08.邪竜の呪い

 

 霧が濃い。雲の中にいるようだ。太陽は見えず、天だけが白く明るい。芝はそよぎ、露はパールの輝きを放つ。


「もう剣が握れるのか?」


 私は牢獄から少し離れた場所にある乗馬場で1人練習に励むエリカ・フォルダンに声をかけた。今は全く使われていないのか、足元、芝が伸びすぎていて膝上まである。


「キャロルさん……! 戻って来てくれたんですね……!」


 エリカは私に走り寄って来た。まるで尻尾を振りながらまとわりつく子犬のようだ。


「稽古をつけるよう言われたんだ」


「えっ⁉︎」


 こんなに嬉しそうな顔ができるのかと思ってしまうほどに、エリカは満面の笑みを作った。私は妙に恥ずかしくなり、目を逸らしてしまった。こういうタイプの女の子にあまり関わってこなかったから、慣れない。


■■


 まずは現状の彼女の力を知っておく必要がある。兵舎から拝借して来た木剣を使って、実際に打ち合う事にする。


「キャロルさんは剣も扱えるんですか……?」


 そう言えば、彼女の前では剣は扱わなかったか。


「剣は戦闘の基本だ。これがまともに出来なきゃ、話にならんよ」


「凄い……! カッコいい……!」


 エリカはいちいち赤い瞳をジャムの瓶のように輝かせながら、前のめりになって私を見つめる。その度に私は、あまりそれを見ないように、目を閉じて頭を掻く。よし、照れは隠せたな。全くもって非常にやりづらい……。


「エリカは真剣で構わないよ」


「えっ?」


「……本番でも木剣を使うのか? ずいぶん優しいことだな」


■■


「てやぁーーッ‼︎」


 エリカは鈍く輝く"黒い剣"を抜き、真正面から向かってくる。瞬発力、構えによる隙の潰し方、共に悪くない。だが、いささか正々堂々が過ぎるのが欠点だ。


 私は土を蹴り上げ、エリカの顔面にぶつけてやった。芝のよく生えた土だ。水分量が多い。重くて、痛いだろう。


「ぶあッ⁉︎」


 怯んだ隙に、木剣で手首を叩き、黒い剣を落とす。そして首筋に切先を突きつけた。


■■


 ウィンフィールドの目抜通りから小さな路地に入った場所にある、酒場に入る。辺境伯のオススメの店だそうだ。既に瘴気に飲まれて消滅した異国のインテリアに飾られている。


 エリカは酢につけた羊肉と、葡萄のソースをかけたものを。私はポタージュとライ麦パンを食べる。


「猛省しました。私が甘かったです」


決闘デュエル風の戦い方は忘れた方が良い。貴族としての価値が上がるのは、よく分かるけども」


 エリカ・フォルダンはいわゆる没落貴族だ。


 かつてフォルダン家はプライズ辺境伯領を代表する豪族の一つだった。だが、エリカを残し他のフォルダン家の人間はみな死んだ。まだ彼女が10歳の頃の話だ。


「竜は強いぞ、エリカ・フォルダン」


「……ははは。やはり、知ってらっしゃったんですね」


 そして、その身に刻まれる『邪竜の印』が消えない限り、エリカも近い内に死ぬ。


■■


 フォルダン家は古くから畜産の発展に寄与していた。しかし瘴気の壁が迫る影響で、魔物の数が増え、領の家畜が頻繁に襲われた。


 特に厄介なのが邪竜じゃりゅうヨナスだった。邪竜は遊びで牛や山羊を殺し、その血肉を振り撒いた。竜の魔力を宿した血は硬質化し、結晶のような棘となった。それで人が近づけなくなって、土地を奪われた者も多かった。


 事態を重く見たフォルダン家はエリート冒険者たちを雇い、邪竜を殺すことにした。だが冒険者たちは負け、死に、巣にまつられた。邪竜ヨナスは彼らの血肉を呪いに用いて、フォルダン家に復讐をした。


■■


 昨日、辺境伯から邪竜の呪いについて聞かされた。


「ワシが調べたところによると、邪竜の呪いはこれに似ておる」


 辺境伯はメモ書きだらけの分厚い本をめくり、ずり下がっていた老眼鏡を押し上げた。


「過去に若い竜殺しが受けたという《216の闇を宿した時、命を刈り取る》という呪いだ」


「闇、というと新月が216回か」


 新月が216回となると、つまり、18年の歳月だ。


「彼女以外は、すぐに血を吹き出して死んだ。18歳を過ぎれば呪い殺されるというものだろう」


 竜は大概の種が少女性愛者変態ロリコン野郎なので、18歳という設定も頷ける。18歳以上は価値がないから、死んでいいのだ。


「エリカ・フォルダンは"雷鳴の節"に18を迎える。もう時間が無いのだよ」


■■


 竜は強い。数ある魔物の中でも、群を抜いて強い。恐れ知らずで残虐で、狡賢ずるかしこく獰猛だ。人の言葉と感情を理解し、欺き、喰らう。


 かつて竜を殺して生計を立てていた『竜殺し』なる者たちもいた。彼らは、冒険者や傭兵とは一線を画した戦士だった。


 だが竜殺しは途絶えた。

 今はもう、いない。


 瘴気で狭まる世界で、災厄に立ち向かう事が美徳でもなくなったからだ。世界はゆるやかに、破滅を受け入れつつある。


■■


「やはりエリカの手で邪竜を殺さないと、この呪いは解けない」


「はい、そう聞いています」


 私はエリカの胸元にある邪竜の印を確認した。皮膚がヒビ割れて、紋様を作っている。奥に見える肉は赤く変色していて、仄かに光ってるようにも見える。まるで月とも杯とも取れるそのシンボルは、確かな熱を持っていて、触れると指先に妙な痺れを覚えた。


■■


 幸い、エリカ・フォルダンは戦闘センスがありそうだ。体格の割には振りが力強いし、身のこなしも素早い。


 雷鳴の節まで、残り40日。その時までに邪竜をエリカ本人が葬る。私の見立てだと、高く見積もって成功確率は12%。


 ──悪くない。決して悪くない数字だ。タイムオーバーまでに、確率を1%でも上げておきたい。


■■


「というわけで、20日目までに彼らを倒す」


 私は兵舎で、とあるリストをエリカに渡した。


 ・国家認定冒険者『雷電のザイン』

 ・コスタス家当主『ベン・コスタス』

 ・炎の盗賊『シェンヴァン』

 ・狩人『アイザック・ドゥーエン』

 ・傭兵『戦斧のヴォルケーン』


「えーーーーーーっ‼︎」


 エリカは目をまんまるにして、全身の毛を逆立ててしまった。彼女を応援している周りの兵たちも、リストを見て同様に驚いている。どよめきが止まらない。


「ど、どれも名うての実力者ですが……」


「彼らを無傷で倒せるようでないと、邪竜は倒せないぞ」


■■


 私はエリカ・フォルダン専用のトレーニングメニューを立てた。一時期、私がやっていたものと同じだから、努力が空振りになるという心配はない。


 5:00 起床 走り込み開始

 6:00 柔軟

 7:00 軍の職務

 12:00 打ち合い

 13:00 軍の職務

 17:00 打ち合い

 19:00 筋力トレーニング


「朝の走り込みは重りを担いでくれ」


 私は鉛玉がふんだんに入った麻袋を渡す。およそ、30ポンド程度ある。


「こ、これをですか?」


 スタミナは大切だ。相手より長く動き回れるというのは、大きなアドバンテージになる。


「この、打ち合いというのは……?」


「私と一対一で、とにかく戦う」


 エリカは戦いの経験がとにかく不足している。


 敵と対峙したとき、一撃でも貰えば、死ぬ。相手から目を切れば、死ぬ。逃げ腰になれば、死ぬ。がむしゃらになれば、死ぬ。あらゆる行動が死に直結する。その危機感が足りない。こればかりは何度も場数を踏まなくては、感覚を掴むのが難しい。


「トレーニングは体の基礎を鍛える。腹筋3000回、雲梯400往復。崖の登攀5回」


「……」


 エリカはポカンとしている。


「もっと増やすか?」


 エリカはそーっと手を伸ばして、私の服の裾を少しばかり捲り上げた。


「……気づかなかった。腹筋バキバキなんですね」


 腹筋は大切だ。内臓へダメージが入ると、一気に勝利が遠のく。


「もういいか? 恥ずかしい」


 エリカは私の腹をまじまじと見ている。


「この入墨は……? なんだか、不思議な……。見た事ない文字と、模様……。私の『印』のようなものですか……?」


「ただの入墨だよ」


 私の体には背中から胸、腹、太腿にかけて大層な入墨がある。神が書いたとされる本『原典』に基づく、様々な印と呪文が組み合わさっているものだ。


「実はワルなんですか……?」


「良いからやるぞ、エリカ」


 スラムの出だからそれは否定しないが、この聖痕は私に限らず聖女候補全員に入っている。あまり気に入ってはないけど、まあ、エリカの印よりは何倍もマシだろう。


■■


 エリカが軍の仕事をしている間は、食事を準備する。


 近くの山で狩りをする事にした。街の人間に聞いたところ、この辺にはジャイアントボアが出るらしい。4メートル程度の、大猪だ。ボアは良い。タンパク源が多いし、何より不味くない。


「邪魔するよ」


 堂々と縄張りに入り、注目してもらう。


『ブヒィィィイイッ‼︎』


 木々を倒しながら向かってくるジャイアントボアの鼻と口から、キノコを生やす。息ができなくなり、ボアは死ぬ。倒れたボアの体を解体し、菌をまぶす。乳酸菌だ。これによって雑菌の増殖を防ぎつつ、急速に発酵させる。


■■


 大量の肉を持って宿に戻り、鍋に火をかけ、野菜、いくつかのハーブ、や発酵肉を炒める。筋繊維を効率よく回復できるメニューにするつもりだ。


「ふんふん♪」


 割と料理は好きな方なので、苦ではない。


■■


 昼、兵舎に弁当を届ける。


「えっ⁉︎ ご、ご飯まで⁉︎」


「残さず食えよ」


 帰る。夜食の準備もせねば。


「し、しかも。美味しい……!」


■■


 夜、エリカは全てのトレーニングメニューを終えた。


「ゼェゼェ……、ゼェ……! これを、毎日……、ですか……?」


 喋る余裕があるとは、大したものだ。明日はもう少しメニューを厳しくしよう。


「ところで……、寒いのは得意か? 私は苦手なんだけど」


「は、はい?」


■■


 服を脱がせ、石灰で描いた魔法陣の中央にエリカを立たせる。陣の中はマイナス10度だ。


「い、いいいい、いい、いつまでこの中にいれば良いのですか?」


「しばらく」


 目的は回復力・成長力の底上げだ。体を思いっきり冷やすことで血管を収縮させる。冷え切ったところで陣の外に出して、温める。すると、通常より血管が広がり、血のめぐるスピードが増す。血が栄養を良く運び、筋繊維の回復力を高めるのだ。


 エリカにスープを渡すと、震えた手で受け取った。


「強くなるって、険しいんですね」


「しんどいよな。分かるよ」


 受動喫煙で体力が下がるとよくないので、煙草は我慢する。


■■


 続けること幾日か。今日も乗馬場で打ち合いをする。ついにエリカの黒い剣は、私の眼前を横切り、前髪を払った。切れた紺の髪が、ふわりと風に乗って空に溶けていった。


「よし、次のステップに進もう」


「え? でも、まだキャロルさんの体に一発も当てて……」


「これだけ出来れば、もう十分だ。雷電のザインを倒しに行くぞ」


 エリカはもう、以前の没落貴族ではない。何度も負け、立ち上がり、その中で戦い方を覚えた。剣を構えると、ゾクっとするような獣の表情を見せるようになった。であれば、試し時だろう。


■■


 ──雷電のザイン。

 剣に雷を宿し、閃光の如く魔物を屠る戦士だ。常に女をはべらせ、良い気になっている調子乗りでもある。だが、実力は確かだ。犯罪人『内臓もつ巻きサンジェルマン』や『死臭溜まりのワンマッド』を討ち取って、勲章を得た。


 彼の動きはまさに電光石火で、並の実力では目で追うことができない。その上、雷の剣で触れられれば、こちらの肉がはじけ切れてしまう。


 過去に何人もの戦士が彼に挑戦をして、地位と女を奪おうとしたが、みなことごとく失敗している。


■■


 ウィンフィールドにある冒険者ギルドに入る。受付の女性にザインを出せというと、すぐに出てきた。ギルドの来客室に入り浸って、女達と遊んでるという噂は本当だったようだ。


「はあ〜。よくいるんだよな、自分の力を勘違いしちゃってるやつ。俺を倒して、名をあげたいんだろ?」


 出てきて早々、受付の女性に肩を回してスキンシップを取る。女性も頬を赤らめて、満更でもなさそうである。


「で、その挑戦者は誰だい?」


「わ、私です」


「えっ? こんなに可愛い子が⁉︎ 罰ゲームなのか〜?」


 ザインはニヤニヤと生臭い笑みを浮かべている。


「まあ、イイぜ。君が負けたら、今晩オレと過ごす事。それが条件だ」


 ザインはブラウンの髪をかきあげ、鈍い輝きを振りまいた。本の中の伊達男といった仕草だ。身につける鎧も、金銀装飾が激しく、空々しい。


 受付の女の子たちもキャーキャーとカウンターから身を乗り出して応援し始めた。


「観客が多いな。場を移したほうがいいんじゃないか?」


「問題ない。オレは周りに迷惑をかけず戦うのが得意なのさ。次は君とも戦おう。逃げられないよ」


 忠告のつもりだったんだがな。


「キャロルさん、私に倒せるのでしょうか……」


「効果測定だ。気楽に行こう」


 ここでもしダメだったら、またトレーニングを考える。もし成功したなら、自信を持って己を極める。それだけの話だ。プレッシャーに感じることは何もない。負けたら一晩過ごすというのは……、まあ、私が代わろう。遊んでやっても良い。


「さっ。合図を頼むぜ、子猫ちゃんたち」


「「「頑張れ〜っ、ザインさ〜んっ‼︎」」」


 随分と黄色いゴングが試合開始を告げた。


「《雷鳴よ轟けッ! 我が剣に宿し精霊の──」


 ザインが詠唱を始める。その瞬間、エリカが地を蹴って間合いを詰めた。目は、獲物を仕留める野犬だ。


「な……ッ⁉︎」


 黒い剣と黄金の剣がぶつかる。鍔迫り合いが始まった。しかし、ザインが何かに気がつき、すぐに間合いを取った。その間、およそ10秒。もう勝負はついたようだ。ザインは膝をつき、剣を落とす。


「ひ、卑怯な……ッ‼︎ 騎士の戦いを知らねぇのか⁉︎」


 鍔迫り合いの一瞬、エリカの指はザインの指を絡めとり、右手の指を全て砕いた。そして、ヤツはもう逃げ腰になっている。勝負ありだ。


「……クソ女ッ‼︎ オレを誰だと思ってやがるッ‼︎」


 ザインが睨み、左の拳を握る。まだやれる、というアピールなのだろう。


 エリカがザインを見下ろし、言う。


「──ここで腕を切り落とされるか、『参った』と言うか、選べ」


 よし。そうだ。冷たく突き放せ。相手の心を徹底的に折れ。出来るなら言葉で勝利を得るのが、一番理想だ。


 この勘違い野郎に教えてやれ。戦闘は、どれだけリスクを無くした上で圧倒的にマウントを取るかのゲームだと。相手を目の前に詠唱から入るなんて、舐め過ぎている。


「ま、参った……」


 いつの間にやら、受付の女の子たちは静まり返ってしまった。軽くフォローしてやった方が良いかもしれない。


「獲物を前に舌なめずりは単細胞だと相手に教えるようなものだ。作戦が組み立てやすくなる。次からは、嘘でも利口なふりをしなきゃならんよ」


 何もベソをかくことも無いだろうに。王都を震撼させた2人の犯罪者を討ち取った実力は本物なのだから。だが、バカだった。それだけの話だ。


「秤になりましたでしょうか……?」


「どうかな。次に行こう」

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