第13話 梨の王 空白期間1
介抱カラフルな布を脱がすと、軍人らしい深い色の服が下から出てきた。
何があったら、軍人がこんなお祭りみたいなマントを羽織ることになるのか。
よく見ると様々な種類の布が細かくツギハギされている様だ。
「ふふ。
うちの本達と同じくらいバリエーションに富んでるね。」
裂けていたり破れているが、人のものなので勝手に捨てるわけにはいかない。
干すにもデカいので、仕方なくそのまま畳んでベッドの下に入れておいた。
始めは、大きな出血も見当たらないので身体は無事かと思ったが、左肩から大きな木が飛び出ている。
どの程度の間刺さっていたのか分からないが、皮膚は治癒されており、専門的な外科知識が無ければ、摘出は不可能だろう。
棚から医学に関する本を取り出して、捲るが、この状態に完全に合う症状は過去になく、リリアンとしては学問として学んできてはいないので、応用は効かないので適切な処置が分からない。
もしこれを抜くとしても、体を切る必要があるので、本人の目が覚めて相談してからの方がいいだろう。
持っていた荷物を見ても、水は少しあるし、食料もある。
はっきりした外傷は前述の木が刺さっている事の他は特に異常もなく、脈や呼吸も正常そのものだったので、心と体の疲労だと結論付けて、そのまま寝かせておく事にした。
3日程眠り続けた後に男は目覚め、固形物のないスープを作って共に食べた。
そうしてまた眠り、翌日目覚めると、男は表面上は元気を取り戻した様子で、リリアンが彼に気がつくと本棚を眺めていた。
「お探しの本はありますか?
私、司書のリリアンと申します。
当図書館での知識のサポートをしております。
なんでも聞いてくださいね。」
男は少し考え、リリアンの机の対面にある椅子に座ると、ゆっくり口を開いた。
「助けて頂いたのに、恐縮ですが…。
僕の事を教えて頂きたいのですが。」
男は記憶を失っていた。
◆
荷物の中には身分証が入っており、金属板に刷られた顔の写しもきちんとされていて、問題なく名前や出身が分かると思ったのだが、身分証は2枚入っており、その2枚は髪型は違うが顔は全く同じに見える。
「貴方は、ピアードさんなのか、アプリードさんなのか…どちらなのでしょうかね。
それか…もしかしたら偽名用の偽造身分証の可能性もありますね。
それなら顔が同じ理由もつきますし。」
記憶が曖昧な彼には酷な質問だが、まずそこからだ。
「いや、すまないが全くわからない。
記憶が無いわけではないんだが…。
例えば、逃げてきた事は覚えている。
国の宗教観が合わずに、亡命する予定だったはずで、確か見せてもらった布は気球の破片で砂漠に不時着した際に念のため千切って羽織ったはずだ。
あとは…。
そうだ!
他に居たはずだ!
1人じゃ無かった。
1人で脱出した訳ではない。
貴方は、リリアンさんは見なかったか?
誰か、僕以外の人を。」
「いや、見ていませんね。
砂漠でかなり見通しは良いのですが…。
そもそもその肩の様子を見るに、不時着したところからかなり移動をしているのではないですか?
昨日の今日で塞がるとは思えませんので。
男の方でした?
それとも女性?」
首を振る彼は結局何も思い出せず、なにも聞き出せず、とりあえずの体力が戻るのを待つ事になった。
なんとなく好きそうな本を渡して読んでもらったり、動きたいとの事だったので、図書館の外で軽く運動をしたり、本用の紙に使う、水につけて置いた木を砕くのを手伝って貰っていたりした。
3ヶ月ほど経つと、体調も万全と呼べる様になり、2人の仲も良くなった。
リリアンは珍しく司書としての接し方を崩して、まるで友人の様に接したし、彼も自分のことをするというよりは、リリアンの手伝いをする事が多かった。
「結局思い出せないから、アプリードだったという事にしたが、結局どっちなんだろうなぁ、俺の名前って。
まぁ、どっちでも良いんだけど…。
あ、なんかこれに近い会話を昔した様な気がするわ。
飲み屋で…なんだったっけか。」
「なら、お酒でも飲みますか。
偶に呑むのもいいでしょう。
もしかしたら思い出すかも。
これ、この本を見てキビを使った酒を昔仕込んだ事があるんですよ。
酒っぽくなってから一度も見ていませんが、かなり経っているので、もしかしたら上等な物になっているかもしれませんよ。」
「はっ。
素人の手作りか。
まぁ、お前と呑むのは楽しそうだ。
そのお堅い禿頭の中身も少し漏れてきたらいいな。」
リリアンはいつ作ったかはっきりしない程に古いタルからビン一杯に汲んで持ってきた。
ビンはきちんと琥珀色で、見た目は問題無さそうだ。
「よく活字を読んだだけでやれるな。
こんな文字から拾った情報を現実に取り出せないぞ、俺は。」
コップに入った酒を見てアプリードはそんな事を言う。
香りも問題無さそうだが、キツそうな酒だ。
一口含むとやはり酒精はかなり強いが、甘味があり、鼻から抜ける香りも良いように思う。
「これは名前をつけてやるべき酒だな。
ちゃんと出来てる。
凄いじゃないかリリアン。
司書なんかより、酒蔵でも始めた方が皆んなの為になるんじゃないか?」
「ははっ。
そうかな。
司書の仕事が気に入っていてね。
それに、本が無ければ私はとても酒なんて作る事が出来なかったよ。
名前ね。
今まで名付けをした経験が無かったから、なんにも浮かばないよ。
ここではこれしか酒がないんだから、単に酒で良いじゃないか。」
「馬鹿言え。
自分の名前も忘れちまった俺が言うことじゃないが、名前は大切だぞ。
神の雫だとか、そんな大層な名前にした方が美味そうだろ?
…そういや、リリアンってなんでリリアンなんだ?
それは女の名前だろ。」
「え、そうなんですか?」
自分の名前なので、物心ついた頃からそうでしょ。
疑問に思った事なんてなかったですよ。」
「それもそっか。
親御さんには聞いた事ないのか?
小さい頃悪ガキに言われ無かったか?
女の名前だって。」
「いや、私は子供の頃なんて無かったですし。」
「は?
そんなやついる訳ないだろう。
ほら、お前の持ってる本にも、そいつの子供時代が出てくるじゃないか。」
リリアンは本を何冊か持って来て開いて指を指した。
「いや、ほら、子供時代がない方だっているじゃないですか。」
「お前…。
マジでか。
マジで言ってるのか?
それは本の構成上省略されているだけだろう。
いいか?
生物は全て小さい頃があんだよ。
お前だってあるはずだ。」
リリアンはいつもの薄い笑みを消して考え始めた。
どうやら本当に分からないらしく、珍しく眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔をして、腕を組んでいる。
「ははっ。
覚えてないのか。
なんだよ、お前も記憶喪失か。」
アプリードはもう一つのコップに酒を注ぎ直すと、もう一度勝手に乾杯をした。
「えぇ…。
…まぁ、そうですね。
そう見たいです。
疑問に思った事も無かったですね。
このまんま生まれてきたと思ってた…。
そうか、私にもあったのかな、子供時代が。」
アプリードは無言でリリアンの背中を強く叩く。
なんとなく、リリアンはアプリードの肩をグーで叩いた。
「あぁ、思い出した。
そうだ!
俺はよくピアノのあるバーに通っていてさ。
そこでよく2人で呑んでいたんだよ。
それで、クダを巻くんだよ。
日頃の不満とか、逆に将来の夢とかさ。
俺らは兵士だったから危ない目にもよく遭ってて、それが宗教の戒律で余計そんな事になっててさ。
そもそもそのバーには元々仲のいい、同期の兵士がたむろしていたんだけど、最終的には俺ら2人になる程人が死んでいたんだ。
…そうだ。
それで、外へ行こうとしたんだ。
外へ行って、力をつけて、その意味もなく死んでいった奴らの為に戦おうと…。
2人で話していたんだ。」
「その方が一緒にいた方ですか?」
「多分な。
…リリアン、この山ほどある本の中に、俺を王に出来るような物はあるか?
俺は、多分テロリストにでもなろうとしていたんだろうな。
訳のわからない価値観に殺されるくらいなら、外に出て反抗しようとしていた。
国にはおそらく同じようなやつらが山ほどいるし、一度死んでしまった様なこの命は、それに使いたい。
その為に知識が欲しい。」
「友人としては、止めます。
死にますよ。
十中八九ね。
ただ、知識を求められるなら、差し出すのが司書です。
知識は史実から拾ってください。
革命家、ホールドウィンの本です。
晩年はただの好々爺だった様ですが、彼の青年期は読み物としても楽しいですよ。」
怪しい足取りで、リリアンは本棚から一冊差し出した。
黒い表紙のその本が、アプリードにどの様な影響を与えたかは分からない。
しかし、彼は後に王となる。
ここにある本が示すように。
その日からアプリードはその本を、分からないところや更に知識を深めなくてはならない様なところをリリアンに聞きながら、読み進めていった。
◆
梨の王アプリードの出自は、事の他はっきりしている。
宗教国ファーデンで育ち、そこからの脱走兵として、指名手配されていた他、空白期間を残してファーデン友好国の大貴族家の跡取りとして出現するので、現在まで公的な記録が様々残っている為だ。
彼の幼少も晩年も周りに人は多く、政変を成し遂げた辺りには関連書籍が多く出現したので、資料も多い。
それらによると、彼の評価は愛妻家で優しく、これまで蔓延っていた宗教幹部らの汚職を一掃したことから、政治手腕の能力も評価されている。
一方で、改革直後に一掃した事実から、敵には苛烈であったと評する声もある上、幹部の日記からは残酷な手練で追い込まれていった様子も描かれている。
しかしながら、王位後の記録にはその手管が残されておらず、殆どの時間を職務にあてていた彼が多くをその貴族に対応する時間がふんだんにあったとは思えず、その殆どがその貴族の恨み話と妄想では、という結論になっている事が多い。
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