不良聖女の巡礼 〜追放された最強の少女は、世界を救う旅をする〜

@awaa

01.リトル・キャロル

 

■■


 私は神を信じていない。


「──キャロル。君は聖女だ」


 私が15歳の誕生日を迎えた日、孤児院に来た神官が"神の言葉"を教えてくれた。は、聖女という言葉さえ知らなかった。


■■


 聖女だと知らされた日の夜は眠れなかった。


 孤児院の広間に出て、黒ずんだ板張りの床を踏み、割れたまま直されていない硝子ガラス窓の側、修道院だった頃からある壊れた風琴オルガンの横。聖女だと宣告されたその場所で、神官の言葉を何度も思い返した。


 それで、風琴の上にある小さな女神像を、じっと見ていた。それは月明かりを受けて、白く、冷たく輝いている。見慣れた像だったが、今宵のそれはまるで別世界の物のように異質に見えた。


 神官が言うには、聖女として選ばれた者はここから遠く離れた王都に行くのだと言う。二つ返事は出来なかった。孤児院の子供達も、世話役の私がいなくなれば困るし、私も心配だ。


 それに、私は神を信じていない。聖女という存在の説明も受けたが、それも作り話だと思っている。だが、神官は決して作り話ではないと言う。確かに自分の目の前に聖女がいるのだと言う。その瞳は、嘘を言っている様には見えなかった。それもまた私を迷わせた。


 様々な話が一気にのしかかって、私は動揺していた。とにかく色々な事が頭の中をぐるぐると回って、収拾がつかなかった。


 背後からギシリと床のきしむ音がして、ゆっくりと振り返った。そこに立っていたのは私を聖女だと言ってのけた男、黒い聖胴衣に身を包んだ壮年の神官だった。


「君も知っておるはずだ。年々、瘴気しょうきの壁は迫っている。こうしている今も、我々の世界は狭くなっておる。時が経つにつれて、人は瘴気に飲まれてしまう。我々に残された時間は少ない」


 ──世界は『瘴気の壁』に囲まれている。瘴気からは数多の魔物が生み出されている。魔物は、人や家畜を殺していく。


「聖女と定められた乙女達は、世界のために安寧を願い、瘴気をはらい、未来を繋ぐ運命を背負う。逃げることは出来んのだ、キャロル」


 神官は目を逸らすことなく、私を真っ直ぐと見ている。


「聖女は瘴気を祓える。分からんか。瘴気が無くなれば、この世界から魔物がいなくなるのだ。君にはそれだけの可能性がある」


 一方で私は目を逸らした。言っていることが、あまりにも大きすぎたからだ。現実的では無い。どうしてそんな夢物語を信じることが出来るのだろう。


「その力があれば、君の大切な人たちを守れる。もう失わなくて良くなる」


 周りで、たくさんの人が死んでいった。魔物に襲われた私を逃がそうとして喰われた人もいる。親しかった大人が突然いなくなったこともある。逃がそうとした子供を目の前で惨殺されたことだってある。親役も3人変わり、やがて教会から派遣されなくなった。魔物に殺されすぎて、誰もこの地に来たがらなかった。


 人が死ぬ度に私は無力だった。抗っても、どうすることも出来なかった。悔しくて、虚しかった。それを、この男は知っているらしい。


「神が教えてくれたのだ。君の苦悩を」


 薄雲に隠れていた月があらわになる。銀の光が女神像に当たり、同時に深い影を落とした。


「リトル・キャロル。共に世界のために戦ってはくれんのか」


 その時、私は不安だと言った。それを聞いて、今まで笑わなかった神官が少しだけ頬を緩ませて、鼻で笑い、こう答えたのをよく覚えている。


「神が味方だ。これ以上に心強いことがあろうものか」


■■


 私は馬車に乗り、王都へ向かった。過ぎていく田園の風景を、ただ見ていた。


「聖女とは平和の象徴だ。あらゆる邪悪を祓い、病を治す」


 隣に座る神官が分厚い本を読みながら言う。本からは、いぶした香のかおりがしていた。


「神が書いたとされる『原典』という本に"5人の聖女が現る時、世界の太平たいへい成る"とある」


 5人の聖女とは、火の聖女、水の聖女、風の聖女、大地の聖女、そして、それらを束ね導く、光の聖女だとされている。


「君が5人の聖女のうち、どの聖女なのかは、まだわからん。"日のむしばむ時、力現る"。つまり、日蝕の時に聖女たる力を授かる、ということだ」


 景色を見ながら、その淡々とした声を聞いていた。野焼きの煙が高く昇って行き、青い空を灰色に濁している。強く風が吹いても、濁りは取れない。


「日蝕が起こるその時まで、精進せよ。リトル・キャロル」


■■


 王都にある学園が私を預かる事になった。学園での待遇は貴族のだった。何ひとつ不自由ない暮らしが突然始まった。


 食べ物も美味ければ、飲み物に火を通す必要もない。自分に護衛がつくなど、考えもしなかった。


 学園には私の他に4人の聖女候補が選良エリートとして集まった。ここで、総合的な知リベラル・アーツを学ぶこととなる。


 これが、今から3年前の話だ。


■■


 私は18になった。明日、ついに日蝕が訪れる。


「キャロルちゃん……。緊張してる……?」


「ええ……。少しだけ……」


 私が部屋の窓から月を見ていると、同部屋の聖女候補『マリアベル』が私の手を握って問いかけてくれた。


 マリアベルは、いつもほのかな笑みを浮かべている。青い瞳は凪の海のように静かで、顔には泣きぼくろがあった。夏の浅瀬を思わせる薄い青色の長い髪は美しく、ゆらめくランプの灯りを受けて輝いていた。


「きっと大丈夫。私も、キャロルちゃんも、良い結果になる。出来ることは、何でもやったんだから……」


「そうかな……」


「うん……。私は光の聖女になりたい……」


 そう言って、マリアベルは私の手をキュッと握った。いつも通りの優しい声色だったが、ランプの灯りのせいか影を落としたその表情は、何か思い詰めているようにも見えた。


「マリアベルが光の聖女になっても、変わらず友達でいて欲しいな……。上下の関係なく、友達で……」


「えー! 当たり前だよ! 私たち、ずっと友達だから!」


 マリアベルは私に抱きつき、そう言って笑った。


■■


 翌日。13時40分。世界が闇に飲まれる。空が黒く沈み、あたりが暗くなった。太陽が徐々に蝕まれていく。


 大教会の華美な礼拝堂。闇の中、祭壇の聖火の柔らかな揺めきだけがその場にある灯りだった。


 礼装を施した私たち5人の前に、大司教アーチビショップが立つ。


「ニスモ・フランベルジュ、前へ」


「はい」


 公爵家の令嬢、ニスモ・フランベルジュが言われた通り前に出る。さらりとした赤髪と、鋭い目つき、血のような赤い瞳に、長い手足。彼女には迂闊に他人を近づけさせないような雰囲気があった。


 大司教が灌水棒かんすいぼうを振り、ニスモに聖水を振りかけた。


「手を前に」


 彼女が大司教の背後にある祭壇、その後ろの巨大な女神像に向かって手をかざす。すると手の先に、小さな赤い炎が生まれた。その炎は白い光を放ちながら、次第に体全体を包んだ。


 私は少し離れた場所に立っていたが、それでも肌が焼けるような確かな熱を、私は感じた。


「おお……、火の聖女だ……」

「素晴らしい……」

「伝説は本当だったんだ……」


 各領から集められた来賓がざわつく。


「火の聖女……」


 ニスモは燃える手を見て、ボソリとつぶやいた。私は彼女の表情から、感情を読むことができなかった。


■■


 その後も粛々と儀式が進められた。


 眼鏡グラスをかけて銀髪を三つ編みにした子、ローズマリー・ヴァン=ローゼスは風の聖女。


 ウェーブのかかった亜麻色の髪と妖艶な顔立ちの、メリッサ・サンチェス・デ・ナヴァラは大地の聖女。


 そして、マリアベル・デミは水の聖女となった。


 マリアベルはゆっくりと視線を落とし、輝く水の滴る手を悔しそうにグッと握りしめた。


■■


 私は息を整えて前に出た。消去法だと、私が光の聖女ということになる。


「あの子が光の聖女になるわけか……?」

「名前は?」

。リトル・キャロルだ」

「ああ、気立が良いと評判の……。それがあの子か」

「資料を見たまえ。成績も良い。恐らく、光の聖女だろう」


 来賓が騒めく中、私は背筋を伸ばして大司教の前に立ち、胸の前で十字を切る。蝋燭の灯りと祭壇の炎を映して赤く輝く聖水が、体にかかった。もう一度息を整えて、手を女神像に向けて翳す。


 一瞬、像の目にゆらめく光が宿った気がした。

 ドクンと心臓が高鳴った。

 体が燃えるように熱くなる。喉にヒリヒリとした熱い何かが、上がってくるようだ。

 そして翳した手が、ふわりとした煙を立てた。


「煙……?」


 大司教が呟き、目を細めた。

 そして、私の手が瞬時にした。

 いや、違う。私の手に、何か固形物がまとわり付いた。


 ──明らかに光の力ではない。


「……これは」


 大司教が私の手を触る。少し触れると、ボロボロとは崩れて、こぼれた。地に落ちた塊は、ドロリと溶けている部分もある。


「腐った……⁉︎」

「光の聖女じゃないのか……?」

「呪われているのでは……」


 集められた来賓が、どよどよと騒めき始めた。それに混じって、ピキキ、という鋭く高い音が聞こえた。


 音のする方を見る。木造の女神像に大きなヒビが入っている。内側から『白いコブのようなかたまり』がヒビを押し広げていき、ついには像を腐らせながら崩壊させた。


「女神様が……」


 大司教がそう呟いた後、次第にざわめきが波のように引き、礼拝堂に再び沈黙が訪れた。


■■


 日蝕の後、聖女たちは神から授かった力の制御に励む。


 私はあの日以来、女神像を崩壊させた妙な力を使うことが出来ていない。故に、裏方に徹した。


 聖女達の仮想敵となる、捕らえてきた魔物を檻から出す。それを中庭まで連れて行き、その後は、死骸を処理する。それがここの所の私の仕事だった。


 学園地下にあるおりに向かい、狼型の魔物を出す。今日は魔物が興奮していて、かなり抵抗された。手につけた防具ミットに喰らい付き、暴れる。何度も振り回され、体を壁に叩きつけられた。いやでも時間がかかってしまう。


 魔法さえ使えればこの程度の魔物は何でもない。だが、どこかで、魔法を使うのを怖がっている自分がいた。


 しばらく経って、ニスモ・フランベルジュが様子を見にきた。彼女は私を睨みつける。


「こんなことも出来ないの?」


「……ごめんなさい」


 私が謝ると、何の躊躇もなく私に炎を浴びせた。眩い炎が激しい旋風になって迫り、私は魔物と一緒に吹き飛ばされた。壁に激突し、身を焼く。


「ケホッ……!」


 炎を吸い込んだ。喉が痛い。


「邪魔よ、ゴミムシ」


 ニスモは倒れる私を見下ろし、手を踏みつけた。


「いつまで聖女に関わろうとしているの? 虫唾むしずが走るのよ、聖女でもない人間が我が物顔で、そこにいるのが。この学園から出ていくべきね」


 そして、私の髪を持ち、顔を近づける。


「ぐっ……!」


「あなたの考えを言い当ててあげる。聖女を偽り、恩恵を受けようとした。でもそれが失敗した今、せめて聖女に媚を売って権力を得たい。流石、自己中心的な下民が考えることは汚らしい。反吐が出る」


 そう言って私の顔を強く地面に打ちつけてから、顔を蹴った。


「──呪われているのよ、あなたは」


 彼女は地下室から出ていった。


 私は垂れる鼻血を抑えて立ち上がり、魔物の死骸を処理した。


■■


 嫌がらせも加速した。歩けば、み子、売女ばいたや淫売と、謂れのない悪口が学園中の生徒から投げられた。


 石や矢が飛んできた事もある。面白半分で殺そうとしてくる者もいるのだ。いや、面白半分では無いかもしれない。聖女と偽った私を殺す事が、本気で正義だと思っている者もいる。


 この現状について教師達は見てみぬフリだ。いや、嘲笑ってすらいる。


■■


 私は中庭でマリアベルを見かけた。あの日以来、彼女とは話す事が出来ていなかった。私がいるからと他室で過ごすようになっていたからだ。だから私は、それなりの勇気を出して話しかけた。


「マリアベル……」


 近寄って手を引こうとした。


「さわらないで……!」


 マリアベルは私の手を払って、拒絶した。


「ご、ごめん……。呪われて腐るかもしれないから……」


 そして手が触れた場所を、ハンカチで拭った。


「わ、わたくしはそんなんじゃ──」


「喋らないで」


 マリアベルの冷たい声色に、頭が真っ白になった。目も合わせてくれない。


「ほんとは今までずっと、我慢して友達のフリしてたんだ……。勘違いさせてたら、ごめん……」


 そして小さく涙を流し、こう言った。


「退学した方が良いと思う。みんなのためにも……」


 私には返す言葉が無かった。それで、いたたまれなくなって、その場から失せることしか出来なかった。


「ようやく言えた……。貴族じゃないのに聖女なんて、ありえないよね……。穢らわしい……」


 背中ごしに、マリアベルの声が聞こえた。


■■


 その翌日。私の処分が書かれた制札が広場に立てられた。


【リトル・キャロルを処分する】


①聖女としての力を持たない者は、正教会の資金で成る当学園に置くことができない。

②本来リトル・キャロルは当学園において身分不相応である。

③他生徒は、この恥ずべき処分を園外に漏らしてはならない。漏らした者は同じく処分とする。


 しばらく掲示板の前で立ち尽くした。野次馬が怒号を投げつけたり、笑ったりしていたが、気にはならなかった。


「いつまでいるんだね? 文字も読めなくなったのかな?」


 痩せ細った教師がにやけた顔で私の肩に手をやり、煙草を吸おうと一本取り出した。


「ふぅ──────」


 私は長いため息をついた。こうなっては仕方がない。取り繕うのはおしまいだ。


「このクソみてぇなはヤメだ、ヤメ」


 生真面目に整えていた髪も解く。そして、教師が取り出したばかりのタバコを盗る。


「な、なんだね君は……!」


 火をつける。吸う。生き返るような美味さだ。3年ぶりの煙草なだけある。こんな所だが、別れの一本くらいは許されていいだろう。


「どけ」


 野次馬共が、さっと道を開ける。先とは違う意味で騒めいている。


「あれがみなしごか……」

「そう言えば孤児院出身だったな……」

「野蛮だわ……」


 野次馬の中に、聖女の4名方もいた。


 マリアベルは他生徒と私の悪口を言い、ニスモはただ何も喋らず鋭い眼差しで私を見ている。ローズマリーは下品なものを見るように目を背け、メリッサはバカにするような笑みを浮かべている。


「お望み通り出てってやるよ。だがな! いつか、私は必ずお前らの前に現れて、すました顔をぶっ叩いてやる! その事をよく覚えておくんだなッ!」


 怒号と笑いは変わらず。私の話など、聞きやしない。


「じゃあな。まあまあ楽しかったよ」


 マリアベルを一瞥する。


「たとえ『友達ごっこ』でもな」


 半分以上残っている吸い殻を置き土産に、私は正門から出た。


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