16.行軍

 

■■


 午前2時。セント・アルダンの教会。無数の蝋燭に照らされて、大理石の床が灯るその礼拝堂。


 今ここには、全部で48人の怪我人がいる。子供も多い。彼らは全員、商人だ。この街の北西にある崖道で起きた土砂崩れに巻き込まれたのだ。


 私とトムソンはマール領へ向かっていたが、その道中、土砂崩れの現場に出会でくわした。すぐにトムソンに人を呼んでもらい、救出し、こうして治療を行っている。


「問題ない。すぐに治る」


 ようやく、最後の怪我人を診終える。出来ることはやったつもりだ。だが、残念ながら教会の外には15人の死体がある。彼らは、私たちが見つけた頃には事切れていた。


「流石ですな、本当に。私1人ではとても診れなかった」


 セント・アルダンで医者をやっている爺さんが近づいてきて、ホットミルクを差し入れてくれた。折角なので頂くことにする。


■■


 外に出て、夜風に当たる。からりとして爽やかだった。煙草に火をつけると、ジジという燃える音が風に消された。


 死体を布で包んでいたトムソンにも一本くれてやる。


「終わったのか?」


「ああ」


 老人の亡骸のそばに、1匹の老犬が寄り添っている。ここに到着してから、ずっとこれだ。きっと、長い間旅を共にしてきた家族だったのだろう。


「結局、"助けに来る予定だった兵隊さん"ってのは誰だったんだろうな?」


 怪我人の1人が言っていたことだ。どうやら私たちが来る前に兵が通りかかり、それで助けを呼んで来ると言って去っていったらしい。中にはそのが私たちだと思っている人もいるようだが、そうではない。


「白い甲冑かっちゅうの兵だったそうだ。となると、正教軍だな」


「正教軍が何でこんな田舎に……」


「聖女の巡礼だろう。セント・アルダンに立ち寄っていた事からも符合する」


 トムソンは干し肉を犬の前に置いてやった。犬が手をつけようとしないので、撫でてやっている。


「待てよ。聖女ってのは人を救うもんって聞いたぜ。でも、その水の聖女はコイツらを見捨てて、どっか行っちまったのか?」


「どうだろうか……」


 マリアベルは強い子だ。自分が成功するためなら、他人を利用することもあるし、嘘だって平気でつける。可愛い顔をして、そういった事を躊躇なくやる。


 だが、その根本は良い子なのだとも思う。でなくば、あんなに小まめに親に手紙を書くことなんてしないだろう。机に向かっている時の優しげな顔は、決して偽りの表情ではなかった。


「知り合いだったんだろ?」


「聖女の中では一番付き合いがあったかな」


 マリアベルは、学園に入ってから初めてまともに口をきいた子だ。入学当時、私は身分が低いから誰にも相手にされていなかった。その中で、唯一ちゃんと接してくれたのがマリアベルだった。


 もちろん、それが無償の優しさであったとは思っていない。私を利用してやろうという確かなしたたかさも、ひしひしと感じていた。


「どんな人だったんだ?」


「良い子だよ。まあ、若干調子に乗るきらいはあるが」


□□


 パイモンにある鳩小屋に、1羽のみやびな鳩が降り立った。


 鳩小屋を管理している少年は目を疑った。鳩が持っていた2書簡には、金蝋による封がなされていたからだ。印は王冠クラウンに王座、その周りに5つの盾が描かれている。


□□


 ターナーは宿の自室で書簡を受け取り、急ぎ封を解いた。その内容は、全く予想しないものであった。


『教皇のめいにおいて海聖水の聖女に従え』


 差出人の名は聖座


「──馬鹿なッ!」


 ターナーから血の気が引く。指は冷え、眩暈めまいがした。この一枚の紙、ただの一文に、あまりにも情報が多すぎる。


 水の聖女に従え? ならば光の聖女に対する謀反を支持すると言うことか? 何を考えている? どのような理由があってその判断を下したのか?


 いや、しかし、一番目を疑うのは──


「クリストフ5世の名がない……!」


 ヴィルヘルム・マーシャルと言えば、正教軍の大元帥。追放されたリトル・キャロルを除く、4人の聖女を任命しためしい。それが教皇とはどういうことか。教皇はクリストフ5世ではないのか。


「──正教会は『軍部』に乗っ取られた」


 まさか、教会内に燻っていたクリストフ5世養父の本部教庁とヴィルヘルムの軍部の軋轢が極まった結果か。


 これについて考察する間もなく、扉を叩く音がした。外から、リアンの声がする。


「ターナーさん、聖女様がお呼びですが……」


 背筋が凍るような、悪い予感がした。


□□


 ターナーは緑溢れる中庭を行き、マリアベルのいる離れまで向かう。その隣でリアンは、強張った表情で書簡を読んでいる。


「ならば……。ならば、光の聖女を討つという選択を正教会が許可をしたと言う事になるのですか……⁉︎」


「"聖女に従え"と勅命は下りました」


 勅命を背けば、大罪である。


「恐らく、聖女様に呼ばれたのも密告がバレたからでしょう」


 リアンはハッとして、ターナーを見る。マリアベルの自室に呼ばれてターナーを呼べと言付けられた時、机の上に似たような書簡があったのを思い出した。


□□


 マリアベルは窓辺の椅子に座っていた。涼やかな夏の風に髪を揺らしながら、ターナーに書簡を渡す。内容はターナーに届いたものとは別であった。


『巡礼のかんに限り、これをもって海聖かいせいの権限を教皇と同等とする』


 ターナーの悪い予感は当たった。教皇ヴィルヘルムはマリアベルにも書簡を届けていたのだ。


「光の聖女を討つと覚悟した瞬間に、これです」


 マリアベルの表情は読めない。窓からの光が逆光となって、深い影を落としている。


「きっと、これが神のお考えなのでしょう」


 ターナーにはそれを否定することが出来なかった。一連の流れは、マリアベルにとってあまりにも出来すぎている。神の奇跡と言っても良いほどに。


「リアン、今すぐヒルデブラントを呼んでください。話があります」


 隣でリアンが仕方なく頷いたのを見て、ターナーは問う。


「……どうするおつもりですか、聖女様。まさか、本当に光の聖女を」


「──部外者には関係のないことです」


 ターナーは一瞬硬直したが、すぐに目を閉じ、ゆっくりと頭を下げた。


 これをもって、ジャック・ターナーは中尉を罷免ひめん。巡礼の間はマリアベルの監視下に置かれ、自由を失う。聖都に戻り次第、陥穽かんせいの罪人として軍法会議にかけられる事と決まる。


□□


 マリアベルは、急ぎ現れたヒルデブラントに告げる。


「貴方には、光の聖女を見つけるをして欲しいのです」


 ヒルデブラントは跪き、額の汗をハンカチで拭きながら、へこへこと頭を下げ、話を聞いている。


「大した事ではありません。乙女たちを集めて欲しいのです。ウィンフィールドは広いので、一軒一軒回っていくのはとても時間がかかりますから」


「畏まりました。聖女様のために、身を粉にして働かせていただく所存です」


「良い機会ですから、ウィンフィールドの子供たちに、私の力を特別にお見せするという事にしましょう。私のような子供でも世の役に立てると言う事を知れば、乙女たちの励みにもなるでしょう」


□□


 12時50分。水の聖女の号令により、パイモンにある哨所しょうしょ前に第二聖女隊ならびに、辺境伯軍で構成される護衛小隊45名が集う。


 聖女が兵たちの面前に立ち、言い放つ。


「ただ今より、辺境伯軍護衛小隊を第二聖女隊へ吸収合併とし、ウィンフィールドへ向かいます」


 辺境伯軍は互いに顔を見合わせ、"これはどういうことか"と視線を交わす。第二聖女隊に属するならば、指揮系統が大きく変わる。プライズ辺境伯の命ではなく聖女マリアベルの命において働かなくてはならない。


「理由をお聞かせ願いたいのですが」


 エリカが問う。


「全てを円滑に済ませるためです」


「説明が十分になされないなら、辺境伯軍としては──」


「拒否権はありせん。教皇の勅命により全権が私にあります」


 エリカは目を見開き、驚いた。


「以降、疑問を呈す場合は正教会教皇に対する謀反むほんとして、これを扱います」


 そして辺境伯軍の全員が一斉に、45度の最敬礼をする。


 勅命とされれば、従うしかない。勅命に理由は問えず、説明はない。そして教皇の名は、王の名と同位。それを断れる人間は、この世界に王と教皇のみである。


□□


 13時。第二聖女隊はパイモンを出立。以下隊列、第二聖女隊の馬車3台、昨晩のうちに隣領から駆けつけた正教軍騎兵30名、辺境伯軍騎兵10、辺境伯軍歩兵35、内正教軍1名捕者とりもの。ウィンフィールドを経由ののち、近郊にある地下墓地ラナを目指す。


「これより本隊は、風を食む雄牛のに向かう。前進」


 先頭に立つ正教軍兵士が合図をし、みな一歩を踏み出す。


 エリカは号令に違和感を抱く。そもそもの目的は風を食む雄牛を封ずる魔法の強化、また、それに取り憑く悪霊の祓いではなかったか。いつのまに巡礼の目的が変わったのか。


□□


 13時02分。エリカはこれらのただならぬ気配から、密使を辺境伯の元へ行かせることにした。


 ミッシェルは隊から騎馬が一つ離れて行った事に気がついたが、それを黙認。正教軍に悟られないよう、騒ぐなと早急さっきゅうに部下に伝達。表面上、滞りなく行進がなされているように努めた。


□□


 15時。ウィンフィールド郊外にある居城。領主プラン・プライズ辺境伯の執務室に、エリカが送った密使が到着する。密使の顔は青い。


「ミッシェル・マクロラン、エリカ・フォルダン両小隊は第二聖女隊傘下に属するとして、指揮権が聖女に移行なされました」


 プライズ辺境伯は、ずり下がってきていた老眼鏡を指で押し戻し、怪訝な顔をして本から密使に目をうつす。


「また、風を食む雄牛の封の強化から、討伐へと巡礼の目的が変更になった模様です」


「何……? ならば、封印の獣のを解くと言うのか」


 風を食む雄牛は600年前に、"物理的に討伐が不可能"として封印された魔物である。


 残された書によれば、この魔物は身体がない。風を食べて体を風にしたとされる。まるで鎌鼬かまいたちのように人々を切り裂き、跳ね飛ばし、体に風穴を開けていく。身体がないので、姿が見えない。姿が見えなくば、対応のしようがない。


 かつて突然現れたこの魔物に、プラン領(プラン・プライズ辺境伯領の前身)の民が3万人以上殺された。戦乱や飢饉ききんよりも被害が出た。


 最終的に雄牛は、何百人という兵や住民を残したまま"ウィンフィールド"の街ごと封印された。封印に成功したのは奇跡に近かったと記される。この戦いで当時の宮廷魔術師が多くたおれた。


 今あるウィンフィールドは、旧市街から移転されて作られたものである。


 封印の地には、石柱を立てて、幾つもの平たい岩で封じられ、上から盛り土がされた。今では旧ウィンフィールドを、地下墓地ラナと呼ぶ。ラナの名は、封印に用いられた16歳の生贄の少女の名から取った。


「ならんぞ。そんな話は聞いていない」


「しかし、教皇の勅命です」


「勅命だと⁉︎」


 辺境伯が立ち上がり、椅子が倒れる。


□□


 プライズ辺境伯は、第二聖女隊に向けて密使を返すのとは別に、伝令を出した。これは、何故ゆえ討伐を行わなくてはならないのかを問うものであり、その中止も求めている。


□□


 同時刻。ウィンフィールドの中央広場では、商工ギルドが触書ふれがきを立てていた。パイモンのヒルデブラントより、『聖女の計らいで特別に子供達にお力を見せていただける』との報が届いたのだ。聖女と共に、地下墓地ラナに共に向かえるのだという。出発は、明日夕刻に設定されている。


 ウィンフィールドの男子おのこ達は立ち入り禁止のラナを探検できると喜び、乙女達は憧れの聖女様の力が見れると言って、喜んだ。みな、期待に胸を膨らませた。


□□


 18時。プライズ辺境伯は長い廊下を、急ぎ行く。隣の秘書官に言うその声は荒れている。


「伝令が帰って来んのだな⁉︎」


「はっ」


「正教軍は一体どういうつもりか!」


□□


 辺境伯は厩舎に向かい、毛の長い黒く巨大な馬にくらあぶみを付ける。


「ワシの装備を用意してくれ。あと第二聖女隊の2倍の兵を集めい」


「ど、どうなさるおつもりで」


 秘書官は困惑する。


「封印を解くという限り、聖女はウィンフィールドには入れられん。ラナは街から近い。あまりに危険すぎる」


「しかし、勅命ですぞ」


「だまらっしゃい! 領民が第一じゃ! そこは耳が遠かったことにするか、ぼけた事にするか、いずれにせよ年の功で上手く誤魔化すわ!」


「聖女様に剣を向けるおつもりですか」


「やらん! 膠着を狙うだけよ! 伝令が帰ってん以上、兵をずらりと並べてハッタリを効かせつつ、考え直すよう話すしかなかろう」


「それでもやめなかった場合は……?」


 辺境伯は顔を顰めて言う。


「相手はだ。話せばわかる!」


 ここで辺境伯の前に、若い料理人が現れる。


「ああ、辺境伯さま、ここにおりましたか。今日の歓迎会の事で、料理長が聖女様は何をお食べになるのかと……」


「ええい、今はそれどころではない‼︎ 乳粥ちちがゆでも準備させておけ‼︎」


□□


 同時刻。第二聖女隊はウィンフィールドの街まで続く、長い石畳の街道を行く。街の灯りが、遠くに見えてきた。


 馬車の中、マリアベルはターナーとリアンの2人に話を始める。


「光の聖女は恐らく、自分がそうであると気がついていないでしょう。ですから、風を食む雄牛の封を解いた時、よく見ていてください。自らが命の危機に陥った時、その身を守ろうと、聖女の力を覚醒させるのを」


 リアンが目を見開く。


「──まさか、集めた子供達を魔物に襲わせるつもりですか」


「力を覚醒させたらば、捕らえてください」


「多くの無関係な人が巻き込まれてしまう! 人の命を何だと思っているのですか……!」


 ターナーは後ろで手を括られてたが、それでも掴み掛かろうとするリアンの服を掴んで止めた。そして、マリアベルに問う。


「どのようにして、姿の見えない魔物を倒されるのか。何か策はお有りで?」


「封印の獣とはいえ、所詮は魔物でしょう。聖女の力があれば、なんとでも」


「甘いのでは。雄牛は他の封印の獣とは違う。姿が見えず、討伐出来ないとして封印された魔物です。我々ではどうにもならなかったら、如何いかがします。街だけじゃない、領ごと滅びる可能性もあります」


「外をご覧なさい」


 マリアベルは、山の遠く、瘴気の壁で淡く煙る空を見る。


「遠からず、この地は滅びます」


 リアンは憎しみの目で睨みつけ、走行中にも拘らず馬車の扉に手をかけた。


「……僕はこの隊を抜けます。これ以上は付き合いきれない」


「許されません」


 だが、マリアベルは剣の刃をリアンの首元に添わせた。

 聖ノックス市の石剣である。


「貴方の父親は、私と婚姻させる目的でこの隊に遣わした。そろそろ認めなさい、リアン妾の子。この運命からは、逃れられません」


 リアンは石剣から漏れる氷水のような冷たさと、マリアベルから漂う殺意に、体を動かすことができない。


 ターナーもまた、刃から溢れる光と冷気に躊躇し、動くことが出来なかった。動けばリアンの首から血が噴き出す。そう、直感した。


□□


 プライズ辺境伯は、ウィンフィールド郊外に兵を配置。およそ、騎馬隊が20。歩兵が60。魔導士が20。合計、100の人員である。隊旗は"青鹿"に"盾とランス"、"山民は神の他に屈せず"の文字。領軍本隊が使用するものを、そのまま用いる。


□□


 ウィンフィールドの街では、聖女を迎える準備がなされている。まるで祭りのように、広場には屋台が並んでいる。街灯のランプには火が灯り始め、特別な時にしか使わない大きな篝火かがりびも幾つか配置され始めた。商人達や、食堂の女将、酒場の看板娘達が、忙しなく働く。


「聖女様はお肉などはお召し上がりになるのだろうか?」


「そっちに店を構えたって聖女様に気づかれないよ! もっと前に寄りなさい!」


 みな、笑顔で準備を進める。世界を救わんとする聖女が、この街に来てくれる。


□□


 20時。西の山々の峰から星の帯が伸びる空の下、第二聖女隊が辺境伯の敷いた防衛線の前に着いた。


 プライズ辺境伯が前に出ると、マリアベルも馬車から降りて前に出る。互いの距離、10歩ほど。


「巡礼お祝い申す、聖女マリアベル。我が兵より聞くに、風を食む雄牛を討伐なさると言いますが、これはどのような理由か」


 辺境伯の目は厳しい。かもす圧は獅子である。だが、マリアベルは何も言わず、辺境伯の後ろの兵を見ている。戦力の差、その配置を確認しているのだ。


「わざわざ封を解いて、討伐する理由が思いつかぬ。多くの人間を危険に晒すより、封印しておけば良かろうものかと存ずる。畏れながら、聖女様のお力を疑うわけでは無いが──」


「抜刀」


 マリアベルが右手を挙げて、号令を出す。正教軍は全員抜刀。吸収された辺境伯軍は困惑した。


「抜刀」


 それを察してか、マリアベルはもう一度指示を繰り返した。同時に、挙げていた右手で信号を出す。親指と人差し指で輪を作り『注目』、五指を伸ばし掌を翻し『前方』、人差し指と中指を立て『敵』、そこから拳を2度握り『抜刀せよ』。


 従えている辺境伯軍も、ついにバラバラと抜刀し始める。エリカもミッシェルも、指示に従い抜刀した。


「正気か!」


 辺境伯の問いに、マリアベルが答える気配はない。


「待たれよ! こちらは理由を知りたいのだ。お教えいただけないのなら、もう、それでも構わん。しかし、雄牛が討伐可能だという根拠だけは示して頂きたい!」


「斉唱」


 マリアベルは左手を挙げ、小指と薬指を立てた。正教軍が歌い始める。コラール875番『さやかに野ばらかがやき』。これは、正教軍に属するものが血の穢れを祓うとして、戦闘の前に歌われるものである。


(話もさせて貰えんと言うのか……!)


 つまり、マリアベルは剣をもってウィンフィールドに入ると宣言したに等しい。最後通告である。


「当方は勅命に背き、罪に問われても良いという覚悟である。それでもなお、話すら出来ぬか」


 マリアベルがようやく口を開く。


「私も、これだけの兵を揃えて頂き"快くお出迎え下さり、ご苦労"と言いたく思います」


 平行線であると主張しつつ、ここに来て慈悲を見せた。今ならばとして解釈する、と逃げ道を用意してやったのだ。


 辺境伯としては膠着を狙っただけで、もちろん戦闘は本意ではない。向こうに、ミッシェルとエリカがにされている。これでは同士討ちとなる。


 流石の辺境伯も、マリアベルによって作られた、たった一つの逃げ道を使うしかなかった。目的を何も果たせぬまま、指揮官としての駆け引きに負けたのだ。


「……おい。道を開けるよう言え」


 辺境伯は隣に立つ兵に告げた。


 マリアベルは馬車に戻らず、旗手を両脇につけて、そのまま前を行く。第二聖女隊は邪魔者のいない石畳を、悠々と進み始める。


 辺境伯とエリカはすれ違いざまにそれとなく目を合わせた。思うのは、同じ事。やはり、リトル・キャロルがそうであったようにマリアベル・デミもまた、並大抵ではない。これが神に選ばれた聖女ということか。


□□


 第二聖女隊はウィンフィールド市街に入り、歓声によって迎えられた。


 マリアベルは中央広場まで行き、集っていた子供達、乙女たちに囲まれた。みな、"聖女様"と口々にしている。


 その中の1人に、輝く黄金の髪をした少女を見つけた。歳はマリアベルよりも少し若いか、そう見えるだけで同年代かと言ったところで、瞳は美しいみどり、顔立ちは凛々しく、肌は透き通るような白であった。


「聖女様、わたし、わたし、とっても憧れていて……‼︎」


 マリアベルは微笑み、言う。


「美しい髪ですね。お名前は?」


「クララです! クララ・ドーソンです!」


 ドーソン家は、かつてここより北に存在したアルトバーグ伯爵領の領主の家系であった。瘴気に飲まれて何十年と経つが、プライズ辺境伯領では名家として知られている。


 隣に立つ、ドーソン家の侍女が言う。


「クララさまは魔術に秀でていて、いつかは聖女様のお役に立ちたいと常々仰っているんですよ」


 クララは血筋良く、見目麗しい。才もある。彼女の周りには光があるようで、これだけの人に囲まれても特別華やいでいるようにも見えた。


「そうですか。では少しお手伝いして頂かなくては」


「ぜひ!」


 クララは嬉しさで顔を赤らめ、笑った。


□□


 一方でその頃、セント・アルダン。


 リトル・キャロルは未だ怪我人達の治療を続けていた。怪我人たちは順調に回復している。何人かの瀕死だった者を除けば、あと2日ほどで出立することが出来るだろう。


■■


 翌朝。私がキッチンに入ると、すでに教会の人間が朝食の支度を始めていた。私も手伝うことにする。食糧は教会の備蓄が少しと、あとはトムソンがほとんどを提供した。


 ここでの食事は基本的にポタージュだ。素材を丸ごと煮込めるから栄養に無駄がないし、何より作るのも食べるのも楽で良い。


■■


 私は、教会の集会場で怪我人達と食事をとる。ポタージュと、パンと、エールだ。少しの炒り豆もある。


「なんだ、アンタら聖都から来たのか!」


 隣で、爺さんと会話をしていたトムソンが、声を上げた。


「俺たち聖都を目指してたんだ。コイツに尋ね人がいてね」


 トムソンが私を親指で示す。私たちは、学者ジャック・ターナーへの手がかりを求めて、兎にも角にも一先ずは聖都に赴く事に決めていたのだ。


 王都『大ハイランド』に次ぐ第二の都市、それが聖都『アルジャンナ』だ。王都が"100の塔を持つ城壁"に囲まれた城塞都市であるのに対し、聖都は巨大な教会施設『大白亜』を中心に広がる街だ。


 大白亜は正教会の本部としての役割がある。その広大な敷地には様々な施設が並び、さらにその中央に城のような教会がそびえる。建物の色は殆どが白で統一され、教会のステンドグラスにが当たると、複数の建物がそれに染まった。


 私は学園を追放された身だから、流石に大白亜の門の内には入れないと思う。が、その周りにも街は広がっているので、そこで情報を収集しようという考えだった。聖都には正教会の関係者が山ほどいるから、聞いて周れば誰か1人くらいは、ターナーの行き先を知っている人がいてもおかしくはない。


「聖都はやめておけ。ワシらはそこから逃げてきたんじゃ」


 老人は怪訝な顔をして、そう言い放った。逃げてきた、とはどういうことだろうか。


「おいおい。聖都は治安も良くて商売もしやすいんじゃなかったのか?」


「いつまでもそうとは限らん。聖都を歩く正教軍の数も異様に増えとる。戦乱の空気じゃ」


「……正教軍が増えてる?」


 私は問う。聖都には、あまり正教軍がいない。もちろん駐在こそしているが、大白亜内の見回りに必要な最低限の人数が、そこにいる。


 正教軍の本部は王都にある。禁軍と密に連携することが求められているからであったり、立地の問題であったり、理由は様々だが、とにかく聖都に正教軍が増えるというのは異常だ。聖都に正教軍を多く配置する合理的な理由が思いつかない。


「ワシャあ、何十年も大白亜の中に油を卸してきたんだ。仲のいい神官がおってな。だから、正教会の内情についても、ようく知っとる。お嬢ちゃんたちは優しくしてくれたから、特別に教えちゃるがな」


 老人は少し身を屈めて顔を近づけ、ヒソヒソと声を発した。


「──教皇が査問にかけられ、退陣なされたと」


■■


 朝食を食べ終え、裏庭のベンチで煙草を吸う。薄雲の空に、煙がふわりと溶けていく。それを見ながら、査問にかけられた教皇クリストフ5世の事を考えていた。


 まず、査問にかけられた理由だが、まあこれに関しては十中八九、私が聖女では無かった為だろう。恐らく『私欲による任命』だったかどうかが争点となっていて、それが認定されれば正教会法の147条に違反している。


 前に"梟首のコスタス"が言っていた、学園に戻そうという声というのは、私を査問に出席させる為のものだったのかも知れない。もしかしたら彼は、その理由を知っておきながら逃してくれたのかも。遠回しの忠告とも言う。


 私が参考人として査問に出席すれば、教皇を退陣させたい勢力によって、出生や入学理由、クリストフ5世との関係性について、嘘の証言するよう強要されていた可能性が高い。それを断れば、面倒なことになっていただろう。


 まあ、退陣したと言うならば私が出る必要もなく、彼は罪に問われてしまったわけだ。


「よう。ここでヤニ吸ってると思ったぜ」


 トムソンがやってきて、私の隣にどかっと座る。煙草をくれてやる。


「何だよ。落ち込んでんのか?」


「そう見えるか?」


 私は顔に出やすいタイプなのだろうか。学園でお嬢様ぶってたのが今更恥ずかしくなってくるな。


「別にお前さんのせいじゃ無いんじゃないの。教会内の権力争いってやつだろ?」


 そう言ってトムソンがレーズンを一つ寄越す。


「何にせよ、聖都に行くのはヤメってことになるか?」


「あの爺さんの話だと、物騒らしいしな。もしかしたら、私も追われる身なのかも知れん。うかうか入ってもしょうがない」


「聖女って大変だな」


「聖女じゃ無かったから、大変なんだ」


 その時、ベンチの後ろの方で話し声が聞こえた。親に言われてこの教会で手伝いをしている、15歳程度の女の子2人の会話だ。


「私も『風を食む雄牛』の討伐、見てみたかったなあ」


「今から行けば、まだ間に合うと思うけど……」


「1人で行くのは流石に親が許してくれないよ。ねえ、一緒に行かない?」


 座ったまま、反りつつ振り返る。タバコの灰が落ちて、服についた。


「雄牛の討伐……?」


「何の話?」


「彼女達の話」


 立ち上がり、近寄る。


「あっ。キャロルさん……」


「かっこいい……」


 女の子達はコソコソと木の陰に隠れてしまった。彼女達はいつもこれだ。目が合うと隠れてしまう。きまりが悪くなり、頭を掻くしかない。


「あのさ。さっきの雄牛の討伐ってのは……」


「ウィンフィールドで聖女様が、みんなにお力を見せくださるって……。それで、夕方ごろに地下墓地に行くみたいです」


 あのマリアベルが風を食む雄牛を倒す……?


 マリアベルは考えなしに動くタイプではない。用意周到だ。必ず外堀を固めて、確実に目的を達せられると算段を立ててから動き出す。


 だが、風を食む雄牛には実体がない。それを確実に倒せるなどと算段をつけることは難しい。だとすると──


「マリアベルは何かに焦っているのか……?」


 私が考え込んでいるのを見てか、トムソンも近寄ってくる。


「どうした?」


「そうだな……。あー……、トムソン。ここからウィンフィールドまでどれくらいかかる?」


 私の勘が、"急げ"と警鐘けいしょうを鳴らしていた。それはもう、うるさいくらいに。

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