09.連戦

 

 街で、馬車を拾う。


「ん? お前か」


「奇遇だなっ。観光か⁉︎」


 偶々だが、例の金髪の若い馭者だった。名前は確か、トムソンとか言ったか。


■■


 街を離れて、荒れた山道を行く。馬車は石を跳ね、土煙を上げながら、勢いよく急坂を登る。彼の馬は相当に根性がある。


「シェンヴァンを倒して、盗賊団を壊滅させるだって……⁉︎」


 振動でガタガタと音を鳴らす客室の中からでも、トムソンの驚愕する声が聞こえて来た。


 炎の盗賊シェンヴァン。シェンヴァン盗賊団を率いる大首領だ。プライズ辺境伯領に身を潜めているとされるが、当領に関わらず幅広く活動をしている。


 シェンヴァンは、精霊サラマンダーから火を盗んだという話だ。噂によると、永遠に燃え続ける炎を繰り出すらしい。永遠に燃え続ける炎なんて、一体どのような術式の魔法なのか。はたまた本当にサラマンダーから火を奪ったのか。非常に気になる。彼については、前から興味があったのだ。


「ヤツら、80人以上はいるんだぞ⁉︎」


「問題はないよ。エリカは親玉シェンヴァンを倒すだけだ」


「残りの79人は?」


「まあ、適当に……」


■■


 前調べ通り、シェンヴァン盗賊団のアジトは『久遠の洞窟』にあった。ここは光苔ひかりごけがびっしりと生えた洞窟で、松明がいらない。はるか昔から光があるから、と名付けられている。


「へへへ……。兄貴の所には行かせねぇぜ……」


 お約束通り、ボスの前には威勢のいい雑魚たちが立ちはだかる。人数を指折り数えてみる。


「97人。トムソンのやつ、随分少なく見積もりやがったな。おかげで指が疲れた」


「どうしますか?」


■■


「さすが"荒くれ"。出来た傷口をそのままにしているから、こうなる。今後は、患部をよく清潔に保っておくことだ。治療の基本だぞ」


 威勢のいい雑魚達は、皮膚をまだらに黒くして私の周りに転がってしまった。ロクに動けるものはいない。


 奴らは日頃から、喧嘩や盗賊活動で生傷をいくつも作っていた。胞子を無作為に放出することで、傷口から体の中に菌が入って、それでノックダウンだ。


 だが中には綺麗好きな荒くれも、いるにはいるらしい。


「うぶぁッ‼︎」


 ひっそりと私の後ろから刺そうとする輩を、裏拳で仕留める。


「な、なぜバレた……」


「頭悪いな。そこら中光ってるんだから、ってもんを考えなきゃならんよ」


 エリカが洞窟の奥から、髪を掴んでシェンヴァンを引きずって来た。


「終わったか? 火の魔法は?」


「それが……」


「ゼッテェー殺すッ‼︎ 許さねえからなッ‼︎ テメェの家族も全員犯して殺すッ‼︎ 殺す殺す殺──」


 エリカは硬い実を割るようにして顔面に膝蹴りを入れ、シェンヴァンを黙らせた。


 エリカが見せてくれたのは、カラクリだった。箱の中に油を入れ、空気圧で吹き出し、自動的に火付け石で着火される仕組みだ。クソしょうもない答えだったが、まあこんなものだろう。


■■


 トムソンを呼んで、彼らが盗んだブツの選定を行う。


「す、すげぇ‼︎ こんなお宝見た事ねえぞ‼︎」


 ヤツらは洞窟内の一室に、金銀財宝や美術品などありとあらゆるお宝を保持していた。その中に私の目当てのモノもあった。大変貴重な品だが、無造作に転がっている。


「よし。を盗んだって噂は本当だった」


「これは、なんですか……? 石?」


 拳ほどの大きさで、白と黒とがまだらとなった鉱石『鉄重石オリハルコン』だ。それとついでに、幾つかの高級タバコを頂戴して、あとはトムソンに任せることにした。


■■


 街に戻り、辺境伯に紹介された鍛冶屋へ行く。そこにエリカの黒い剣と鉄重石を預ける。


「ほ、本物かこれは……」


 鍛冶屋のオヤジは鉱石を見て生唾を飲み込んだ。この石を使って剣を鍛え直せば、鉄だって両断出来るようになる。


「竜の体は硬い鱗で覆われているから、並大抵の剣だと2、3回斬れば刃がこぼれる。この剣も決して悪くはないが、万全にしたい」


 エリカはそれを聞き、顎に手をやって悩み始めた。


「色は変わるのでしょうか?」


「変わらないよ。の黒は、そのままだ」


 私がそう言うと、エリカは笑顔になった。前々から気になっていたが、エリカは年頃の女子の割に、やけに黒色に拘る。恐らくは竜に対して"怨みを忘れず"の意味を込めているのだろうなとは思っていた。どうやらその推理は当たりだったらしい。


「あっ、でも……。打ち直しが終わるまで剣がないですが、どうしたら?」


「サブウェポンはあったほうがいいな。ついでにコレに油をさしてくれ」


 私はオヤジにボウガンを渡す。すると、鍛冶屋のオヤジが目ん玉を剥き出して驚いた。


「あんたね、どこでそんなもん手に入れたんだ?」


 シェンヴァンが装備していたものだ。精密なカラクリ仕掛けで、箱についたレバーハンドルを回すと連射が可能になっている。コイツは本当に見事な品だ。コソ泥に使わせておくなど、勿体無いことこの上ない。ありがたく使わせて貰う事にしよう。


■■


 2日間ボウガンの練習をしたのち、狩人アイザック・ドゥーエンに挑む。


 彼は何十年も前から、数々の札付きの魔物を狩ってきた。魔物を熟知し、魔物のように動き、魔物のように仕掛ける。そこに人間の知能も合わさるのだ。見た目は浅黒い爺さんだが、油断ならない相手だ。


 王国の叙勲を断ったり、国からの依頼で魔物を狩った冒険者に因縁をつけたりと、……まあ、なんというか、クセ人間でもある。


 彼の最大の武器は100色の毒矢。敵の体格・性質・パターンにあわせて調合された毒は脅威だ。


 掠りでもすれば……、いや、毒矢が地面に刺さった時の飛沫が体に触れても負けるので、良い修行になる。


■■


 森で勝負を挑む。


 アイザックは地上には降りてこない。素早い動きで、猿のように木々を跳び、エリカを仕留めようとする。


 死角から、毒矢の攻撃が来る。エリカは軽く身を逸らして避けた。避け方にかなりの余裕があった。エリカは矢を見てから反応したのではない。奴が撃ってくる場所を、凡そ予測していたのだ。この勝負はエリカの勝ちだろう。


「貰ったぞ、小娘っ‼︎」


 アイザックが枝から枝へと飛び移り、素早く弓を構えた。だが、そもそもとしてボウという武器は、狙いを定め、攻撃するときは必ず隙が生まれる。どんなに達人でも。


「……なにっ‼︎」


 アイザックの肩に矢が刺さる。ヤツは死角から狙ったつもりだったが、そこはエリカが木々の配置から計算して作った偽りの死角だった。彼は見事に誘導されたのだ。


 さらにエリカは教え通りにもう一本の矢を放ち、アイザックを仕留めた。


 矢というのは威力がない。アドレナリンが出ている状態だと1本刺さっただけでは、敵は止まらない。完全に戦意を削ぐには立て続けに2本打ち込むのがベターだ。


「──まさかワシがこんな女子供に負けようとはッ。ガフッ!」


 アイザックは木の上から落ちた。


「殺せい。女子供に負けるような狩人など、生き恥である!」


 顔のパーツを中央に限りなく寄せ、悔しがっている。舌を噛んで死ぬ前に、本題に移ろう。


■■


「竜の神経を破壊したい。途中まで毒を作っているんだけど、巨体に効くイメージが湧かないんだ」


 毒によって邪竜にダメージを与えた上で戦えるならば、それに越したことはない。


 私は瓶に入っている水溶性の毒と、図を渡す。


「カッカッカッ。竜に対して毒とは中々見どころのあるお嬢さんじゃのう。何じゃ、薬師かアンタ」


 アイザックは酒を飲んで上機嫌だ。ふと思い立って"宝の山"から酒も追加で持ってきておいて良かった。


「破傷風菌をベースにした毒か。シンプル・イズ・ベストだな。それで、お嬢さん、どういう素材を手に入れられる?」


「菌由来であれば、ほとんど」


 アイザックはシワ枯れた手で枝を取り、地面に図を書く。


「毒を回らせたいなら徹底的に脱水をさせることだな。竜など、所詮は蜥蜴とかげの親玉だろう。タマネギと赤痢でもぶち込んでやれ。効率よく神経細胞がおシャカになるハズじゃ」


 なるほど、タマネギで血と血管を溶かすのか。さらに赤痢で穴という穴からそれを出すと。その発想はなかった。流石はプロ。勉強になる。凄いぞ。


「即効性と濃縮の問題はテメェでなんとかしろ。ワシには魔法はわからん」


「そこはどうとでもなる! よし、帰ってタマネギを山ほど擦るぞ、エリカ!」


「タマネギ……? なんで……?? キャロルさんテンション高い……。ウキウキしてる……」


 エリカは終始クエスチョンを浮かべていたが、いやはや新しい知識を入れるのは楽しい。これで竜を倒せる確率も多少上昇する。


■■


 次は、巨大な体と大きなパワーに対してどう立ち回るかを確かめる。


 戦斧のヴォルケーンは人並外れた巨大な体と、怪物のようなパワーで、多くの魔物を屠ってきた。良い練習相手になるだろう。


 傭兵団のトレーニング・フィールドに行き、挑む。無風、晴天。燦々とした陽の光が降り注ぎ、血気盛んな傭兵達が取り囲む中、ヴォルケーンとエリカの戦いが始まる。


 エリカは真っ直ぐとヴォルケーンを見ている。飛び交う『殺せ』の言葉に、エリカは動じていない。


「へへへっ……。オデが軽く捻り潰してやるよ……!」


 巨大な体のヴォルケーンが、これまた大きな両手斧を振り回す。風が舞い、砂が巻き上がる。


 エリカは大きく回り込みながら、打点を探す。走り、連続でボウガンを放つ。だが、風に巻き上げられてしまう。効果はなしだ。


 ならばと、踏み込んで突進する。狙いは足元だ。あの巨体は足を崩されたら、どうにもならない。


「そんなもんはなあ……! 分かってるんだよぉッ‼︎」


 バカみたいな喋り方のヴォルケーンも、流石にそこまでバカではない。待ってましたと言わんばかりに、エリカ目掛けて斧を振り下ろした。


 しかしエリカもそれは読んでいた。手に握っていた砂をヴォルケーンの眼を目掛けて投げつける。


「ぱはぁ」


 斧はエリカの肩を掠めて、防具を見事に破壊したが、仕留めきれなかった。エリカ自身にはダメージがない。砂により、直前で狙いを外したのだ。


 エリカは地面にめり込んだ両手斧をタッタッと軽く駆け上り、ヴォルケーンの顎に拳を入れた。


「ぷっ」


 ヴォルケーンはそのまま倒れる。勝負アリだ。どんなにタフなやつでも、脳を揺らされれば終わる。


「「「「「ワアアアアアアッ‼︎」」」」」


 喝采に包まれる。そして、エリカは走り寄ってきた傭兵達にもみくちゃにされる。


「お前、今すぐウチに入れ! 金払い悪くねぇぞ‼︎」

「女なのにすごい度胸だな! まっすぐに向かっていった時、死ぬかと思ったぜ!」

「あのヴォルケーンを素手でやるなんて、考えられねえ!」


「キャ、キャロルさん……」


 エリカは困ったように私を見た。私は彼女に届かないような声で、おめでとうと言った。もはや、並の戦士ではエリカに怪我一つ負わせることは出来ない。


「えへへ……」


 エリカは男達に囲まれながら、恥ずかしそうに笑った。


■■


 馬車の前で地図を広げ、行き先を示す。


「おいおい、最後はベン・コスタスかよ。今回ばかりはヤバい。マジでヤバいぜ」


 次の行き先を告げると、トムソンは頭を抱えてしまった。


「分かってるのか⁉︎ あの野郎、加減ってもんを知らねえんだぞ!」


 ベン・コスタス。爵位は男爵。コスタス家の当主で、カレドニア式剣術の名手だ。だが、誰もが知るベン・コスタスは剣術の名手としての姿ではない。


 彼は、王政打倒の地下勢力を何人も排除してきた。その手法は実に残虐だ。討ち取ったむくろには杭を打ち、まるで百舌鳥モズのはやにえの様に晒す。女子供にも容赦はない。加担した者の家族は、全員そうする。


 人はベン・コスタスを、こう呼ぶ。『梟首きょうしゆのコスタス』と。


「俺も人間だ。お前らが"はやにえ"になってるとこなんて見たかねーぜ……」


■■


 はやにえを見たくないトムソンは、敷地の外で待たせておく。


 敷地に入ってしばらく道を歩くと、素朴な古いカントリーハウスが見えてきた。風そよぎ、美しく輝く芝の上のベンチで、眼鏡をかけた優男と、もちもちで真っ白な犬が戯れている。


「ん……?」


 男は私たちに気がついた。


「……その瞳、その髪、もしやリトル・キャロルか?」


「ご無沙汰しておりますわ、コスタス卿」


 しまった。ついクセで昔の挨拶をしてしまった。


「え? え???」


 エリカは目をパチクリさせて驚いている。さて、どっちに驚いたのか。私とコスタスが知り合いだったことか、もしくは私がクソったれのお嬢様言葉でカテーシーまで繰り出したことか。


「……いや、普通に考えてどっちもか」


「はい?」


「なんでもない」


■■


 コスタスに事情を話すと、すぐにこの場で打ち合いということになった。理解が早くて、非常に助かる。


 エリカが黒いショートソードを構えると、コスタスが白銀のロングソードをゆっくり握り直した。


 コスタスには隙がない。もちろん、エリカにも隙はないが、それ以上にコスタスには隙がない。彼の周りの空気はシンと澄んでいる。相手の睨み方、間合いの取り方、体の向け方、すべてが一流なのだ。雷鳴のザインや戦斧のヴォルケーンの時のように、ハッタリの効かない相手だ。


 だが、コスタスは40代。基礎体力は落ちつつあり、おそらく本人もそれを分かっている。だとしたらば、ゴリ押しはしてこない。必殺の一撃を確実に決めるための行動を取るはずだ。それをエリカが見極められるかどうかが、鍵になる。


■■


 先に動いたのはコスタスだった。隙を見せないまま、丁寧に間合いを詰める。


 そしてエリカの目線から消え、横から『白痴の構え』にて連続攻撃。斬り、突き、斬り上げ、払い、吊り上げ、手押し。非常に素早い。ロングソードが出せるスピードの域を超えている。


 ──だがこれは全てフェイント。

 必殺の一撃を必ず当てるための、布石だ。『白痴の構え』はノーガードに見えるが、迂闊に仕掛けるとカウンターを貰う。相手が慎重にならざるを得ないのを利用し、準備を整えているのだ。


 コスタスの体が、沈んだ。極力悟られないように、下半身に力を溜めた。『床板の構え』で来る。右足内腿を斬り上げるつもりだ。


「……ッ‼︎」


 エリカはそれを見極め、地を蹴って下がりながら、コスタスの剣を強く払い上げた。宙を舞った剣は芝に落ち、ずぶりと深く突き刺さる。


 時間にして1分弱。だが、エリカにとっては永遠にも感じただろう。汗まみれの青白い顔と上下に動く肩が、それを物語っている。


「ふう。お見事」


 一方のコスタスは何でもなかったような笑顔で勝者を讃えた。


■■


 しばし、休憩を挟む事にした。コスタス家の執事が机と椅子、ピクニック・セットを用意してくれたので、いただく。


「コスタス卿とキャロルさんは、どういう関係なのですか?」


 エリカは真っ白な犬にペロペロと顔を舐められている。ひたすらに舐められている。


「学園の臨時教師で、よく世話になっていたんだ。隠してて悪かった」


 ベン・コスタスは1年前まで、夏から秋にかけて、聖女候補たちに剣術を指南していた。私も木剣で横腹にキツいのを貰い、一日中吐き散らかしたものだ。この男の顔を見ると、鼻に残る胃液の臭いを嫌でも思い出す。


 コスタスはカップに入った紅茶にミルクをたっぷり入れて、こう言った。


「リトル・キャロル。学園は今、を探しているよ」


 4人の聖女を導き束ねるとされる、光の聖女。私が聖女でなかった事で、今回はその存在を確認することができなかった。だが、原典の通りに聖女が力を発現させたのだから、この世界のどこかで必ず存在はするのだろう。


「そして、君の力も彼らは調べ始めている」


 女神像を腐らせたあれを、か。


「それで……、何かわかったのか?」


「僕は学者じゃないから何とも言えないが君を学園に戻そうという話もある、らしい」


 そうしてコスタスはカップに口をつけた。


■■


 コスタスは庭園の外まで送ってくれた。


「随分変わったね、リトル・キャロル」


「変わった訳じゃない。これが本来の私なんだ」


「そうではなく、もっと根本な部分が。僕が知ってるキャロルは焦りのようなものに縛られていた。だが、今は違う」


 そうだったろうか。自分では分からないものだ。


「昔の君は強かった。外見こそお淑やかに保っていたが、叩きのめされても睨みつけてくる鋭い眼光は、魔物のようだった。近づけば、喉元を食いちぎられるかと思った。でも、今はもっと強いんだろうな」


「どうかな……」


 理想の聖女らしく纏めていたつもりだったが、失敗しているじゃないか。まったく恥ずかしい。


「キャロル。君は、ただ修行の為に来たわけじゃないだろう?」


「ああ。これを返そうかと思って」


 私はコスタス家の紋章が入ったダガーを渡す。常に護身用に身につけていたものだ。


「──そうか。分かった」


 コスタスはそれだけ言って、受け取った。


「エリカ君は、いい師匠をつけてもらったね。きっと、竜だって殺せる」


「……はいっ」


 エリカはやや遠慮気味の笑みで返事をした。


■■


 馬車の中、エリカは口を開いた。


「あのダガーは何だったのでしょうか?」


「ああ。学園にいた頃に、私をコスタス家に取るという話があった」


 そして、コスタス家の剣技を継ぐという話も。孤児だった私にとって、これ以上ない話だった。


「なぜ、返したんですか?」


「誰かに迷惑をかけたくないと思っただけだよ」


 学園に戻そうという話があると言っていったが、正直、私は信用していない。何か、裏がある。


 そして、私の力を調べているとも言っていた。きっと、正教会にとって不都合な真実が判明すれば、私と関わりがあった人間に迷惑がかかるだろう。ベン・コスタスの気持ちは嬉しいが、ここは一線を引く必要がある。


 それに、私は貴族というガラでもない。


「……」


 エリカは黙ってしまった。


「どうした?」


「いえ、なんだか……。キャロルさんは遠い場所にいる人なんだな、って改めて思ってしまって」


■■


 雷鳴の節に入り、2日。エリカの誕生日まで、残り5日。明日、邪竜を倒しに行く。


 私が間借りしている監獄の一室。エリカをベッドに寝かせ、直接筋肉の状態を確かめながら丹念にマッサージを行う。薬草を調合して作ったローションを使用して筋肉の緊張を取り、回復力を高める。フィジカルも万全にして挑まなくてはならない。一切の妥協は許されない。やれる事は全てやる。どんなに小さなことでも。


「キャロルさんは……、学園に戻るんですか?」


「いや、戻る気はないよ。何があっても」


「よかった……」


 エリカはまるで胸を撫で下ろすようにして、ゆっくりと息を吐いた。そして、またすこし緊張した表情になり、下唇を噛んだ。言葉を待つこと、20秒ほどだろうか。少し強い口調で、言った。


「……私がもし、邪竜を倒すことができたら。私を旅に連れていってくれませんかっ?」


「エリカを?」


「私、歳が近い人と仲良くなるのって、初めてだったんです……。最初はただ嬉しいだけだったんですけど、何だかだんだん、キャロルさんの凄さを知って、"嬉しい"が"憧れ"に変わって……、もっと一緒にいたいって……。思うんです……」


 エリカは拳を軽く握っている。


「一緒に旅は……、ダメ、ですか……?」


 私は手を止めて、この先、エリカと共に行くことを想像した。


 隣にエリカがいて、寝食を共にし、同じものを見て、きっと感動を共有していくのだろう。そんな旅がずっと続く。感情豊かで、眩しい笑顔の彼女がそばにいてくれたら、退屈する事はないな。どんなに疲れていても、また歩き出そうと思えるだろうな。


 この数週間、楽しかった。充実していた。長らく忘れていた、仲間や友達がいる事の楽しさを思い出した。


「……そうだな。うん。でも、まずは邪竜からだ」


 そう言うと、エリカは花が咲いたように笑みを見せる。


「はいっ! 絶対に、倒します……! 絶対に……!」


 エリカが邪竜を倒し、死の運命から抜け出した時──。

 その時は、1人でこの街を出て行くことに決めた。

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