第17話 星影を抜けて
桃色の霊魂は自らを”ジェシー”と名乗った。
彼女は恋文……つまりラブレターを探しにここまでやってきたわけだ。意中の相手がいるのだろう。ジェシーは、恋に浮かされた顔で語りだした。
「……トレンスとは小学校で隣の席になったの。教科書を忘れた私に席を寄せて見せてくれてね、『大丈夫か』って声を掛けてくれて。あれは嬉しかったなぁ」
「ジェシーとトレンスは幼馴染なんですね」
「そう! 私とトレンスは幼少期より幼馴染なの! 彼のいろんなことを知っているわ。好きな食べ物はハンバーガー、居心地がいい場所はリビング、苦手な動物は蛇、テスト期間は学校に居残って勉強していたことだって知っている」
興奮気に喋るジェシーに、スミレは頷きながら耳を傾ける。
「それで高校を卒業するときに、今のままじゃだめ、告白するぞって思い立って。ちょっと古臭いけどトレンスに恋文を書いたの」
「お返事は、どうでしたか?」
「……出す前に、戦争が始まって」
ジェシーがいた国では、高校生から徴兵の対象にされていたそうだ。トレンスの徴兵先は知っていたため、手紙を出す準備を終えて眠っていたがーー。
「目が覚めた時には、世界がこんなんなっちゃった」
あたり一面を見渡しても人工物の気配は無く、清流の慰みが聞こえるだけだった。
「告白するまで成仏出来ない。お願いします、恋文を探してください」
人間としての姿形はとうに消滅しているが、誠実な姿勢と気さくな口調からは、ジェシーの真面目さと親和性が窺える。きっと人間時代は良い人だったのだろうと、スミレは思いを馳せる。
「――だそうです」
スミレが伝え終わると、エタは難色を示す。
「却下だ、却下」
「何故です? エタには可哀想だと思う気持ちがないんですか!?」
「んなのあるわけねえだろ、青臭い。面倒事には突っ込まねェし、ラブレターが見つかるとも思えない。何より、あの霊は何か
「でも、幽霊は嘘を吐けないんでしょう?」
「そうだ。だが、この違和感はお前を危険に晒す。だから却下だ」
「……じゃあ、私一人で請け負います!」
ムクノキの下で待つジェシーに話すため、スミレは拗ねたように背を向ける。
「待て」
スミレが足を踏み出す手前、声がかかる。
「どうしたんですか?」
「……俺も行く」
「やっぱり、気になってます?」
「勘違いすんな。あの霊が怪しいことしねえか見張るためだ」
「ツンデレさんですね」
「あ゛?」
「でも、エタのそういう優しいところ私は好きですよ」
しかめ面だが忌々しそうに舌を鳴らすこともせず、ジェシーに駆け寄るスミレを大股で追った。
一緒にラブレターを探すことになって、ジェシーはとてもうれしそうだった。スミレの手を握る動作をしている。
「ありがとう、スミレ! なんてお礼をすればいいか……」
「気持ちだけで十分です。それより、ジェシーの出身を聞いてもいいですか?」
「アステリアの西方だけど。それでなにか分かるの?」
「なにが分かるんですか?」
スミレにジェシーの出身を訪ねるように求めたエタは、面倒くさそうに頭を搔く。
「まあ……あれだ……
「ちょっと待ってください。この世界、以前は魔法とか科学なんてものがあったんですか!?」
「あった」
「ありました」
「言葉が通じないのにシンクロしないでください。それより、どういうことか教えてください」
エタはため息をつきながら、ナイフで河原に地図を描いた。二つの大きな塊が左右に描かれ出す。
「今の世界がどうなっているか知らねーが、昔は大きく分けて魔術を世界の理論とする『魔術大陸』と、科学を宇宙の摂理とする『科学大陸』があったわけだ。魔術大陸の方では当たり前のように魔術が使われていたし、科学大陸の方では社会の基盤として科学が存在していた」
「私は魔術大陸の方なの」
「箒とかで空を飛んだりしたんですか!?」
「うん。教室でも得意の方だったのよ」
「すごいです!!」
未知との遭遇に興奮するスミレを横目に、解説を続ける。
「魔術大陸では科学の存在は否定されていたし、科学大陸には魔術なんてものはまやかしだと信じて疑われなかった。逆に言えば、大陸間で異なっている点はたったそれだけだ」
「私ステーキが好きなんだけど、牛肉が科学大陸にもあることを知ったとき驚いちゃった」
「文化や教育も同じなんですか?」
「ううん。魔術に則って独自に発展を遂げていたよ。科学の方もそうだって、先輩が言っていたと思う」
「互いの存在を知っていざこざはあったものの、双方融和を図ろうとした」
「文化交流会みたいな感じ。お互いに諍いを辞めようって」
「うまくいったんですか……?」
スミレの脳には失敗の二文字が浮かんでいる。話を聞く限り、世界は発達していったそうだが、仲良くしていてこんな世界になっているわけがない、と。
「なんと……この融和は成功した」
「そうなんですか!」
「国交を結んで、貿易も始めたの。どっちの大陸も多くの国が賛成したよ」
「え。じゃあなんで……」
「それが分かんねえから、俺が原因を探してんだ」
説明口調が砕けたエタを見て、つい微笑みが漏れる。
「私もこの姿になった原因は分かんないの。ごめんね」
「そうなんですね。っていうか、二千年くらい前の話なのによく覚えていますね」
「……
自分の本当の名前も覚えていないのに、とスミレは密かに毒づく。エタの記憶喪失は、自身の情報を中心に発生しているのだろうと一人で納得する。
「話を戻すぞ。まあその後戦争が起きて世界がこうなったわけだが。俺たちがいる場所はだいたい緩衝地帯にあたる」
地図にぐるぐると円を上描く。魔術大陸と科学大陸の真ん中。海を挟んだ島のような陸地。
「それで、こいつの出身は」
ナイフを渡されたスミレは先ほど聞いたジェシーの出身地アステリアを記す。緩衝地帯の右斜め上。
「結構この場所から近いですね」
「アステリアは魔術も新型が多かったせいで、科学大陸の玄関口になったんだよ」
「手紙の場所が分からない以上、ここから
「どのくらいの距離でしょうか」
「確か……1000キロくらいかな」
「せっ、1000キロ!?」
「歩けば一週間くらいか」
「今からそんなに歩くんですか!?」
「どうせ疲労も感じねえよ」
「それはそうですけど……」
スミレの中には心残りがあった。
「まあ確かにちんたら歩くわけにもいかねえな」
「……なんだかエタはのびのびしてますね」
「ほっとけ。それより歩いて行かねえなら飛ばしていくぞ」
「もしかして……
「他に方法がねえんだからシャーねーだろ」
「
「うっせえ、我慢しろ!」
二人が言い争っている中、ポカンとする幽霊が一人。
「……あの、
ジェシーの声が分かるスミレが返答する。
「走っていくことです」
「結局”足”じゃん!!」
「お前らしっかり捕まっとけよ……」
エタは川を背に、星夜を頭にクラウチングスタートの姿勢で蹲る。修繕された黒いローブに纏わりつくはスミレとジェシー。二人とも途中で振り落とされないように、必死にしがみついている。
「ねえ、本当に走っていくの!?」
「口は閉じた方がいいです。舌を噛んじゃいます」
エタは目を瞑った。深呼吸を二つ。耳に入るは川のせせらぎ。そして滾る心臓の脈動。
砂利を踏みしめ、腰を軽く浮かす。
両脚に血肉の湧く感触が刺し込む。
空気が震え、草木がざわめきだす。
それでも彼の耳は、流々しか受け入れない。
無意識の中で笑みを浮かべる。
背骨に強く捕まれる感覚が走ると同時に、勢いよく駆け出した。
「ヒィィィイイイィィィッ……!!」
か細い叫び声をあげるジェシーは、周りの様子など気にしていられなかった。
速い。あまりに速すぎる。
この速度は、かつての世界でも身に覚えがない。それほどの速さ。
「手紙を探すので抑えて走ってください!!」
「あ゛あ? 聞こえねえなァア!!」
さらにスピードが上がる。
山野や星空は目まぐるしく変わり、もはや目も開けていられない。走り抜けた跡がくっきりと残り、遅れて風が巻き上がる。
「こういうのはだいたい最初に探したところにあんだよ!」
「本当ですか?」
「ンなこと知るか!!」
「やっぱり!!」
窓もドアもない高速魔道汽車のようなものなのにどうやって二人は会話をしているのだろうと、ジェシーは戸惑った。
「ジェシー!」
スミレが話しかける。
「このままアステリアまで行くそうですけど、いいですか?」
ジェシーはただ頷くしかなかった。却下したところでこの男が止まるわけがない。
「……じゃあいいですけど」
そう言ってスミレは遠くの草原を見渡した。草木の種類も花の名前も分からないが、来もしない夜明けを待ち望む草原は鮮やかな緑で彩られている。
少し時間が経ったころ、スミレは疑問を投げかけてきた。
「そういえば、その走力は何なんです?」
巖咲の時も見たその力。学校の端から端を一瞬で通り、一年以上走り続けるスタミナを持ち、地盤をかち割る脚力。この世界に適合した不死の能力とは明らかに別物。
「知らねえ分からねえ覚えてねえ集中すれば力が強くなる」
「そうですか……」
これも大方無数の死による忘却のせいだろう。生前持っていた力すら忘れてしまった。名前も出身も能力さえ思い出せないなんて――
「――可哀そう」
「? なんか言ったか」
「独り言です」
スミレが微笑むと、エタはあえて気にしないように疾走した。
そんなことを会話していると次第に野の端がそれまでの空と様相を変えてくる。
紫褐色に星がちりばめられた空は、走るほどに赤みを帯びていき星明りは薄まっていく。
仄赤い地平の先には、それまで沈んでいた燦然と輝く月光が頭を出している。
星陰に包まれていた世界は、烈火のごとく燃えるような赤に徐々に支配されていった。
スミレは興奮の最中、その光を全身で身に浴びていた。
「すごい……あの光る球は何ですか!?」
「太陽か?」
「ううん……あれは”月”」
それまで黙としていたジェシーが口を開いた。エタの速度に少しは慣れたのか、顔を上げて真っ赤な月を見つめている。
「旧世界のアステリアで複製された人造の月。第二の太陽と評された燃える衛星”
「衛星ってことは、宇宙にあるんですか!?」
「そうだよ。何のために作ったのかは教わっていないけど」
メラメラと煌めく赤き月は半分程度顔を出した。遮る樹木や岩陰が見当たらないから、痛いほど照らされる光を正面から受け止めるしかない。その中でもエタは走り続ける。
「しかし眩しいな……おい、いつ着くんだ!」
「
「…………あっ! 見えてきました!」
視界の遥か先、
「魔法都市アステリア……」
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