二口目 このか―①
『だから、愛とか恋とかね、正直よくわかんないんっす』
『だって、目に見えない想いの重さを、どうやったら測れるって言うんですか』
『まあでも私、なにかと軽い人間なんっすよねえ、想いも、言葉も』
『だから―――』
『私の愛も恋も、多分、大したもんじゃないんっすよ』
『ね、そんな寂しいこと言わないで。
このかちゃん―――』
※
いつものアラームで目を開けて、待ち合わせ時間の二時間前なことを確認してから、軽く欠伸をつく。
どーしよっか、時間もあるしシャワーでも浴びてから行こうかな。
寝起きでぼさぼさになった髪を搔きながら、欠伸をしたまま適当に服を脱ぎ散らかして、そのままシャワールームに入ってく。
脱いだ服はそのまま洗濯機に突っ込んで、まだ若干ぼやけた頭で浴槽の蛇口に手をかけた。きゅっと音がした後に、水が少しでて程なくしてお湯に変わる。熱い。
ちょっと設定温度間違えたかな、と首を傾げながら、手をパネルに伸ばしかけて一瞬止まる。
そういえば、ましろさんにとっては、普通の人間の肌の熱さってこれくらいってことなんすかね。
なんとなく、いつか触った、驚くほど冷たいあの人の肌を思い浮かべた。
人肌が暖かいのは心地がいいけど、ここまで熱いと触ってなんていられない。
ちょっと風邪で熱がある人のおでことか触っても熱いと想うんだから、人間があったかいって想える範囲は想ったより狭いのかもしれない。だから、ましろさんはもしかしたら、普通に触れたら、ほんとは凄く熱いのかもしれない。
「触るときは……キスした後の方がいいのかな……」
なんて益体のないことを考えながら、少しマシになったシャワーのお湯で、身体をただ流してく。
ざーっと流れる音と、風呂場に充満していく湯気の感覚だけを感じながら、少しだけ目を閉じた。
「あと、三回」
そうゆっくりと、確かめるように言葉を繋ぐ。
それが、私があの人に触れられる回数なんだって。
自分にそっと言い聞かせるように。
流れるお湯が、私の中の薄暗い何かをシャワーに乗せて溶かしていく。
残り少ないデートだもん、せめて、笑って過ごせるように。
私の小さな憂いをそうやって流していった。
流れるお湯はまだ少し熱かった。
※
「えーと、それでましろさん、これはどういう感じですかね?」
「……なんだ、ましろ説明してこなかったのか?」
「……え、えと」
ましろさんに四回だけのキスの約束を取り付けてはや一週間。
それまでの間も、ご飯に誘ったり、いつも通りバーで出会ったりはしてたけど、結局デートに誘えるのは土日になるんすわ。ましろさん、寿命とか言ってる割に普通に働いてるからなあ。
で、そんなデートのお誘いがなんとましろさんからあって、うっきうっきで行ったら、なんでかでかい大学病院の病室に連れていかれた。
途中、何度かましろさんには声をかけたけど、ついたら説明するの一点張りで、ようやく通された病室で私はわけもわからず首をかしげていた。
中で待っていたのは、髪を後ろで一つにまとめた、中年で女の医者……女かな、正直あんま自信ない。肩幅とか、体つきとか要所を見ると女性っぽいんだけど、振る舞いとかどことなく、男性と言われても納得するような不思議な雰囲気の人だ。
その医者は軽く笑みを浮かべると、ゆっくりとましろさんにどことなく恐ろしそうな視線を向ける。
「ま、それはそれとして、よく来たなあ。二年も定期健診ほっぽって、そろそろ寿命も近いだろうに、投薬の一つもさせないで、さぞ健康体だったんだろうなあ? うん?」
私の隣のましろさんは、そんな医者の言葉に目を逸らしてあらぬ方向を向いている。そのせいでこっちとちらりと眼が合うんだけれど、どことなく泣きそうな顔しとる。うーん、なさけなかわいい。
庇うべきかなあなんて思いもしたけど、健診受けてないのはましろさんが悪いかということで、そっとうんうんと頷いておいた。私に助け舟を期待していたのか、ましろさんはちょっとショックな顔をする。でもしばらくすると、何かを堪える様にぐぎぎと唸りながら頭を下げた。
「そ、その節は、ほんとにすいませんでした……」
その様はまるで謝罪する武士が如く。相変わらずほんとに心痛そうに謝るなこの人は。
そんな様子に医者の方は、にたっと表情を緩ませると、ひらひらと手を振った。
「わかればよろしい……で、彼女がましろのパートナー?」
そう言った後、視線が私に向いてくる。私はおおっと思わず反応しながら、ましろさんに視線を向ける。
「パートナーとは?」
ましろさんは未だにちょっと謝り状態から抜けきらないまま、心苦しそうに答えてくれた。
「えっと…雪女に命を提供してくれる人のことをそう呼ぶの。まあ大体は夫婦とか恋人がパートナーってことになるんだけど」
ああ、なるほど。そういう枠として呼ばれたのか。
「まさか、あの強情なましろがこんなギリギリでパートナーを見つけてくるとはね。いやあ、驚いた驚いた」
医者はそう言って、ゆっくりと首を傾げながら観察するように私を見た。その視線に少しどきっとしながら、ちょっとだけ頬を掻く。うーん、なんかちょっとこそばゆい。
「先生、電話したとき言いましたけど、このかちゃんは一か月限定のパートナーです。回数も四回まで。だから、私の意思は……変わってません」
そう言って、ましろさんは毅然と、いや多分、当人は毅然と答えてるつもりだと思う。照れで少し頬が赤くなっているのが、真っ白なお肌ではよくわかってしまうだけで。
「ああ、わかってる。わかってはいるが、こう小さい頃から見てるからね、どうしても親心みたいなものが出てきてね」
そういって笑う医者の姿は確かに親戚の子どもか何かをみる大人らしい表情で。優しい人なのかなーなんて。
「あ、騙されちゃダメだからねこのかちゃん。この人、
…………思いかけたけど、どうにもそう単純でもないらしい。ちらっとましろさんの方を見るけれど、そこにあったのは冗談めいた顔ではなく、わりとマジ顔。
対面の医者も、気付けばどこか妖し気に表情を歪めていた。さっきまでの穏やかさは一体どこに……。
「コンプラとか人権意識とか色々と厳しくなってなあ……今じゃあ実験もある程度人道に乗っ取ったのしかできんのだ。私が産まれたのが半世紀前だったらなあ……千人くらいととりあえずキスさせて、体温変化の統計とかとるんだけれどなあ……してくんないかなあ」
なるほど、これはろくでもない人だ。
「納得しました」
「でしょ?」
ましろさんと二人でうんうんと頷いていたら、医者はどこか愉し気に笑みをこぼした。
「ま、冗談は置いておいて、ましろは早速検診だ」
「はい……このかちゃん、いこっか」
「いや、そっちの君は少し私と問診だ」
立ち上がりかけた時、え、と思わずましろさんと声がシンクロする。
私だけ残す意味とは。
ふっとそっちを見ると、女か男かもよくわからない医者はどこか不敵に笑っていた。
「改めて、ましろの主治医で、指定難病『恒常的低体温症』。通称、『雪女症候群』の研究をしてる。
親愛を籠めて、たかはな先生と呼んでくれてもいいよ?」
呆然とする私の隣で、ましろさんはあわあわと慌てたように顔を震わせていた。
うーん、やっぱりちょっと変な人だな?
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