三口目 ましろ—④

 中学の頃に、一生、誰からも命を受け取らないことに決めた。


 それはつまるところ、27歳で命を終えると決めること。


 そして、生きてるうちに、誰も愛さないし、誰にも愛されないと決めること。


 一生、独りでいると決めること。


 我ながらとても寂しい話だと、そう想う。ふと、これから誰にも知られず独りでひっそりと死ぬんだなって想うと、ぼろぼろと情けなく涙を零した夜は、一体いくつあったっけ。


 これから、私の心の本当に深い大事な場所は、誰にも伝えることはありません。


 これから、私の身体の本当に触れて欲しい場所は、誰に触れられることもありません。


 これから、私の人生の本当の一番近い所には、誰も立つことはありません。


 寂しいし。


 苦しいし。


 辛いし。


 止めたくなるし。


 独りでただ苦しみに喘いでいる時間を過ごしていると、27歳なんて待たずに、そのまま命を失くしてしまえばいいと想うことも何度かありました。キッチンに置いてある安物の包丁を握りしめて、自分の胸にあてがって、じっと過ごす夜もありました。


 それほどまでに孤独は怖くて。


 それほどまでに助けてもらえないのは辛くて。


 それほどまでに死んでしまうことは、どうしようもなく嫌だったのです。


 当たり前ですね、だって雪女も生き物ですか。生きている以上、死ぬのは誰だって怖いに決まってるでしょ?


 でも、それでも。


 そんな地獄のような日々を、ずっとずっと死ぬまで繰り返していたとしても。


 私はお父さんのような人は――――もう―――――。








 ※


 そんな地獄のような日々を、それでもなんだかんだ歩いてこれたのは、いくつか理由がありました。


 一つは、リミットがあることです。これがあと80年続いたら、きっと私は耐えられなかったけれど、27という数字は、まあ、なんやかんや頑張ればこれてしまうものだったから。


 二つは、幸いにも音楽に出会えたこと。二十代半ばくらいまでは、それこそ命を燃やすようにピアノを弾き続けていました。そこまで自分が抱えた、慟哭や葛藤や不安や痛みを、全てを燃やして失くしてしまえというほどに、私の全てをそこに込めました。


 幸いにも、眼に止めてくれる人、足をを止めて話しかけてくれる人、耳を傾けてくれる人、たくさんの人と出会うことが出来ました。あれは本当に掛け替えのない時間でした。身体の都合で、結局、活動は止めてしまったけれど。


 三つめは、日々すれ違う人たちとの些細な出会いがあったことでしょうか。


 私を見つけてくれた、プロデューサーさん。


 よくファンメッセージをくれた、フォロワーさん。


 編曲家さんや、ピアノ仲間に、バンドの人たち。


 そういった人たちとは、音楽を辞めてからはちょっと疎遠になったけれど。


 仕事で働けば、先輩や後輩や、お客さん。


 夜の街に繰り出せば、よく行くバーのマスターに、同じ常連や、行きずりの人、たまたまあったしらない人。


 それと素敵な笑顔の、悩める可愛い店員さん。


 日常にはたくさんの出会いがありました。


 まあ、あったというか、老い先短い私は、後先考えず、話しかけたり笑いかけたりしまくってただけですが。


 私は一生、誰かを愛することも愛されることもないけれど、そうやって笑いかけていれば。


 もしかしたら、この人たちの記憶の中に、そっと入り込めてたりするかもなんて。


 何気ない日常の、何気ないやり取りの中に、たまに酔っぱらいながらピアノを弾く変なやつがいたって。


 覚えていてくれる人が、ほんの少しでもいるのかもしれない。


 そう想うと、なんでか少しだけ、苦しさと痛みばかり抱えていた胸が和らいだから。


 夜な夜な私は、酔っぱらいながらたどたどしい指でピアノを弾いていたのです。


 そうやっている間だけは、先のことも、孤独のことも、自分のことさえ、忘れられた気がしたから。


 ま、酔っぱらってないと多分、あんなことできないけどね。私、臆病なので。


 だから、愛するとか、愛されるとか。

 

 私にとって、それはおとぎ話のような、漫画やテレビの中にしかない、他人事の話でしかありませんでした。


 欲しいけれど、決して手は届かない物。


 触れてみたいけれど、決して手を触れてはいけない物。


 そうずっと自分に言い聞かせて過ごしてきました。


 




 このかちゃんに手を引かれるまま。



 誰もいない路地の隙間で。



 薄暗くて、もう冬が近いから、少し冷たいその場所で。



 口づけをされていました。



 今までは、散々焦らしたり、からかったり、わからせられたり。



 私のことを翻弄していたばかりのこのかちゃんが。



 顔を赤らめて、ちょっと余裕なさそうな表情のまま。



 まるで何かに急き立てられるみたいに、でもそれでも行動の節々に優しさが見える彼女らしい手つきのままで。



 私のことを求めていました。



 そんな事実がどうしようもなく嬉しくて。



 ………………そう。



 結局、私はあれよこれよと誤魔化しながら。



 このかちゃんのことがずっと好きでした。



 可愛いなってずっと想ってたのも本当で。



 彼女の相談に乗った時も、私のちっぽけな人生のあらん限りで言葉を彼女に伝えました。



 あなたの想いは決して軽薄なんかじゃない、ちゃんとその胸に大切なものが宿ってるって。



 つい数週間前までは、このかちゃん、早く新しいパートナーさん見つけてこないかなって。ちゃんと幸せになって欲しいなって。だって、それくらい素敵な想いを持ってるんだからって、そんなことを願っていたはずなんですけど。



 私のことなんて、振り向いてくれないって想ってた人が、何の因果か私の終わりゆく命を少しだけ引き延ばしてくれました。



 どうしてそんなことしてくれるの?



 あなたの命はこれで少しずつ削れてしまうのに。



 それをわかって尚、そこにある犠牲を知って尚。



 こうして求めてくれるのは、なんでだろう。



 でも、そこにどんな理由があったとしても。



 このかちゃんが私のことに、命を懸けてくれることには変わりがなくて。



 恋は、愛は。



 もっと、突然世界が変わるようなものだと想っていました。



 景色が突然色眼鏡をかけて見えるような、道を歩いて居たら突然飛行機に連れ去られていくような、そんな別世界の出来事のように思っていたのだけれど。



 ふと気づくと、あなたの隣にいるとドキドキします。



 あなたに触れられると嬉しくて、求められるともっと触れたくなって。



 あなたの心が、私の方を向いていることを知ると、それだけで頬が綻んでしまいます。



 どこかで劇的な何があったわけじゃなくって。



 ただ、気付けばふと。



 気になって、想い入れが出来て、応援して。



 一杯喋って、お世話してもらって、秘密を打ち明けて。



 気づいたら隣にいて。



 戸惑っていたばかりの口づけを、気付けばどこかで期待していて。



 ぎゅっと、このかちゃんの背に腕を回して、抱きしめました。



 このかちゃんの腕が、それに応えるみたいに、私の身体を抱きしめました。



 いつからか、どこからかはわからない。



 どうしてか、どうやってかなんて、境目は見当たらない。



 でも、気付いたら、私はあなたのことを―――――。



 



 誰もいない暗い路地の中。



 そこだけ時間が止まったような、暗がりの中。



 私はあなたから愛を貰っていました。



 何気なく道を歩いて、色眼鏡も飛行機もない、何もないいつもの道のその先で。



 ふと隣を歩いて居た、あなたに恋をしました。



 私の生涯、最期の恋を。



 

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