11.竜殺し(前)

 

 20時。三つ目の山を越えた麓に着く。魔山の香は濃厚で、目に痛い。深くまばたきをすると、じわりと涙が滲み出る。


 見えてきたのは小さな要塞と鉄門だ。奥に見える建物は半壊している。大きな鉄門の上には、暗がりでも分かるほど大きく"カラスと瞳"が描かれていた。正教会では「神は鳥の姿であなたを見ている」を意味する戒めの印であり、死罪収容所を表す。


 この収容所の裏に古い炭鉱があり、内部で魔山につながっていて、そこが邪竜ヨナスの巣となっている。


「女子禁制だったわけだから……。つまり、足を踏み入れる女は君たちが初めてかな? きっと亡霊も喜ぶ」


 辺境伯が口をへの字にして、私とエリカを見る。


■■


 ここから先は、出来るだけ邪竜に悟られないよう、私とエリカの2人で進む。爺さんたちは"男の園"で仲睦まじく野営だ。


「ありがとうございます。私、必ず邪竜を倒してきます」


「そう気負うな。なるようになろう」


 辺境伯は優しくエリカの肩を、拳で小突いた。


「美味いものでも作って、ここで帰りを待っているよ」


■■


 別れ、収容所の中庭を直進する。芝も雑草も生えない、灰色の庭だ。途中、首吊り場に植っている、枯れかけの花櫚かりんの木、それに生った実を鴉が食っているのを見た。中庭を抜けると、ドゥーマ炭鉱を示す腐った看板が現れた。崖に繰り抜かれたような大穴が空いていて、そこが入り口だ。


 炭鉱の入り口には大きく『神のための労働』の文字が掲げられている。死を待つだけの犯罪者の奉仕活動に使われていたのだろう。『神のための労働』には羊や牛などの家畜の死骸や、ミイラ化した人間の子供の死骸が吊るされている。邪竜が縄張りを主張しているのだ。


■■


 炭鉱内に足を踏み入れた瞬間、床が動く。いや、床にびっしりと居た何かが一斉に散っただけだ。その正体は、鼠だった。


 古い鼠の死骸を蹴り避けながら先に進むと、坑道内の管理小屋が見えてきた。滴る地下水を受けていて腐っているようだ。


 中を覗くと、冒険者らしき人が身を寄せ合って死んでいた。男女入り混じった若いパーティだった。奥地で邪竜と戦闘したが、負けて、ここに逃げ込んだようだ。道具や装備が散らばっているが、誰かに荒らされたような形跡は見られない。


「相当なパニックだったんだろう。ここで怯えて死んだな」


「怯えて死んだ……」


「うん。竜は人間の心に深く入り込む」


 胸の前で十字を切り、散らばった荷物を漁る。使えるものがあれば頂戴したいが、あまり期待は出来なさそうだ。


 あるのは使えない食糧と酒、期限切れのポーション、錆びた硬貨。あとはクエストシート。粗悪品の紙で作られているから、殆ど読めない。辛うじて読めた内容は邪竜ヨナスの討伐を示すもの。報酬は金貨80枚と青獅子章授与。正教会より聖カルタメルの称号を貸与。


「残念ながら、このシートも期限切れだな」


 冒険者たちの身元認識票シグナキュラムだけ回収しておく。


■■


 先に進むと、少し開けた空間に出た。最奥にあるのは、錆びた鉄格子だ。持参してきた地図をランプで照らす。


「恐らく、立杭の先にヤツはいる筈だ」


 立杭とは、坑道内で縦に掘られた場所のことだ。この炭鉱では立杭に水圧式の昇降機がある。水門を開けると外部に水が流れ、下層に行けるようになっているらしい。その昇降機が目の前の錆びた鉄格子で、一度に何十人も下層に運ぶ事の出来る大きさだ。


 昇降機を操作するには、誰か1人がここで水門を開けなくてはならない。つまり、ここから先はエリカ1人だ。


■■


 持参していたヤギの血で魔法陣を描き、聖域サンクチュアリを張る。これで弱い魔物は寄ってこない。ここで、最後の休憩を取る。


 シルバーのカップに、持って来ていたチョコレートとアーモンドを練り込んだものを入れ、ミルクと砂糖を混ぜ、暖める。栄養補給だ。洞窟内なので火は起こさない。光の魔法の熱源だけ作る。


「……美味しい」


「良かった」


 辺境伯に教わったレシピだ。この地方に伝わる、滋養強壮剤と言うべきかデザートと言うべきか。とにかく、特別な時にしか飲めない大変貴重な嗜好品で、山間の子供達の憧れだと言う。エリカも幼少の頃、誕生日に飲むこれが好きだったそうだ。


 懐かしい味に、少しでもリラックスして欲しいと思って、持ってきたのだが、どうだろう。


「……本当に美味しいです」


 エリカの目に、少しの涙が浮かんだ気がした。喜んでくれたようで、私も嬉しい。


■■


 坑内は異様なほどに静かになった。あんなにいたはずの鼠の気配も感じない。小動物の臆病な本能が、何かを、察しているのだろうか。


 エリカの手に目をやると、微かに震えている。当然だ。彼女は今、生きるか死ぬかをやるのだ。


 それで、私は手を握ってやった。思った通り、少し冷えている。


「キャロルさんは不安な時って……、どうするんですか……?」


「そうだな……。昔の仲間たちを思い出すかな」


「学園の同級生、って事ですか?」


「いや、学園に入る前にいた孤児院のクソ共だよ」


 貧民街スラムに建てられた汚い孤児院には、ゴミ山に捨てられた身寄りのないガキが集められていた。もちろん私もその1人だ。親の顔も知らなければ、自分の本名だって分からない。


「居心地良かったんですね」


「良いわけあるか。悪さや喧嘩ばかりで動物園と変わりない。街中そうだぞ。地域で睨み合い、殺人も頻繁に起きた」


「キャロルさんも悪い事してたんですか?」


「ま、まあ……。ちょっとは……」


 そうでもしないと生きられなかったから、セーフということにして欲しい。


「私が聖女候補に選ばれて、学園に行く朝。孤児院のクソったれのガキ共が祝ってくれたんだ。オレたちの分まで頑張ってくれって……。アイツらの顔を思い出すと、不安なんかに負けられるか、ってなる」


 ガキ共だけじゃない。スラムの住民全員が、私を笑顔で送り出してくれた。もう2度とこんな掃き溜めに戻ってくるんじゃないぞ、と。調子の良い荒くれ共が、ゴミ山から拾って来た楽器で行進パレードの真似事までしてくれたことを、昨日のことのように思い出す。


「それが自分を偽ってでも学園にいようとした理由でもあるんですね」


「まあそうなるかな……。うーーん……、小っ恥ずかしいが……、なんというか、その……、早く、理想の聖女になりたくて……」


 頭のてっぺんからキノコが出て来たので叩いて押し戻す。


「いつか、行ってみたいです。キャロルさんの故郷に」


「やめとけ。財布をスられるだけだ」


 それに、私の故郷はもう存在しない。瘴気に飲まれたのだ。


■■


 エリカは全ての装備を整えた。あとはもう昇降機の中に入るだけだ。


「そうだ。これを渡すよ」


 私は小さな青い袋を渡す。


「綺麗……。これはなんですか……?」


「お守りだよ。中にウサギの足が入ってる」


 ウサギは生命力のシンボルだ。きっと、エリカに幸運を齎してくれる。袋は私が縫った。


「あー……。あんまり期待しないでくれ。本当にただのお守りだ。ピンチになると何かが起きるとかはない……」


 エリカは首を振る。


「嬉しいです。一生大切にします」


 そう言ってお守りを胸の前でギュッと握って、笑った。


「必ず倒します、邪竜を」


■■


 エリカは巨大な昇降機の中に入った。


 私は水門を開けるため、回転櫓を回す。遠くでゴオという音がして、間も無くして地響きが起こった。鉄格子の中の昇降機がゆっくりと降りていく。


「頑張れよー……」


 その様子を、彼女の姿が見えなくなるまで見守っていた。


 私は、彼女が邪竜を倒したとしても、もう2度とエリカには会わないと決めている。自分で決めたのにも関わらず、それが酷く寂しくて、切なかった。


□□


 昇降機の上でエリカは胸元に手をやり、呪いの印に触れた。いつにも増してそれが熱く火照るのは、やはり邪竜が近いからか。


 しばらく経って、下層に着く。エリカは錆びた鉄格子につけられた錠を剣の柄頭で壊し、降り立つ。


□□


 酷く暗い下層である。死臭もする。


 昇降機の前には、逃げ遅れた冒険者らしき亡骸が3つある。今のエリカには、身元認識票シグナキュラムを回収してやる余裕はない。闇の先から異様な気配を感じるからだ。


 それが邪竜によるものなのか、はたまた別の何かが潜んでいるのか、エリカには分からない。意を決して一歩進むと、奥から声が聞こえた。


「エリカ……」


 自分を呼ぶ声だ。暗がりから、誰かが出てくる。


 ほんの僅かな光を受ける美しい白銀の髪と、整った顔立ちに、暖かな微笑み。気品のあるマンチュアと、この場に似つかわしくない、香油と紅茶の香り。


 エリカ・フォルダンの瞳がじわりと広がっていく。より、光を吸収し、その姿を焼き付けるために。


「お母様……?」


「大きくなったのね」


 その姿は紛れもなくエリカの母、マイア・フォルダンそのものであった。


□□


 エリカは母の元へ、もう一歩踏み出した。


 ブーツに伝わるのは、柔らかな芝の感触。あるはずの無い風が吹き、豊かな土の匂いを運んできた。


「え……?」


 不思議に思って足元を見ると、確かに芝である。目線を上げると、空に青空が広がっている。


「巣箱が壊れてしまったみたい」


 目の前には鳥の巣箱を前に、困った顔をしている母。


「コマドリが来てくれる前に直したいわね……」


(そうだ。私は、お母様と巣箱を直そうとして──)


 エリカは気がつく。この光景はマイア・フォルダンが黒い血を吹き出す数瞬前である。


「でも、どこから直せば良いのかしら?」


 母が巣箱に触れる。エリカの記憶ではその瞬間、マイアが血を吹き出すのだが──。


「いやだッ‼︎ お母様……‼︎」


 エリカが思わず叫ぶと、マイアはキョトンとした顔でエリカを見る。


「どうしたのエリカ……。そんな大声出して……」


 エリカは反射的に閉じてしまった目を開ける。そこには、当然のように母がいる。


「え? いえ……、何でもありません……」


□□


 ガーデンテーブルで、マイアはエリカの為にチョコレートを淹れた。


「風が出ると、少し寒いわね」


 手渡されるチョコレートに己の姿が映った。そこには、10歳の幼い自分が浮かんでいた。


「……お母様。私、とっても悪い夢を見ていたみたい」


 エリカの違和感はあっという間にで塗り替えられた。


「悪い夢?」


 マイアはそう言ってくしゃみをした。続いて、鼻の下を指で擦る。貴族にしては所作であるが、それがエリカの母マイア・フォルダンであった。


「悪い竜に呪いをかけられて、みんな死んでしまうの」


 エリカは続ける。


「私は仇を討とうと頑張って、それで……。それで、どうだったんだっけ……?」


 マイアは困ったように笑いながら、エリカの頭を撫でた。


「心配しなくても大丈夫。誰もエリカの前からいなくならないわ」


 エリカは不思議に思った。夢の中の出来事のハズなのに、その言葉で救われた気がしたのだ。それで、目から涙がポロポロと流れ落ちた。


「少し休憩したら木の板を切らなきゃね。それとも、旦那様が帰って来るのを待ったほうがいいかしら?」


(お母様の周りにはいつもトラブルがあって、困ったように笑いながら、すぐに旦那様を待つって言って……。その度に私も笑っている。それが、明日も明後日も、ずっとずっと続いていくんだ)


 エリカは流れる涙を拭わない。そして微かに残る違和感でさえ、確かめるようにして自分で塗りつぶしていく。


(──やっぱり、私はずっとここに居たんだ)


 エリカはじっとマイアを見て、言う。


「本当に……、いなくならない……?」


 繰り返す。


「本当に、いなくならない?」


「ふふっ。変なこと言ってないで飲みなさい。冷めるわよ」


 そこには、確かな母の姿があった。大丈夫だ。自分はこれからも、ずっとずっと、ここに居て良い。悪い夢は終わった。


「──うん」


 エリカはカップに口をつける。口の中に、甘いチョコレートの風味が広がる。


「……美味しい」


 エリカの動きが止まる。


「……」


 ついさっき、同じ言葉を発した気がした。


「良かった」


 そう思うと、ふとリトル・キャロルの声が聞こえた。


□□


 エリカ・フォルダンはリトル・キャロルの声から、とある日の会話を思い出した。


 夜、日を跨いだ時間帯。兵舎にて。装備に使われている古い皮の臭いがする。エリカの前で、キャロルが椅子に座って淡々と話している。


「竜を普通のモンスターだと思わない方が良い。ヤツらはさかしい。卑怯な手段を悪びれもなく使ってくる」


「卑怯な手段というと……」


「様々だよ。人間は感情の動物だから、その人に合った罠を張るんだ」


 キャロルは竜についての記述書をエリカに見せながら、続ける。


「ブレスを吐く竜に関しては、体内にガスを溜め込む。そいつは神経にも効く」


「幻想を見せられるんですか?」


「本人が幻想を見せられていると気がつければ良いがな」


 要するにキャロルが言いたいのは、対処が難しいということだ。


「感情を揺さぶられたら、心を殺して目の前のを斬るんだ。たとえ、どんな恐ろしい相手でも、どんな大切な人でも。躊躇するかも知れないが、すぐに決断しないと死ぬぞ」


 キャロルはエリカの目をじっと見て、こう続けた。


「ヤツらは合理的にかつに人間を狩る」


□□


 17歳のエリカ・フォルダンは、マイアの腹を黒い剣で突き刺した。


「え……?」


 マイアの口から真っ赤な血が、ゴボリと漏れて出る。


「ハァハァ……‼︎」


 息を荒げるエリカの目からは、涙がサラサラととめどなく溢れている。


「うわああああああッ‼︎」


 そしてエリカは剣を捻り、傷口を広げてから、マイアを蹴り倒した。エリカにとって、その所作の一つ一つは、ひどく重く動かしにくいものだった。声を上げなければ、とても動かすことができなかったのだ。


「エ、エリカ……、どうして……?」


 エリカはその問いに答えることなく、マイアの腹を全力で踏み抜いた。マイアは吐瀉物と血の混じったものを吐き散らす。竜はわざと大切な人間の無惨な姿を見せて、精神にダメージを与えるのだ。


「絶対に──」


 エリカはさらにマイアの顔面を全力で踏み抜いた。


「絶対にゆるさない……ッ‼︎」


 マイアの体は海老反りとなって痙攣し、人間の動きをやめている。


「ふざけるなッ‼︎ ふざけるな、卑怯者ッ‼︎ 貴様は2度もお母様を殺すのかッ‼︎ 畜生風情が調子に乗ってッ‼︎ 八つ裂きにしてやるッ‼︎ 私が100回でも1000回でも貴様を殺してやるッ‼︎」


 突如、芝が盛り上がり、鱗に覆われた巨大な手が現る。エリカは全身を掴まれ、地中に引き摺り込まれた。


□□


 地面が崩壊して、さらに下層。広い空間に、赤い目をした黒い四足竜がいる。邪竜ヨナスである。


 エリカは掴まれたまま動けない。竜の鋭い爪は、エリカの右腕に深く食い込んでいる。


『ギャアアアアアアアアッ‼︎』


 邪竜は動かないエリカに強烈な雄叫びを浴びせる。これは、殆ど意味のない行為だ。邪竜は失意のエリカの前で煽り、遊んでいるのだ。


「笑っているの?」


 だが、エリカの目は死んでいない。死んでいないどころか、怒りで血走らせている。


 エリカは、邪竜の指の隙間より腕を出し、ボウガンで矢を連射した。矢は邪竜の顔面に直撃し、爆発する。火薬弾だ。熱されてキラキラと赤く発光する鱗が、粉塵のように広がっていく。


 エリカは爆発で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。爪で右腕を深く抉られ、血が吹き出している。


『ギャアアアアッ‼︎』


 邪竜は無数の触手を出し、倒れたエリカに襲いかかった。


 しかしエリカは素早く防火マントを被り、シェンヴァンの火炎放射器を使って、あたり一面を火の海にした。


 無数の触手が焼ける。その中の一つに『マイア・フォルダンの幻想』がある。


 メタンガスで燃える坑内が、邪竜の姿を明らかにした。


 黒い鱗に覆われた体に、巨大な翼。前足には鋭い爪があり、尾は細かく分裂していて、触手のように自由に操れる。目は黄色く、歯は鋭く尖っている。立派な巻き角は乱れて重なり不格好である。


 炎が空気を取り込み、巻き上げるような気流が発生する中で、エリカは怪我をした右腕を止血帯で手早く処置する。そして流れるように、キャロルが調合した神経毒の瓶を指に挟み、矢の先端を漬けた。


「絶対に殺す。逃がさない」


 眩い光の炎が逆向きの滝のように昇る最中、エリカは強烈な殺意を込めて竜を睨んだ。


 満足に動くのに必要な酸素が無くなるまで、およそ5分。それまでに片付ける。難しいようであれば、竜を道連れに死ぬ。その瞳には、呪いとも取れる覚悟が込められていた。

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