、申し訳ないです。」
「それは困りますな。」
家宰は苦い顔で端的に引き留めてくる。
昨夜そんなやらかしてなんていないはずなのに。
あ、臭い?
屋敷から出る所を見られたら不味いくらいに?
ソワソワと居心地悪そうにして居るアプリードにそっと近づくと、家宰は小さな声で
「お嬢様が必死で楽譜をさらっているようですので。」
と言った。
◆
湯浴みをし、普段は自分でやっている髪のセットや、ヒゲのカットを他人にされるのは慣れなかった。
整髪料をふんだんに使用されて、長めの髪は艶々に撫で付けられている。
肩の木は普段しならせて背中の方へ曲げているので、厚手の服を着ていると大きく目立つ事はないが、流石に風呂上がりのシャツ一枚の姿では膨らみがあって違和感がある。
しかし、流石は大貴族の使用人で、それに言及する事はなかったし、必要以上に反応する事はなかった。
ただ一言、怪我や病気の可能性を考えたのだろう、髪のセット時に少し当たった際に痛くなかったですか?と言われただけだった。
こんなに訓練されているのであれば、少しここで試してみても良いのかもしれない。
もしこの家のたちが顔を顰める様なら、必要な時まで徹底して隠すべきだ。
「あの、団長にも出来れば伝えたいのですが、少しよろしいでしょうか。
もし不快なら隠そうと思いますが、どう思われるかを確認する事がなかったので、どうするか迷っていて…。」
昨日あれほど呑んだと思えない快活な団長の元に通され、メイドと家宰の3人の前で上着を脱ぎ出すと、メイドが静かに退室しようとしたのを引き留めた。
「すみません、出来れば女性にも見て頂きたいのです。
下心では決してなく、不快に思うかの感想をいただきたいので…。
よろしいですか?」
確認をとってシャツを脱ぐと、左肩の首寄りやや後ろから生えた木が露わとなった。
「失礼。
割と最近まで事故で記憶が曖昧だったのですが、その事故の際に肩に木が定着しているのです。
きちんと生きている様で、刺さった際に抜く事が出来ずにいた結果根を張ってしまった様でもう抜くという事はできないらしいのです。」
20センチに満たない木は確かに肩から生えている。
見ようによっては羽の骨組みの様だ。
やや褐色気味の肌は他の傷はなく、不思議と木がある事で艶かしく見える。
「あぁ、記憶喪失だったことは昨夜聞いたが…事故だったのだな。
…その肩の木は本物か?
触ってみても良いだろうか…。
…ふむ、凄いな。
人体の神秘というやつだ。
私は君の人となりを知ってしまっているからかな、今更不気味には見えない。
むしろ肌の色と合っていて似合うとさえ思うよ。
君らはどうかな。
不快かい?」
団長はそもそも見た目で人を判断しない人だろう。
昨日の楽団でもマフィアの紹介で服装も浮かない程度に安物の自分を気にいる男だ。
おおらか過ぎて逆に参考にならない。
「私は服を着ていたら気になりませんでしたね。
シャツの状態でもコブのようなものかと思いました。
そうであればわざわざ指摘する方が下品でしょう。
どうなんでしょうね。
私は不快ではないですが、不思議なものだなぁと思いますね。
大まかには旦那様と同じ感想になるでしょうな。
隠すのが面倒なら、大きなパーティで旦那様に隣にいて貰えばよろしいかと。
少なくとも貴族内であればそれで『変なもの』ではなくなりますので。」
あぁ、なるほど。
貴族の面倒であり明朗な部分だな。
出来れば出せた方が目的に近づく。
ファーデンでは変より特別が勝つだろうから。
「ははは。
確かにそうかもしれないな。
アプリードリヒ、君は有名になった方が自由になるかもしれないな。
そういう意味では。
君はどう思った?
隠した方が良いと思うかな?」
「…えと、殿方の肌を余り見た事がありませんので、そっちが気になってしまって…。」
「あっはっは!
そうだね。
すまなかった。
と、いうわけだ、アプリードリヒ。
君の魅力の方が勝つってさ。
冗談はさておき、色々な人がいるからなぁ。
君が奇異の目に晒されても構わないのであれば個性として曝け出しても良いと思うし、そういうのが面倒であれば隠した方が良いのではないかな?
どちらにせよ、君の心持ち次第さ、アプリードリヒ。
私たちだって頭髪が薄くなったり、太ったり、腰が曲がったりしていくのさ。
それを受け入れるか、隠すかは人それぞれだ。
個性になるか醜聞になるかは本人が決めるしかないんだよ。
さ、娘がきっとソワソワして待っているよ。
あんまりここに留めておくと、あとで口を聞いてもらえなくなる危険性がある。
もう行こうじゃないか。
ちなみに、ね。
娘は気にしないと思うよ。
もし家では隠さないことに決めたのであれば、襟の横にボタンが付いているタイプのシャツやジャケットもある。
そちらを召してはいかがかな?」
これが大貴族か、と素直に思った。
もしかしたらギルバートが特別懐が深い人格者なのかもしれないが、付け焼き刃で身につけた気品など、吹けば飛んでしまうようなものだ。
こんな奇異な見た目を茶化すでも、気味悪がるでもなく受け入れてしまうだなんて思わなかった。
てっきり取る方法や、隠す方法のアドバイスをされると思っていたが、舐めていた。
リリアン、凄いぞ大貴族は。
あいつならもしかしたら、この漠然と感じている凄味も文章にするのだろうか。
◆
ギルバートに見せてお嬢様に隠すのは何か違う気がして、勧められたサイドボタンのシャツの上に横留めのジャケットを借りて木を出すことにした。
あまり気にするようならジャケットの中に収めて仕舞えば良い。
そう思ってホールへ行って昨夜ぶりに顔を合わせると、あっさり受け入れられてしまった。
「あら、事故で…。
痛くはないのですか?
そうなんですね。
んー、梨の木ですか?
やっぱり!
家の庭にも生えていて、特徴が同じでしたの。
タルトにすると絶品ですのよ。
宜しければ夏の終わりに収穫されますから、ぜひおいでになって下さいね。」
だって。
ギルバートの妻も似たようなもので、そのような事もあるのねってだけであった。
シェリルはそれよりも合奏が楽しみだったようで、それとなく急かされなにか演奏する事になった。
「何がよろしいかしら。
プロと一緒に演奏出来るようなものは無いけれど、スコア通りに演奏出来るのであれば邪魔にはならないかしらね。
ピアノとヴァイオリンなら…そうね。」
「風と剣のロンドは如何ですか?
団長と奥様も聴いているだけではなく、気が向けば踊る事が出来ますし、ほら、使用人達も丁度男女2組おりますので、踊らせられたら私達の勝ち、なんて内緒で勝負にしちゃいましょう。」
そう小さな声でいうと、素敵ねとイタズラっぽく笑い演奏曲が決まった。
いつかリリアンに聞いた龍と勇者のやり取りを思い浮かべながら演奏をする。
ヴァイオリンで重めの副旋律を。
ピアノで軽く伸びやかな主旋律を奏でるのだが、緊張しているのかシェリルの演奏が少し固い。
もしかしたらさっき言っていた邪魔にならない、という事を気にしているのではないだろうか。
そう感じたので、リリアンから教わったバックストーリーを演奏しながら話す事にした。
「お嬢様。
この曲はストーリーがありましてね。
この太い音の勇者が、風と氷の龍に戦いを挑むと言うお話なんですよ。」
「あら、ならもっと音がぶつかりそうですけど。」
「それがですね、勇者が龍に一目惚れをして、伴侶にしたいと、そう願っての戦いだったらしいのです。
ほら、龍を倒すと願いが叶うって言うでしょう。
だから、勇者は龍に勝ってなんとか龍と婚姻しようとするんですよ。
だから、龍と剣なんて血生臭いタイトルの割に優雅で軽やかなんですね。
龍も当然気がついて付き合っていたのでしょう。
この2人にとってはデートのような決闘だったのかもしれませんね。
なので剣士を表すヴァイオリンは必死に、龍を表すピアノは優雅に弾くべきと教わりました。
龍は風と氷を操る、綺麗な白龍で、自由の象徴なのだそうです。
もっと伸びやかに弾いて構いませんよ。
ミスタッチなど偉大な龍は気にしません。
勇者が支える覚悟もありますしね。」
「うふふ。
なら私も自由に弾いて良いのかしら。
勇者様?」
「ええ、どうぞ龍のお姫様。
それでね、いつしか勇者は龍になって婚姻するのだそうです。
そう思って弾くと、何故だかハーモニーが可愛らしく感じませんか?
側から見ると壮大ですが、彼らの恋物語なのですから。」
「そうですわね。
…なら、私はもう少し情熱的にされたいわ。」
「仰せのままに。」
固くなっていた演奏が、作曲者の意図通りショルトに変わっていく。
ヴァイオリンのスコアにはパッショナートとは書かれていないが、お望みならそうしよう。
旋律は美しいが、ロンドなので繰り返しの曲だ。
団長と目があったのでウィンクすると、きちんと意図を汲み取ってくれたようで、妻の手を取り踊り出してくれた。
そのまま使用人にも促して、3組の踊りを見ながら演奏を続ける。
良かった。
シェリルの、あの努力をはっきり感じる手を無駄にしなくて済んだ。
上手いじゃないか。
スコアをきっちり守って弾くのも大切だが、彼女のピアノはこのくらいの方が好きかもしれない。
愛されて育ったのだろうな。
ちらりとシェリルを見るとご令嬢にはあるまじき事だが、歯を見せて笑ってくれた。
…あまりに情熱的にならないようにしないと。
結局自分の演奏の熱がどうだったか、アプリードには分からないままだ。
◆
30分くらいだろうか。
目配せして徐々に演奏をフェードアウトさせて曲は終わった。
使用人と奥様は拍手をくれて、団長はハグをくれた。
「いや、良かったよ。
シェリルも見事だった。
いつの間にあんなにノーブルでショルトな演奏が出来るようになったんだい?
凄いじゃないか。」
「アプリードリヒ様が、この曲がどういうお話か教えてくれたので…。
私は知りませんでしたが、ちゃんとお話があったのですね。」
「そうなのか。
私も演る曲だからもちろん深く調べたが知らなかった。
古い曲だからなぁ、そこまで細かい部分は残っていないものだと思い込んでいたよ。
博識だな、アプリードリヒ。」
そうなのか。
リリアンの知識はやはり長大なものなのだな。
何曲もそんな覚え方をしていたので、スコアを見てストーリーを想像する癖が付いてしまったくらいだ。
「友が教えてくれました。
もしかしたら地域によっては残っているのかもしれませんね。
お嬢様、素晴らしい演奏でした。
伸びやかで、自由で。」
「そうだな!
良かったよ、本当に!
シェリル、後でそのお話を私にも聞かせておくれ。
アプリードリヒ、君にも感謝を。
妻も皆も楽しそうに踊っていた。
やはり音楽はいいものだな、活力になる。」
そういってもう一度ハグをされた。
「実はな、シェリルは少し自信を失っていたようなのだ。
本当に感謝するよ。」
耳元で小さくそう言った。
その日はそれでお暇する事にして、ピアードの事務所に戻ると、2人とも何が難しい顔をしていた。
「どうしたんだ?
なんかまずい事でもあったか?」
そう聞くと、ピアードは渋い顔で紙束を見せてきた。
「見ろよ馬鹿兄貴。
これ、なんだか分かるか?
演奏依頼が山ほど来た。
どうすんだよ。
上手く演りすぎだ。
なんだ、ヴァイオリニストになるつもりか?
まぁ、認められたのなら嬉しいのも少しあるけどよ。
その中にまた面倒な依頼が一つあってな。
これ、これはよ、ウチの親父の依頼なんだよ。
俺が珍しく芸術家を引っ張り出したもんだから興味持ちやがった。
かー!
芸術家を表に出すのは親父の趣味だから放っておいてくれるかと思ったら、兄貴が目立っちゃうからよー!
どうすっかなぁ、ちょっと考えさせてくれよ。
…ところでハンバート家に行ったんだろう?
どうだった?
気に入られたか?」
「さぁなぁ。
嫌われては居ないと思うぞ。
娘さんと合奏してきた。
なんか自信を失ってたらしくてな。
楽しそうだったからよかったよ。」
「あ、兄貴、旦那、もう一個依頼が来ましたよ。
なんか速達で…あ。
兄貴、見てください。」
「あー?
あっはっは!
良かったな兄貴。
確実に気に入られてるわ。
ハンバート家からの依頼だぜ、これ。
はぁ、マフィア辞めて兄貴のマネージャーになろうかなぁ俺。
ま、これと親父の依頼を優先してスケジュール組んどくわ。
演奏の腕落とすなよ。
練習場所も探しておくから。
考えようによっては好都合だな。
上に食い込むのに、お偉いさんに名前が売れるのはどう考えても悪い事じゃない。」
しかし、参ったな。
目標は革命だというのに。
でも確かにピアードの言う通りだ。
平民じゃ話にならない。
まずは地盤固めと割り切ろう。
「ところでよ、木、出しっぱなしで良かったのか?」
自分もはっきり浮かれていたようだ。
まぁいいさ。
今日はいい日だった。
◆
ある時期からアプリードリヒ・ホールドウィンの名は少しずつ広がっていった。
後に王になる気配などなく、ただ気鋭のヴァイオリニストとして。
音楽のインタビューで、記憶が一度なくなったこと、その際の事故の影響か肩から木が生えている事も一緒に広まった。
いつしか隠す必要もなくなり、見られても奇異の目を向けられる事もなかった。
その際の記事がファーデンでは衝撃を持って受け取られた。
梨の木の象徴性とホールドウィンの名。
興味を持たれるのには十分過ぎるだろう。
革命の1ページ目は、政治でも戦争でもなく、ただの音楽雑誌のインタビュー記事だった。
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