二口目 このか―④

 私、表情が、なんというか、人よりうまく動かないんっす。


 うちはシングルで、バカ親父の顔色ばっか窺ってたせいっすかねえ。


 笑うのはねできるんす、にぃって。これはね結構、訓練したんで。


 だから、他人といるときちゃんと笑うようにしてるっす。人間関係、まあ、笑って人のいい奴でいるほうが何かと上手くいくみたいなんで。


 でも、まあできるのそれだけなんっすよね。実際は、愛想笑いばっかりっす。


 そんで、段々長く付き合ってると、そんな化けの皮が剥がれるらしくて。


 今まで二人お付き合いしてた子がいるんすけど、別れ方同じなんっす。


 最初は向こうが、私のこと優しいって言ってくれて、なんやかんやあって告白されたりなんなりして付き合うことになるんっすよ。


 でも、私は好きとか、愛とかそういうのよくわかんなくって。


 大事だとは想うんっすよ、一緒に居て楽しいとも想うんっす。


 でも、好き? とか、愛してる? とか聞かれたら、途端に自信がなくなるんっす。


 そういうの漫画とかドラマじゃあよく見るけれど、自分に当てはめた途端、あんなにちゃんとした深い持ちがあるのかなって自信がなくなっちゃって。


 でも、そういうの聞いてくる子って、要するにそれを言って欲しいってことじゃないっすか。『好き』とか『愛してる』って言葉を求めてる。


 多分、言われることで安心したいんでしょうね……。その気持ちはわからなくもないから、うまく想いが私の中に産まれなくても、できるだけ言葉にしてたっす。好きだよー、愛してるよーって。


 ……でも、いっつもの愛想笑いしか、私の表情かおはうまく動いてくれなくって。


 そういうの段々バレる見たいっす。ほんとは想ってないでしょ、気を遣っていってるだけでしょ、優しいから言ってるだけでしょって……。


 しまいに好きになってもらったのに、むこうの方に愛想尽かされて。


 あなたそんな人だなんて想わなかった、ほんとに優しい『だけ』の人だったんだねって、今まで付き合ってた子、二人ともそう言って別れようって言ってきたっす。


 今のバイトも、前の子と別れて、気まずくなったからバイト先変えたんっす。


 さらに手に負えないのが、そんだけ色々言われてんのに、私自身まあいいかなんて想ってるんっす。まあ、私が悪いんだから仕方ないよねーって、反省も大してしないで、へらへら変わらず笑ってるんす。


 まあでも結構頑張ったんっすよ、折角好きになってくれたんだから、一生懸命私なりに好きになろうって。ない頭捻って、色んな所行ったり、できるだけ時間を多くとったり。ほんと色々……。


 不安になりながら、苦しみながら、もがきながら、必死に自分の中に好きとか愛とかそういうものを探し続けたっす。それでだめなら、相手の中に好きになれそうなところを一杯探して、一杯口にしてたんっす。


 でもまあ、結局、うまくはいかなかったみたいで。


 種のない植木鉢に、必死に水を上げているようなもんでした。


 ほんとバカみたいで、でもそもそも心の中にない気持ちって、どうやったら生まれるんっすかねえ。


 芽が生える種もない植物みたいなもんじゃないっすか。どうやったら育つっていうんすかねえ。


 デートするのは楽しかったっす、キスとかするのも気持ちよかったっす。

 

 でも、それだけじゃあダメみたいで。


 なんでって、どうしてって、いっぱい聞かれたけど、どれもうまく答えられなかったっす。そんなだから愛想尽かされて。


 恋とか、愛とかそういうちゃんとした、ほんとの想いをちゃんと自分で持ってないとダメだったらしいっす。


 『好き?』って聞かれて、心の底からちゃんと答えられて。


 『愛してる?』って聞かれて、ほんとに胸の奥からちゃんと言葉が出てこないと。


 でないと、意味がないらしいっす。私のちゃちな想いじゃ、ダメだったらしいっす。


 優しいって言われて、好きになってもらったけれど、それだけじゃあ意味なくて。




 ―――優しい『だけ』じゃあダメらしいっす。






 そこから先は、多分、負け惜しみに近い、ただの愚痴。







 だから、愛とか恋とかね、正直よくわかんないんっす。



 だって、目に見えない想いの重さを、どうやったら測れるって言うんですか。



 まあでも私、なにかと軽い人間なんっすよねえ、想いも、言葉も。



 だから―――。



 私の愛も恋も、多分、大したもんじゃないんっすよ。




 ※




 ふうっと少し息を吐いて、天井を見上げた。柄にもなく零れかけた雫が、眼から落ちていかないように。


 ああ、我ながら何話してんだか、自分の心が安っぽいって話をただ延々と情けなく。


 まあ、でも話していて、なんでか、少し気分は楽になった気もする。


 胸の奥に溜まっていた澱みのようなものが、少しだけ整理されたというか。


 なんだろう、お互いの事情もほぼ知らない常連さんに話す内容ではなかったかもだけど、それが逆に少し話しやすかったのかもしれない。


 ただ、もう一度ゆっくりと息を吐いて、視線を前に向けたところでぎょっとした。


 「う、ぎゅ、うぎゅぎゅ……」


 …………なんか泣いてんだけど、この常連さん。ぼたぼたと雫をぼろぼろに零して、真っ赤な顔がまた別意味で真っ赤になって、まん丸な眼は充血しまくって。


 ……いや、なんで?


 「だ、大丈夫っすか? すいません、変な話して……」


 よくよく考えたら優しい『だけ』って誰に言われたかって質問だったのに。変に自分語りをしちゃった気もする。うーん、そうだよね、チラシの裏にでも書いとけってくらいの話だもんね。


 なんか自覚すると、私まで顔が赤くなってくる。


 「うぎゅゆ、ぎゅぎゅぎゅ……」


 ただそれはそれとして、常連さんの涙腺はもうぼろぼろに崩れていてさっぱり雫が止まりそうにない。おかげですっかり私の眼の滲みは引っ込んだけど、慌ててティッシュを取ってきて渡したら、常連さんはすんごい勢いで鼻を嚙んでいた。


 酔っぱらいの情緒はわかんないなあと想いながら、ティッシュを凄い勢いで消費するさまをやれやれと眺める。


 それが少し収まってようやく少し常連さんの鼻水が止まってきた、そんな頃。



 「ごのかぢゃんはわるぐないよ!!」



 常連さんはがらがら声でそう言った。すんごい量のティッシュを鼻水で濡らしながら。


 「はは、ありがとうございますっす。まあ、でも私が軽薄なのは確かなんで……」


 「ぞんなごとないよっっ!!」


 常連さんは止まらない。折角とまった鼻水が、大声出すもんだからまたちょっと出てきてるし、いやはや酔っぱらいの情緒を舐めてたかもしんない。


 「まあ、うん……。でも私が悪い話なんで……」


 そう、私にもうちょっと、ちゃんとした想いがあったら。そうでなくても言われた時にちゃんと考えて、自分を改めていられればこんなことにはなってない。


 だから、これは私が悪い話なんだ。そこでおしまいの話なんだ。


 結局、バイト先を変えたのだって、半分逃げてるようなものなわけだし……。


 「う、う、う、ぐぬぬ、口下手な自分が恨めしい……」


 なんて想っていたら、なんか想った以上に、常連さんは思い悩んでくれていた。どこまで他人のことに必死になっているのやら。……こういう人なら、ちゃんと誰かを愛して、ちゃんと恋をできるのかもしれないなあ、なんて想ったり。


 ……していたら、常連さんははっと何か気付いたような顔になると、ばっと座っていたピアノを振りかえる。それからガッと鍵盤を開いて、さっと指を構えてこっちを向いた。


 え? って思わず呆けていると、ぶんぶんと首とティッシュを振って顔についていたものを振り払う。あとついでとばかりに、私が添えておいたお冷を一気飲みする勢いで飲み下した。


 あちゃー、とうとう焼きが回ったかな、なんて私が失礼なこと考えている間に、常連さんは息を整えるとすっと鍵盤をなだらかに撫で始めた。



 瞬間。



 綺麗な――私、音楽なんてもっぱら聞く専だからわかんないけど。


 

 それでも充分わからされるような、そんな綺麗な音が、穴倉みたいなバーの中に響き渡る。



 ちょっと呆気に取られていたら、常連さんはゆっくりとこっちを向いた。



 「私、口下手だから、こういうのしかできないけど、ごめんね」



 そう言った顔かには酔いの後は少ししか残って無くて、さっきまでどこか淀んでいたはずの瞳は、じっと真っすぐ私の眼に向けられていた。あれ酔い、ちょっと覚めてる? なんて想った次の瞬間には―――。



 

「           」




 さっきまで。




 さっきまで、涙で濁った声で叫んでた人と、同じ声だとは想えない。




 透き通るような、儚いような、それでいて心の底から何かを伝えようとしているかのような。




 そんな、優しい声が、踊るようなピアノと一緒に響き渡る。




 

 「                  」




 歌っているのは、どこかで聞いたことのあるラブソング。



 愛を失くさないで、あなたの想いを失くさないでと。



 伝えられなくても、声が小さくても、あなたの想いを、誰よりあなたが失くさないでと。



 そんないつかの、女性シンガーソングライターのラブソング。



 「―――――。   」




 多分、サビの部分だけなんだろう、ゆっくりと鍵盤から指を離して常連さんは静かに歌を止めた。



 少しだけしんと静まり返ったバーの中を、音の残響だけが満たしてる。



 「……………………」



 何を意味する歌だったのかはわかんない。



 唐突だし、説明もないし、わけわかんないし。



 わかんないのに――――。



 …………なんで、ちょっとだけ泣きそうなんだろう。



 変なの。だってこの人、いつもはもっと適当じゃん。酔っぱらてるから当たり前だけど、店の中でリクエストされた曲をじゃんじゃら弾きならして、やいのやいの言ってるだけだったじゃん。



 なのに、なんで今この瞬間、まるで人が変わったみたいに。まるで、本当に歌詞通りのことを、私にそのまま伝えようとしてるみたいに歌えるんだろう。



 どうやったら、そんな歌い方ができるんだろう。どうやったら、そんな風に音に想いを乗せられるんだろう。



 どうやったら、こんな普段から無感動な私みたいな奴が、泣きそうになる歌を唄えるんだろう。



 ただ、唖然として。



 ただ、呆然として。



 ゆっくりと振り向いたあなたに、私は何にも言えなかった。



 そんな私に、あなたは言葉を一つずつ編むように、ゆっくりと確かめるように、口を開いた。



 「このかちゃんはね……きっと、まだちゃんと想いが上手く言葉にできないだけだよ」




 「感じることが、想うことが、きっとうまく育ちきれなくて」




 「それでも、がんばりやだから、きっと相手の子が欲しいって想えるところまで、自分の想いを無理矢理合わせようとしちゃったんだよ」




 「だから、ちょっとズレちゃったのかもしんないけど」




 「でも、一緒に居るのは楽しかったんでしょ? キスも……気持ちよっかった?」




 「じゃあ、きっとね種はもうあったはずなの」




 「想いの種も、恋とか愛の種も、きっと」




 「このかちゃんの心の中には、きっとあってね」




 「だからきっとこのかちゃんは、ちゃんと相手の子のこと、好きだったと想うんだよ。想いが育つのがゆっくりだから、ちょっと気づきにくかっただけで」




 「だからね、このかちゃんはきっと大丈夫だよ」




 「もう、このかちゃんの心にはね、きっと愛も想いもあったんだから」




 「だってそうじゃなきゃ、ほんとに想いがなかったら苦しまないでしょ?」




 「ほんとに想いがないならね、そんな風に泣かないよ」




 「君が流した涙は、きっと嘘じゃないんだ。それだけ君の心には想いがちゃんと詰まっていた証なんだから」




 「だから―――ね、君の愛が、想いが、大したことないなんて。君自身が悪いだなんて―――」




 「そんな寂しいこと言わないで」




 「ね、このかちゃん―――」




 「このかちゃんの心にはちゃんと、ちゃんと、素敵な想いが詰まっているから」







 そう言って、あなたは少し自信なさげに、私の手をそっと取っていた。




 手はあんまりに冷たかったのに、なんでか胸の奥のどろどろとした何かが溶かされていくようで。



 あなたの言う願いは、「きっと」ばかりで、私なんかにはちょっと眩しすぎたけど。



 それでも、黙ってうなずいてしまうような。



 そんな不思議な暖かさがそこにはあった。



 自分の気持ちなんて正直うまくは信じられないけれど。



 でも、それでもなんとなく。



 もしかしたら、万が一かもしれないけれど。



 私は、別に今の私でいいのかもなんて。



 愛も想いも持ち合わせもない私だけれど。



 この胸の中に、空っぽの植木鉢の中に、まだ小さな欠片みたいな種が残っているのかもなんて。



 そんなことをそっと想った夜だった。











 ※



 でも―――、そうやってちょっと楽になるのって大事なことじゃないっすか。


 まあ、別にそれで正直、人生は何も変わんないっす。


 ほんとは誰でもよかったのかもしんないっす、別にましろさんじゃなくても、他の誰かに聞いてもらうだけで楽になってた気もするっす。


 それでも、あの時、隣にいて聞いてくれて、言葉をくれたのはましろさんで。


 あの人の身体が冷たくなったときに、隣のいたのがたまたま私だったってそれだけです。


 人生を懸けれるような想いは、きっとないっす。


 寿命を半分渡せるような愛も、多分ないっす。


 たまたま、あの人が隣で困って苦しんでたから手を伸ばしてる、それだけっす。多分、ましろさんが私にしてくれたのも、それだけの理由だと想うっす。


 いつまでかなんて、わかりません。


 どれだけ苦しいことがあっても続けれる保証も、正直ないっす。


 ただ、今、手を伸ばしたいから、伸ばしてる。それだけなんっす。


 すいません、大した愛も想いもなくて。


 まあでもこれが、私があの人にくっついてる、ほんとの理由だと想うっす。




 そう言って、私は医者の顔を見るためにゆっくりと顔を上げた。




 どんな呆れと軽蔑の表情が待っているのかななんて、考えながら視線を向けたわけなんだけど。



 そこに待っていたのは、どこか愉快そうに、ひどく綻んでいる顔だけだった。



 「うん―――それでいいと想うよ、私は」



 それから医者は、ゆっくりと私に向かって、そう告げた。



 まるで、私のそんなちっぽけな言葉を待っていたとでもいうように。

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