雪女のあなたとキスした私

キノハタ

プロローグ このか―①

 『人間って、なんでやたらとキスしたがるんでしょうね』


 って、昔、誰かに聞いた覚えがある。


 唇と唇を合わせるだけ、冷静に考えればたったそれだけの行為なのに、どうして愛とか想いとかの象徴みたいに扱われているんだろうって。


 小さい頃に、映画のキスシーンを見て少し首を傾げた記憶があったから。


 そんな私の疑問に、いつかの誰かはこう言っていた。


 『唇が、人間が産まれたときに、初めて愛を知る場所だからだよ』って。


 赤ん坊は眼も見えない、耳も聞こえない。泣く以外何もできない。


 自分と他人との区別すらついてない、そんな彼ら彼女らが、初めて誰かから何かを受け取る場所だから。


 安心と充足を、誰かに始めて満たしてもらう場所。


 初めて誰かと触れる喜びを感じる場所。


 初めて愛を受け取る場所。


 それが、唇という場所なんだ。


 だから、人は愛を求めるときに無意識にそこを重ねるんだよ――って。


 そんな言葉をなんでか想い返しながら。


 唇の先で、唾液を少し溶け合わせながら。


 ゆっくりと、少し濡れたましろさんの唇に、私の唇をそっと重ねる。


 小さな水音と、滑るような柔らかさと、少し冷たいあなたの膨らみを感じながら。


 そっと目を閉じて考える。


 ここがあなたの初めて愛を知った場所。


 あなたが愛に触れた原初の部位。


 もしその話が本当なら、こうして私の唇が触れることで、あなたは少しでも愛を感じることができるんだろうか。


 想いとか、愛とかは、そういう眼に見えない物は、正直私、わかんないけど。


 こうしていたら、少しでもそういうものが伝わったりするんだろうか。


 あなたの唇を味わうように、舐めとりながら。


 そんなことを考えていた。


 

 


 










 ※






 自分が何歳で死ぬんだろなんて、正直、考えたこともなかった。


 この前、死んじゃったおじいちゃんは確か、86くらいで。


 残りのおじいちゃんとおばあちゃんも今それくらいの年だから、無意識にそれくらいだろなんて想っていたわけだけど。


 今、私が21歳だから、ざっとあと60年と少し。


 技術が進歩すればもうちょっと寿命が延びるかもしんないけど、60年後の技術なんてさっぱり想像もつかない。もちろん、事故とか病気でそれよりさっきにぽっくり逝っちゃうことも全然ある。


 何が言いたいかって言うと、未来って全然分かんないねってことと。


 『私ね、雪女なんだ』


 『雪女はね、平均寿命が27歳までなの。短命なのだ』


 『そして明日が私の27歳の誕生日、ふーっ!』


 『祝って、祝ってー! あはは、明日死ぬかもー!』


 なんていう、年上の女の人の気持ちはさっぱりわかんないってことなのだ。


 その人は私がアルバイトしてるバーの常連さんで、たまに常連特権でバーに置いてあるピアノを弾いている。結構上手いって言うか、かなり手慣れてる感じがある。いっつも酔いながら弾いてるから、ところどころ変になるけどね。


 それで、いっつも私に声をかけてくれて、いっつもすぐお酒で真っ赤になって、時々店の中で眠ってる。


 名前は……なんだっけ、波雪 ましろさんだ。


 OLか何かっぽいけど、昔は結構界隈では有名な人だったらしい。時々、音楽関係っぽい人に声をかけられてるのを見かけたりする。


 そんなましろさんは、今日も酔っぱらって世迷言を言っていた。店長や周りの常連さん曰く、いつものことだから気にしなくていいぞ―とのこと。私ももれなく与太話だと想っているので、話半分で聞きながら適度に注ぐ梅酒に水を混ぜている。


 それにしても、その日のましろさんは、えらく機嫌がよくて、ピアノに陣取るとお客さんからのリクエストを、何曲も演奏してた。みんな気分が良くなって、色々リクエストして、それでもましろさんは全部弾ききってる。すげえなあ。


 楽しそうに、でも時に感情をこめて、いつもの夜のご機嫌なコンサートだ。


 秋の夜長、私の田舎なら虫の声が響くころ。都会の隅っこのさびれたバーで、大人たちが上機嫌にピアノに合わせて歌を唄ってる。ま、店自体は古くて、あんまりぱっとはしないけど、意外と私はこういう空気が嫌いじゃない。


 私も折角だから、二・三曲、ちょっと有名アーティストのファーストアルバムのすみっこの曲をリクエストしたら、ましろさんはご機嫌に拾ってくれた。みんなで手拍子しながら、やいのやいのと歌ってる。


 結構しんみりした寂しい曲のはずなんだけど、ましろさんがアップテンポで、ご機嫌に弾いて歌うから、多分みんな元気な曲だと勘違いしてる。私も苦笑いしながら、一緒にやいのやいの言ってみて。


 でもまあ、そんな夜もあっていいんじゃないかな。


 なにせ今日は金曜日の、夜だもの。


 誰も彼もが、明日の憂いは一旦忘れて、ご機嫌に過ごしていい日なんだから。


 そうやって当てもなく意味もなく、笑ってた。


 私達も、ましろさんも。


 きっと来週もみんなこんなふうに笑ってる。


 根拠もなく、そう想えてしまうような夜。


 だけど、頭の隅っこに、少しだけしこりのような何かが残る。


 『私ね、雪女なんだ』


 『雪女はね、平均寿命が27歳までなの。短命なのだ』


 『そして明日が私の27歳の誕生日』


 もし、もしも。


 ましろさんの言っていたことが真実だとしたら。


 来週はましろさんは、ちゃんとこの店に来るのかな。


 どっかで倒れてたりとかしないよね、来週も同じようにピアノを弾いてくれるよね。


 もし、この人が寿命が本当に今日までなら。



 これが最後の演奏になるのかな―――。



 なんて、ありもしないことを想ってた。


 秋の夜長、どこかで虫たちが静かに鳴いて、街で大人たちがやいのやいのと騒いでるそんな夜。


 鳴り響く喧騒の中、私はそんなことをこっそりと考えていた。

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