02.プラン・プライズ辺境伯領


■■


 適当な旅装束を買い、修道服に似た真っ白な制服を捨てた。


 街で商人の馬車を拾う。商人は東に行くと言う。私はそれで構わないと言った。


 とにかく、この学園のある王都から離れようと思った。巨大な学園の建造が目に入ると、どうしようもなく虚しかった。寂しく、自分を惨めにさせた。


 本当のことを言えば、私はどうしたら良いのか分からなかった。威勢よく学園から出てきたが、それが正解だったのかもわからない。終わったことに悩むのは不毛だが、後悔がないといえば嘘になる。


 ただ一つ言える事は、私は聖女でないのだから追放されて当然だと、そういう風に割り切れていないという事だ。心の奥深く、どこかで、しがみつこうとしていた。それも情けなくて、嫌気が差した。


 今私の中にある、全てから逃げたかった。


 私だって、それなりの覚悟を持ってやってきたつもりだったのだ。『世界を救う』と大層な志があったわけではない。だが、私と同じような境遇の子供を作らない為に、やれることはやるつもりだった。寂しさに、無力さに、膝を抱えて泣くことしか出来ない子供は存在しない方が良い。


 私は胸のロザリオを掴み、誰もが信じてやまない神とやらに問いかける。


「お前の存在を一度だって信用した事は無かったが、もし本当にいるんだったら相当に性格が悪い」


 そして、馬車の窓からロザリオを捨てた。


■■


 幾度か馬車を乗り継ぐ。


 海沿いを走った。さざなみの音と海猫うみねこの声を聞きながら、きらめく青い海を見た。海を見るのも、学園に向かった時以来だ。あの時よりも、船の数が減っているだろうか。


 さらに馬車を乗り継ぎ、田園地帯を走った。あの時のような、野焼きの煙はない。時期が違う。季節が巡っていることを実感する。


 やがて山間やまあいを走るようになった。頂上に雪の残った山々が連なっている。風が強く吹くと、山の雪が降りてきて、粉が舞った。


 とにかく、東へ向かった。


■■


 最終的に辿り着いたのは、山間にある古い馬宿だった。金がなくなったので、ここを終着点とした。


 何もない場所だった。


 人に聞いたところ、周りに街はあるらしい。だが、付近にある深い森を越えなくてはならないと言う。辺鄙な場所だ。まあ、辺鄙な場所だからこんな馬宿があるわけだが。


 馬宿には6人の人がいた。家族経営らしく、夫婦とその子供。あとは商人達だ。ひとまず商人に街の行き方を聞き、馬宿を出た。金もないので、部屋は取れない。


■■


 街に向かう為、森に入る。真昼だが、暗い森だった。


 木々のざわめきが聞こえる。土の匂いを感じる。降る光は少なく、僅かに揺れて、人の気配もない。


 ゴツゴツとしてうねる大木の根に腰掛ける。都会の喧騒に慣れていたからか、もしくは馬車の揺れるのに体が疲れていたからか、こうしているのは落ち着く。


■■


 しばらく、根の上で考え込んでしまった。孤児院で暮らしていた頃のこと。当時の仲間たち。学園での生活のこと。そして、これからのこと。


 そうしている時、ふと、思った。私はあの日以来、本気でを使おうとはしていないのではないか。


 周りに危険が生じるかも知れなかったのもあるが、何より私自身が女神像を腐らせた、あの力を受け入れてなかった。


 私はまだ、この能力について何も知らない。


 ここならば、どんな事が起きても人に迷惑はかけないだろう。周りの人間を腐らせることもない。


 思う存分やってみる、その価値はあると思う。


「……ふぅ」


 深呼吸をする。手を前に突き出し、念じてみる。


 だが、何も起こらない。


「……何かが違うんだろうな」


 目を閉じて、もっと強くイメージする。あの時の感覚を思い出せ。丹田たんでんから熱く煮えたぎるような何かが生まれ、迫り上がってくるような魔力の圧を、もう一度、出してみたい。


「……ッ‼︎」


 刮目すると、人差し指からピョロっと"赤い塊"が出た。一瞬、肉腫にくしゅか何かだと思ったが、どうも違う。


 摘めばふかふかとしている。生肉のような見た目だが、艶はなく湿りがあるわけではない。香りは、あるような無いような。


 軽く潰してみる。痛くはない。もっと力を入れると、やがて潰れ、それは


 裂け方を観察する。繊維せんい質だ。これは、まさか──。


「──?」


■■


 座っていた根の近くを探索し、生えているを見つけた。裂いたり千切ったりして、確認してみる。そして、私の手から生えたものも同様に裂いたりして、見比べる。


「……間違いない。やっぱり私の手から出たのは"きのこ"だったんだ」


 きのこ。つまり、菌糸だ。と、なると。女神像を溶かしたのは、まさか酵素ということになるのだろうか。


「……でも、なんでこんな力が?」


 私は首を捻る。


■■


 これが本当にきのこなのであれば、食えるはずだ。味を確かめれば、確実なものと言える自信がある。私から生み出されたものに、自分を殺めるような毒があるとも思えないから、食べられるとは思うが……。いささか抵抗はある。自分の爪を食べるようで。


「……食うにしても、念のため焼いてみよう」


 魔法で火を起こして、適当な枝にきのこを刺し、焼いた。多少手を加えたことで抵抗感は薄れたので、食ってみる。


 食感は間違いなくきのこだ。味に関しても、きのこだと断定しても良いと思った。薄味のマッシュルームに近い。


「……美味くはないか。学園で良い物を食ってたから舌が肥えたのかも知れない」


 不幸な舌だ。孤児院にいた頃なら生ゴミだって食ったが。


「単純に風味が足りないんだろうな」


 様々なイメージをして念じては出し、念じては出しを繰り返しながら実験していくことにした。遊びのつもりで、美味いきのこを出してみようと思ったのだ。何かをしていれば、何となく気が紛れた。


 "きのこ"はコツさえ掴めば、幾らでも出せるようだ。いつかはまともに食えるきのこも作れるだろう。


■■


 この力も、慣れてくれば多少面白みがある。どうやら菌糸は、私の意思で自由自在に形を変えて生み出す事が出来るらしい。そして、出せるのはきのこに限った事でもない。カビや酵母など、菌に纏わることは概ね生み出せるようだった。


 こうして夢中になっている内に、私は森から出ることが無くなった。食糧は自分で出せるし、人もいないので思う存分能力を試せる。ここは私にとっては理想の場所だった。


■■


 今日で森に篭ってから3日目になった。


 朝起きて、古い森小屋に置いてあった古い鍋を使い、きのこのスープを作るのが日課になった。


 気づけば私が寝床にしている、杉の木のの周りは、多種多様なきのこだらけになっていた。これは、頑固な陶芸家のアトリエが、割れた器だらけになっているようなものだ。


■■


 次第に鳥や鹿などの森の動物たちが寄ってきて、きのこを食べるようになった。


「うまいか? そうかそうか。そりゃあ良かった。お前らが喜んでくれるなら、このクソ能力も報われるよ」


 子鹿を撫でてやる。代わりに子鹿は私の顔を舐めてくれた。


■■


 1週間が経つ。


 もはや"きのこ"程度であれば、あらゆる場所に発生させられるようになった。地面や木々にはもちろん、泥沼どろぬまや岩壁でも、胞子さえ発芽できる場所ならば、どこでも可能だ。


「慣れれば結構便利だな。足場にして崖は登れるし、川も渡れる」


 毎日歩き回る事で、このひどく広い森にも詳しくなった。


 奥に行けば行くほどに葉は日を遮り、気配は重かった。途中、木々の間に縄が張り巡らされ、人が立ち入れないようにしている場所もある。ご丁寧に縄に木の板や鈴までつけ、警戒音が鳴るようにしている。


 禁忌きんきの地なのだろう。過去、この森で大きな何かがあったのだ。


 森に来てから今まで、誰とも会わないのはそのせいか。一回くらい猟師と出会してもおかしくはないハズなのに不思議だ、とは思っていたが。なんとなく理解した。


 今日、子鹿の親子が私に花をくれた。いつもきのこを食わせているお礼のつもりなのだろう。


■■


 森を周り、幾つかある放棄された森小屋から、小瓶やカンなどの容器を集め、実験に使う。私がどんな菌を生み出すことが出来て、どんなことが可能なのかを、もっと確かめたいという意図があった。


 気づけば私の棲家であるは、錬金術師の研究室のような様相になりつつあった。


■■


 森に来て1節が経った。


「あれ? 親はどうした」


 子鹿が来たが、いつも一緒だった親鹿がいない。しょんぼりとした子鹿が道案内をしてくれた。子鹿の後をついていくと親鹿が倒れていた。


「死んでるのか……」


 子鹿が親鹿に寄り添うように座る。


 私は親鹿の傷を見た。大きな爪の跡がある。魔物にやられたのだろう。だが、食われて体が欠けているわけではない。


 よく見たら鳥や猿などの動物の死骸が、草木に隠れてポツポツと転がっている。何者かが、遊びで動物たちを殺して回っているのだろう。恐らく、この森の魔物ではない。


 私は子鹿の頭に手を置き、撫でた。


「よし、わかった。お前の母親は埋めてやる。だがその前に──」


 先から背後に、大きな気を感じている。振り返ると巨大な熊が音もなく近寄って来ていた。


「私がこの変態野郎を倒してカタキをとってやるよ」


 熊が巨大な腕を、ゆっくりと振りかざす。まるで私が怖がるのを見たいかのように。


「──悠長だなッ! そうしてる間に、穴という穴を塞いでやるッ‼︎」


 熊を睨みつけると、熊の身体中に"きのこ"がブワっと生えた。



□□


 神聖カレドニア王国。

 プライズ辺境伯軍50名は、昼なお暗き森『大きなシュバルツバルト』を進む。


「やれやれ、まさか我が領に霆獣ていじゅうが迷い込むとはな」


 鎧を身に纏う、白鬚を蓄えた初老の大柄な男『プラン・プライズ辺境伯』は、巨大な黒い軍馬の上でボソリとつぶやいた。


 霆獣。突然現れて殺戮を繰り返す魔物、その中でも巣を持たない種を指す。巣を持たないので各地を流れて、人や家畜を殺す。それが雷のように突然現れて周りを破壊し尽くすように見える事から、山火事や嵐と並ぶ災害として恐れられていた。地方によっては獣王と呼称するが、巣を持たなくても生き抜ける程に強力な種が多く、酷く厄介な魔物だった。


 プライズ辺境伯の言葉を聞いて、若い兵士が言う。


「果たして私たちに対処できるでしょうか」


「やるしか無いだろう。嫁に別れは済ませたか?」


「生きて帰るつもりですよ、私は」


「ははは。ま、頑張ろう。ワシとて今朝の冷めたスープを最後のメシにしたくはない」


 "お互い、とんだ貧乏くじを引いたな"。プライズ辺境伯はそれを言いかけてやめた時、森の暗い影から、張った声が聞こえた。


「辺境伯様、辺境伯様〜〜っ!」


 兵が馬を走らせて、プライズ辺境伯の元へ向かってくる。偵察に行っていた中堅の兵だ。困惑した表情で、額に汗が滲んでいる。


「いたか」


「発見しました……‼︎」


「案内しろ。総員、戦闘準備──」


「そ、それが……」


□□


 プライズ辺境伯が見たのは、霆獣バーヴガィの成れの果てだった。


 グリズリーに似た巨大な魔物で、非常に好戦的なのが特徴だ。皮膚の下に硬い甲殻のようなものを持ち、刃を通さない。過去、何人もの勇敢な戦士が立ち向かい、散って行った。


「──バカな。甲殻も内側から爆ぜてるのか?」


 プライズ辺境伯は、怪訝けげんそうに目を細める。


 その死骸は菌に蝕まれ、多種多様の形をした"塊"が無数に生えている。肉は腐り、強烈な死臭がただよう。兵の中には鼻を押さえて動けない者もいる。動けば、吐きそうになるのだ。


 プライズ辺境伯は馬から降り、死骸に近寄る。


「危険では……! 何があるか、わかりません!」


 兵の1人が、制止する。


「こういう時は老いぼれから死ねばよろしい。離れていなさい」


 そう言ってプライズ辺境伯は、膝を立てて、死骸を触り、よくよく観察する。粘る肉に、微かなを感じた。


「──解せんな。これは、魔力だ。人がやったとでも言うのか」


 プライズ辺境伯は左手で、シルバーのロザリオを握る。何か、胸騒ぎがしたのだ。これは不安とも恐怖とも違う、という酷く漠然とした、無味無臭の胸騒ぎである。


「霆獣を相手に、一体誰がこんな事をできるのか──」


 木々に囲まれた暗い空を、鳥たちが忙しなく行き交う。胸の内のざわめきを映し出たように、ただ、忙しなく行き交う。

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