第15話 来訪者



エディスがカタリナの家で一泊した次の日。

ジュリアンがカタリナの職場に姿を見せたのは、夕方の少し静かな時間帯だった。

カタリナがオフィスで書類を片付けていると、ノックもなくドアが開き、彼が現れた。


「殿下?」カタリナは驚き、顔を上げた。

普段穏やかな彼とは違い、どこか焦りを感じさせる様子があった。


「突然で悪い、少し時間をもらえるか?」ジュリアンは控えめに言ったが、その目には切迫感が漂っていた。


カタリナは一瞬、エディスのことではないかと直感したが、あまりに唐突な訪問だった。「でも、ここは申請がないと入れないはずですが…どうやって?」


ジュリアンは軽く眉を寄せたが、「気にするな。それより…君は遺伝子の専門家だったな?」と、話を切り替えた。


カタリナは彼を一瞬見つめたが、冷静さにうなずいた。「そうですが、どうしてそんなことを?」


ジュリアンはためらいながら言葉を続けた。「エディスが…何か検査を受けたんじゃないか?病気があるとか…?」


カタリナは驚きつつも、即答を避け、冷静な目で彼を見返した。「殿下。たとえそれがエディス様のことだとしても、私は患者のプライバシーを守ります。彼女の情報を殿下にお話することはできません」


ジュリアンはすぐに手を挙げて謝意を示しながら、「もちろん、君がそんなことをするとは思ってない。ただ、心配で…君にしか頼れない状況なんだ」と釈明した。


その言葉を聞いた瞬間、カタリナの胸に疑念がよぎった。

殿下は単なる心配で来たのではなく、エディス様の家系に何か気付いているのではないか。


「殿下、もしそうだとしても、エディス様が自分の口から話すのを待つべきです」カタリナは静かに忠告した。


ジュリアンは視線をそらし、少し困惑した様子を見せた。「そうだな、わかってる…でも、彼女が重大なことを抱えているなら、僕が知るべきだと思うんだ。彼女は一人で抱え込むタイプじゃないか?」


カタリナは少し沈黙したが、その後、彼に向き直って答えた。「エディス様は強い方です。殿下が思っている以上に。でも、彼女が今何かを抱えているなら、それは彼女自身のタイミングで、彼女自身の言葉で話すべきことです」


ジュリアンは深いため息をついた。「そうかもしれないが…君がエディスに関わるのは控えた方がいい」


カタリナは少し冷ややかに言った。「エディス様の交友関係は、エディス様が決めます」


「だとしても、君が私とどういう関係だったか忘れたわけじゃないだろ?関わらない方がいいんだ、君にとっても」


「殿下のことは正直本当にどうでもよいですが、私はエディス様に感謝しています。仲良くなりたいと思ってます」


ジュリアンは苛立ちを隠せない様子で言い返した。「やめろ、余計なことを言うな」


カタリナはジュリアンが自分と同じように感情的な性格だということを理解していた。

彼がエディスの前ではその性格を隠していることも察していたが、それをあざ笑うのは楽しかった。


「殿下も見ていたでしょう?エディス様が私に卒業パーティーのアドバイスをくれたこと。あれから私はエディス様の大ファンなんです」


ジュリアンは顔をしかめた。「俺の妻だ」


「殿下の妻でも、エディス様にはエディス様の意思があります」


「お前が出てくると、碌なことにならない。この前も再婚を勧められたんだ」


カタリナは笑いをこらえながら答えた。「それなら、エディス様が嫌がっているなら、離婚をして差し上げれば」


「離婚はしない。お前とは違う」


「私も、離婚するために結婚したわけではないですよ」


その時、ジュリアンが小さくつぶやいた。「子供を作っておくべきだったか…」


カタリナは聞き流さず、軽蔑の目を向けた。「エディス様の意思を無視したら、嫌われますよ」


「…分かってる。でも、彼女が家から出て行くなんて認められない。どうか、何も言わなくていいから、彼女を説得して戻ってくるように頼んでくれないか?」


ジュリアンの焦燥感と愛情が混じった言葉を聞いて、カタリナはためらいながらも静かにうなずいた。


「どこまでご存知ですか?」と、カタリナは静かに尋ねた。


ジュリアンは一瞬顔を強張らせたが、すぐに微笑んで言った。「いや、何も。ただ、彼女の様子が少しおかしかったから…」


カタリナは彼の仕草を見逃さなかった。「エディス様が自分で話すのを待てるなら、それが一番です」


ジュリアンは少しの間考え込んだ後、うなずいた。「君の言う通りだな…」


彼は振り返りざまにカタリナに向かって言った。「君がエディスの味方でいてくれることは感謝している」


カタリナは微笑んで応えた。「エディス様のためにできることをするだけです」




ジュリアンが去った後、カタリナは深く息をつき、エディス様と初めて会った時のことを思い出していた。








部屋のドアが軽くノックされ、私は顔を上げた。

そこに立っていたのは、見覚えのない女性。

彼女が誰なのか、すぐにはわからなかったが、その堂々とした佇まいには何か特別なものがあった。


「カタリナ様?」彼女の声は優しく、柔らかかった。「少し、お話ししてもいいかしら?」


戸惑いながらも私は頷いた。

先ほどまで涙を流していた自分が恥ずかしくて、手で顔を隠そうとしたけれど、彼女は近づいてきて、そっと私の頬に触れ、涙の跡を丁寧に拭き取ってくれた。


「大丈夫よ、もう泣かないで」彼女は微笑みながら続けた。「これから、貴女には素晴らしい未来が待っているんだから、今はその準備をしましょう」


その言葉に、私の中に少しずつ温かさが広がっていった。彼女の優しい声が心に響き、自然と落ち着いていくのを感じた。


「とびっきりのおしゃれをして、決して涙を流してはだめ」彼女は私の手を優しく握りながら言った。「明日の卒業パーティーが最後の社交の場だとしても、堂々と、誰にも侮られないように振る舞いなさい。自信を持っていれば、周りもそれを感じるわ」


彼女の言葉に、私の心が少しずつ強くなっていくのを感じた。


「それに、もし婚約が解消されるとしても、それは新しい未来の扉が開かれるということ。悲劇のヒロインになる必要はないわ。むしろ、これから自由になることを楽しみにして」


エディス様は私の目の腫れを治す薬を手際よく塗ってくれた。その手つきは、まるで母親のようで、安心感が広がった。彼女が差し出した服やアクセサリーはどれも美しく、これを身に着ければ、もっと自信が持てそうな気がした。


エディス様が部屋を出て行った後、ふとバルコニーを見ると、ジュリアン殿下がそこに隠れていたことに気づいた。彼がいつからそこにいたのかはわからなかったが、黙って私たちのやり取りを見守っていたようだった。


「エディス姫の言葉、正しいと思う」ジュリアンは静かに言った。「今はお互いに、しっかり役割を果たさないと」


その言葉に私は静かに頷いた。

エディス様の訪問によって、私たちは少しずつ冷静さを取り戻していった。そのおかげで、卒業式パーティーでは恥ずかしくない振る舞いができたと思う。



ジュリアンと私は、若さと勢いで突き進むところが似ていた。

でも、エディス様には殿下を冷静にさせる何かがあった。

私にはそれができない。

彼女と殿下は、本当にお似合いだと感じた。




あの辛い婚約破棄の中で、この出来事だけが、唯一美しい思い出として私の中に残っている。



私は深く息をつき、エディス様への感謝と彼女の力になりたいという思いが胸に広がる。

けれど、殿下とも仲良くいてほしいという願いが、心の奥で静かに渦巻いているのを感じながら、デスクへと戻った。








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