第3話 ヴァロラブリーデリ 青春期1
ふわふわとした浮かれた色彩の夕陽の絵をどうしたものかと眺めていた。
なんだか気恥ずかしくて大勢の前に出す気にはならない。
なので、いつもの様に宿屋やカフェに売り込みに行くようなことは出来なかった。
絵の具を薦めてくれた画材屋に見せて意見を聞こうかとも考えたが、もし笑われでもしたら心が耐えられない気がする。
何がどうなってこうなったのかは全くわからないが、自分を写す鏡のような絵になってしまったのを感じる。
自分で見るからそう感じるのか。
こんなに気恥ずかしいのか。
いつも良くしてくれている、宿屋の女将さんにそっと見せてみてどう思うか聞いてみようか。
幸いもう昼食の忙しさは過ぎ去った時間帯であるので、嫌な顔はされても仕事の迷惑にはならないかもしれない。
下の階へ降りて行き、パタパタと掃除をしている女将さんに声を掛けた。
「おや、ヴァロちゃん。
珍しいね、何か用事かい?」
「あ、あの。
昨日、新しく描いて、まだ仕上げはしてないんですけど、観て、欲しくて。」
女将は笑顔を作り無言でバシンとヴァロの背中を叩くと、カウンターの裏に掃除道具を置いて戻って来た。
「どれ、見せておくれ。
ほら、持っておいで?
あんた!お茶頂戴!
二つだよ!あんたが混ざるなら!三つ!」
ヴァロが勢いに押されて、目を見開きあわあわとしていると女将さんはもう一度背中をバシンと叩いた。
「ほら、ヴァロちゃんも持っておいで。
私らは絵とかてんで分からないけどさ、好きとか嫌いとか、それだけでもいいんだろ?
今までちゃんと見たことなかったから、ヴァロちゃんの他の絵も見せてくれないかい?
嬉しいよ。
見せてくれようなんて思ってくれて。」
ヴァロは唇がモジョモジョして来てしまたので歯で軽く噛みながら部屋へ戻り、上手く売れるかもしれないと思った、よく描けた風景画を二つと、まだ途中の夕陽の絵を抱えてまた降りて来ると、湯気が三本立っていた。
「何だ?何だよ。
坊主、どうした?
かーちゃんがご機嫌じゃねぇか。
なんだ?絵?
…見せてくれんのか?
嬉しいねぇ、かーちゃんよ。
いや、気にはなってたんだ。
でもよ、あんまりこっちから詮索するもんでもないだろ?
なあ。」
ヴァロはどうしていいか分からずに苦笑いをして、まず風景画を包みから出した。
旅の途中で見た菩提樹で、その下に旅人が数人休んでいる様子のものだ。
抜ける様な青空と、深い緑の葉、影を落とす木陰は憩いの場を表現するように、淡く落ち着く色味になっている。
これを描いていた時、休んでいた旅人に話しかけられて、水を分けて貰ったことを思い出した。
確か絵を褒めてくれたり、旅の心配をしてくれた気がする。
当時はお礼を小さな声で言うので精一杯だったが、改めて絵を見るともう一度お礼を言いたい気持ちになった。
嬉しいのに上手く伝えられなかったもどかしさが今でもよみがえる。
「おぉ。
やっぱうめぇな!
なんか、優しい樹だな。
そうだろ?
がはは!そんな感じだろう!なぁ!」
「野暮だねあんた。
こういうのはね、作者はわざわざ言わないの。
もう、バカなんだから。
でも、そうね。
私も優しい樹に感じるわね。
ただ黙って旅人に軒先を貸してさ。
こういう宿屋でありたいものだわ。
そうでしょ?
あんた。」
親父さんはこくこく頷いている。
ヴァロはこれを優しい樹に感じるのはこの二人が優しい人だからだ、と思った。
思い返せばこの絵も描いていると、やはり雨が降って来ていたが、菩提樹があるおかげで誰にも雨に当たらずにいた事で罪悪感が少なかったのを思い出した。
菩提樹がヴァロの気持ちも、旅人の荷物や身体も守ってくれていた、確かに優しい、この宿屋にぴったりな絵だと思った。
「こ、これ、この宿屋に合うと思う。
お、女将さんも優しいし、親父さんは、最初声と身体が大っきくて怖かったけど、今は優しい人だと思う。
だから、か、か、か、飾って欲しい。」
二人は顔を見合わせると頷いた。
「よし、買おう。いくらだ?」
ヴァロはびっくりした。
自分で絵の値段を決めた事なんてなかったし、この絵はここにあるべきだと思ったから口に出しただけだったからだ。
こうやって話をして売りつけようなんてつもりはカケラも考えていなかった。
言葉が出ない。
「…ふむ。
いつも絵を売っている時はいくらぐらいなんだ?
…なるほどな。
銀5枚から15枚か。
ちょっと待ってろ。」
ヴァロはまた唇をモムモムさせている。
申し訳ないのと嬉しいのが半分になって心がざわざわする。
「ヴァロちゃん。
あのね、私らは単純に絵が気に入った。
アンタはここに似合うと思ったから言ったんだろうが、それとこれとは別だ。
私らはアンタが気に入っているけどタダでは泊めない。
そうだろ?
気に入るも気に入らないもおんなじ客さ。
それで区別はしない。
アンタの絵も同じ事さ。
じゃないと今まで買ってくれた他の人に失礼だし、アンタが今まで頑張って磨いてきたその腕前に失礼だ。
わかるかい?」
ヴァロは頷くことしか出来ない。
そうか。
それが絵描きの心身の置き所なのか。
この人たちは対等だと言ってくれたのだ。
「おら、代金だ。
銀貨で30枚入ってる。
市民の月収よりちょっと多いくらいか?
俺らはこの絵はそのくらいの価値があると思う。
あ、でもよ。
あの…端にお前のサインを描いてくれないか?
きっと有名な画家になるよ、ヴァロは。
そうしたら、自慢するのさ。
これはあの有名なヴァロラブリーデリの作だって。
するとどうなると思う?
この絵を観にじゃんじゃか溢れる程客が押し寄せて、一日で元が取れるってもんだ。
な、だからよ。
頑張れ。
ヴァロ。」
我慢出来なかった。
我慢は得意だと思っていたけれど、涙が止まらなかった。
生まれて初めて他人がヴァロを見てくれた気さえした。
「あらあら…。
他にも見せてくれる絵があるんだろ?
見せておくれ。
ゆっくりで良いから、どんな気持ちで描いた絵なのか教えておくれ。」
鼻をズビズビさせながら次の包みを開けると、二枚一セットになっている港の油絵と、猫と子猫の鉛筆画だった。
◆
この街へ来たばかりの頃、港の方で何か描こうとしている時に1匹の猫が寄って来た。
正直猫は苦手だ。
いつも身の回りには魔女の村らしく沢山の黒猫がいた。
村の雰囲気なのか本当にそう思っていたのかはわからないが、猫すら自分を馬鹿にしている気がしていたのだ。
なので寄ってきた猫を無視していたのだが、港が複雑で見慣れないものな為に、下書きすら一日では終わらなかった。
再び同じところに戻る度に猫は来た。
いつもここに来るたびにやって来た。
茶色と白の模様の彼は寄ってくるだけで何もせず、隣の日に当たる所で横になったり伸びたりするだけだった。
そんなよそよそしい一人と一匹を見て厳ついひげだるまな漁師のお兄さんが売り物にはならない雑魚をくれた。
「あそこのよ!
焼き場に持って行ったら焼いてくれるからよ!
食え!な!
売り物にはなんねーけど、まぁまぁ美味いぞ!」
頑張ってお礼を言うと、髭と対比して余計に真っ白な歯を見せながらまた仕事へと戻って行った。
一尾は焼いてもらい、もう一尾はそのまま猫へ。
絵が描き上がるまで、そうして並んで魚を食べるのが日課になっていた。
もうとっくに下書きは終わり色を入れる段階に入っていたが、色を入れると雨が降る。
天気が悪くなると漁へ出られないお兄さんや、ずぶ濡れの猫が脳裏に浮かび、何枚も何枚もスケッチを重ねはしていたが、色を入れることはしていなかった。
ある日丁度、ひげだるまなお兄さんが船の上にいて、ちょうど接岸しているタイミングに出会った。
太陽を背にして棒を持ち、港に寄りながら角度を調節して船を操作する様はとてもかっこいいと思った。
それを港で待つ猫もとても美しく感じた。
どうしても色を入れたくなってしまった。
雨が降れば彼らに迷惑が掛かるのに、どうしてもどうしてもどうしても、この感動を描いておきたい。
鮮烈な印象が頭にこびりついて離れないでいたので、宿に戻り夜になってから色を挿す事にし、こうすればきっと迷惑はかからないかもしれないと、そう考えた。
直接見ていないのだし、朝になるまで時間が沢山あるから大丈夫だろうと。
しかし、翌朝目が覚めた時に聞こえた外の雨音にヴァロは酷く悲しんだ。偶然そういう天候の日だったのかヴァロのせいなのかは分からないが、とにかく雨は降ってしまった。
誰一人、ヴァロのせいだなんて思わないだろうが、ヴァロ自身は自分のせいだと責めた。
今頃きっと、ずぶ濡れで寒がっている猫がいて、漁に出られず困り果てた漁師の顔を想像すると申し訳ない気持ちで一杯だったのだ。
自分が描きたいと思ったばかりに。
そんな罪の意識が募り港に行かない日が続いたが、絵を描く事はやめられなかった。
ようやく描き上げてから数日たった晴れた日に、ちょっとだけ港へと行ってみようかなという気持ちになった。
日を跨ぐとヴァロの罪の意識は薄れたのもあるし、友達になったと思う猫を一目見たかった。
もしまだ濡れていたら拭いてあげたかった。
港に着くと漁師も猫も居なかった。
漁師はこの時間はいつも漁に出ていたはずなのに、船は港にあるままだった。
猫もいつも直ぐに来たのに今日は全然来ない。
居た堪れなさと、薄れた罪悪感が戻って来て足が震えた。
もしかしたらと考えると悪い事ばかり考えてしまう。
もう帰ろうか、そう思い歩き出そうとした時に船から手を振る人が見えた。
漁師のお兄さんが手招きをしているようだ。
もしかしたら、あんなに良くしてくれたお兄さんを怒らせてしまったのかもしれないと、恐る恐る近づく。
お兄さんはいつもの様なでっかい声ではなく、そっと小さな声でこっちとだけ言った。
ヴァロはそんなトーンの変化に、心が折れそうになった。
「あんまり大きな声だすなよ。
お前のことは大丈夫だと思うが、アイツも大仕事を終えたばかりだからよ。」
…大仕事…?
腑に落ちないまま船室に入ると隅っこにいつもの猫が居た。
一瞬だけ警戒した様子を見せたがヴァロだと分かると、ナァと鳴き元の体勢に戻った。
「ほら、そっと見ろよ。」
ゆっくり静かに近づくと、猫のお腹の所に小さな猫が3匹くっついていた。
「なんか、見てるだけで泣けてくるよな。
俺、この船で飼おうと思っててさ、飯は毎日どうせ雑魚が掛かるし、こんなの見たら放って置けないだろ?
まぁ、野良だから気ままにどっかに行くかもしれないけどよ。
頼られてるうちは、な。」
ヴァロはなんかとても嬉しくなり、漁師の繋ぎをギュッと握ると、漁師はワシワシと頭を撫でてくれた。
そうか、放って置けないのか。
そうか、そういうものなのか。
そんな事を噛み締めると、村を出る最後の時に母親が話しかけてきたことが、もっと意味を持った気がした。
「また遊びにこいよ。」
ヴァロは頷くと帰って猫と子猫の絵を描いた。
色は入れずに、鉛筆のみで親しみを込めて。
雨はいつか上がるが、今は幸を願うには寒すぎるかもしれない、そう思った。
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