🌸はらひらふたり

@rita2299

第1話🌸冬の幕切れ

自分の顔を見ることは叶わない。


兄姉の顔もだ。

両親の姿すらもこの目に入れたことは、無い。


それでも家族は、「可哀想だ、気の毒だ」と俺を憐れんでくれた。


俺は俺のことが無価値だと思う。

色も文字も分からないまま、だらだらと大人になって。

家族には結局世話になったまま、支えられ続けて。


父は悲しい顔をして、穏やかに告げた。

「すまんな、もう二十歳になったお前をこれ以上

家に置いておくことはできないんだ」

母は申し訳なさそうに、静かに言った。

「あなたに罪はないの。

盲目な身だから苦労するだろうけど、これからは一人で生きていくのよ」


当然だ。


いつかはそうなると思っていた。

何も返せない俺に、誰が尽くそうとするのだろう。


俺はとっくに諦めていた。


生まれたときから真っ暗だった視界に、


光を差す者は、居ない。


        〇ー♢ー〇ー♢ー〇ー♢ー〇


「…………ッ!」

陽の光を遮るように閉め切った部屋。

いや、そもそもこの時間に太陽なんて顔を出さない。


俺は独り、俺ひとりの部屋で飛び起きた。

(……最近はこんな夢ばかり見るから寝付けん

…まだ朝までは、遠いか)


緩く着た着物には、嫌な汗をかいていた…と思う。

時間を確認するすべは無いが、自分の汗のことくらいは分かる。


思い出すだけでも罪悪感が襲う、家族の夢。

家族が俺に尽くせば尽くす程、申し訳なくて胸が潰れそうだ。


実際には疾うに潰れているんじゃないかと思うが、確認することができなかった。


『これからは一人で暮らすのよ』

一人、独り、ひとり。


コン、コン、コン

扉を叩く優しい音色。

「ごめんくださーい」


(…こんな時間に、誰だ……。)

まだ肌寒い、夜明け前の縁側を歩く。

壁伝いに声のする方…玄関へ行き、

「…なんの御用ですか」

とたずねる。

不愛想に聞こえただろうが、そんなことどうでもいい。

「!

白紅しろべに秋葉あきは様ですか?」「はい。そうですが」

「このような時間に失礼します。

本日から秋葉様の妻となります、実春です」

「…………なんと?」


ガラッ

扉が開き、ふわりと耳に舞い降りるような、女性の声が聞こえる。


「今日からあなたの妻となります

桜陽おうよう 実春みはると申します。」



その声の主が微笑んでいる気がした。


        〇ー♢ー〇ー♢ー〇ー♢ー〇


とたとたとたとた…

朝日が輝いていたであろう縁側から、走り抜けるような足音が聞こえる。

いつの間に眠ったのか、俺は布団で目を覚ます。

「…朝から何の音だ」「秋葉様!」


「おはようございます。わたしは見ての通り床掃除を―――

わ!失礼しました!目が見えないのでしたよね」

「………。」


「朝から汚れの無い廊下を歩けたら、

秋葉様が嬉しいと思いまして!あ、足音がうるさければ中断しますが…」

優しい声の主から、桜の香りが漂った。

「…いや、いい」

「では顔を洗い、お召し替えが終わった後、朝食にしましょう!」

俺は壁を頼りに移動しようとした…が、

「秋葉様」


「井戸はあちらにありますよ!」

「!」

俺に寄り添うようにして、ぴたりと絡みつく彼女の腕。

驚いてとっさに、

「じっ…自分で行ける!

余りくっつくな!」「そうですか?」

と少し大きな声を出した。井戸へ向かおうとしたその時、

「あっ」

ずさーーーー。

俺は縁側から足を踏み外して顔面から転んだ。


顔面から転んだのだ!!!


受け身をとれず「うう…」と呻いた俺に対し、

「大丈夫ですか!?」

と駆け寄る彼女。

「いつもは壁を頼りに歩いてたんですね…

庭を歩くのは一人じゃ難しいかもです…」


        〇ー♢ー〇ー♢ー〇ー♢ー〇


「はい。おあがりください。

献立は焼き魚とお漬物、お米にお味噌汁です。

家にあった材料だと、お野菜が少し心もとないですねー…。」

ささっ、と二人分の盆を目の前に出してくれた様子。

俺は手探りで箸を手に取り、


「…み、実春……といったか」

ぎこちなく名前を呼んだ。

「お前…

なぜ俺によくしてくれる?」


「こんな…一人では何も、できない奴に………」


「実春には利点など無いだろうに」


「なのに…どうして……」「…理由なんてありません。」

その言葉の数秒後、俺の口に焼き魚がつっこまれた!


「そのほうが、わたしが幸せなのです。

さ、たんとお食べ!」



彼女が桜の木を背に、笑った気がした。

「いただきまーす」「………いただきます」


「と、言いましてもね

両親と暮らしていても幸せだったんですよ」


「一人っ子だったので、わたしをとても大切にしてくださって。

結婚の決断もわたしの意見を通してくれました」

「…まさに、”幸せな家庭”ではないか」

俺はそんな感想を持ってしまった。


「あっ!ねぇねぇ秋葉様!」

明るい声のした方へ顔を上げ、俺は表情をやわらげた。

「庭に咲いている桜、とってもきれいです!」


父が昔使っていたというこの屋敷には、桜の木があるそうだ。

それを障子の間から眺めながら、彼女は

「わたし、お花の中では桜が一番好きなんですよ!」



俺に向かって笑いかけた。そんな気がした。


        〇ー♢ー〇ー♢ー〇ー♢ー〇


それから彼女と過ごして、

彼女の作った夕食を食べ終えた。

「秋葉様、昨日より顔色

よくなってません?」「そうか?」


「朝昼晩としっかりお食事をとったからでしょうか?

秋葉様、昨晩はすっかり血色が悪かったんだから。」


縁側の、俺の隣に座ったであろう彼女。

「それなら、…俺がどんな見た目か教えてくれないか。

俺は…自分の顔を知らないんだ。」


こんなに素直に要求を伝えたことは、幼少期ぶりかもしれない。

彼女もまた素直に、俺の方を向いて伝えてくれた。

「うーん…そうですねぇ。

肌も髪も白がかっていて…瞳は紺色ですね。

秋葉様の凜とした雰囲気を例えるとすれば…」


「月明りの下の白鳥…みたいですかね!」


「そうか…この一日で、そんなに俺のことを見ててくれたのか」

「それはもちろん……」


ぎゅっ


「秋葉様を愛する

妻ですから…っ!///」



隣に座る彼女は、恥ずかしそうにうつむきながらも手を握ってくれた。

そんな気がした。

俺の方も、とたんに顔が紅色になっていくのを感じる。

「………っ//

俺は部屋に戻る…!」

「え?お風呂はいいんですか?」

「…お前もちゃんと休め。」

壁伝いに早足で廊下を歩きながら、俺は黙って心臓の音を聞く羽目になった。

ドッ、ドッ、ドッ

口元に手を当てて、心臓の音を落ち着けるべく立ち止まる。

しかしこんな風に心が弾むのは初めてで、心臓は鳴りやまない。


目の前は真っ暗なのに、頭は色で彩られていく。


彼女の―――実春の色だ。



初めて俺の中で、春が幕を開けた気がした。

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