第十三話「彼シャツチャレンジと既往不咎、魂と鼓動の在り処」


 山椒魚さんしょううお町四丁目 河童かっぱ三番地の細い路地に、〝気まずい〟の渋滞が起きていた。恋人同士がする〝それ〟を、今日にでも期待していると言った雨美うみちゃん。それについて、悠希ゆうきさんが〝石井ちゃんはヤ(とてもじゃないけれど書けないよ!)?〟と言い放ち、またそれに対して、雨美ちゃんが何の恥ずかしげもなく「私、初めてですケド」と返した。そこに事情を知らない絵深えみさんがまたまた「何が初めてなのですか?」と会話の玉突き事故を起こして、河童三番地で発生している〝気まずいの渋滞〟は最後尾から追突、玉突き、連鎖して大事故寸前に陥っていた。


「あっ、あれだ……絵深さんよ! 石井ちゃんは湖径こみちの彼女としてだなッッ! ほらっ、アレだ! ……彼女だっ!?」

「ほう! 湖径さんの彼女として! どうされたのですか?」

「えっとですねっ、だから、そのっ、雨美ちゃんの覚悟というか、何というか……魂ですッ!!?」


 はて? といった表情で小首を傾げる絵深さんが、ぽんと手を打った。


「そうです! 今晩、私はじっくりと聴きたい音楽があるのでヘッドホンをします。もしかしたら、そのまま寝てしまうかもしれませんので、何も聞こえないかもしれません」


 ここにいる皆が同じ事を思っていたに違いない。意外だが、絵深さんが一番の大人なのかもしれない……と。しかし、ごそごそと探る猫のシルエットがあしらわれたトートバッグから出てきたのは、現在ツアー中の世界的ハードロックバンド【ステディヨウム】のアルバムで「十年ぶりの新譜です! 今夜は激しい音に魂と身を委ねるのです!」と話がずれていく。これは、これで詳しい説明をしなくてもいいと、安堵のため息を悠希さんと二人で吐いた時、雨美ちゃんが「今晩、私も激しい(獣が宿った《ぴーーーー》)の湖径さんに、身を委ねるかもしれませんが、うるさい声やドタンバタンとする物音は、ヘッドホンをしているなら我慢しなくても大丈夫ですね」と宣言した。この時、悠希さんとぼくの心臓と魂が飛び出し、か細い路地のアスファルトに、てんてんてん、と転がったのは言うまでもない。


「湖径くんと石井さんも魂のダンスなんですね!」

「ええ! お互いに果てるまで踊り狂いたいものですねっ」

「ほう!なるほどっ! 人生には、そのような楽しい時間も必要ですっ」

「そうです! こうして人間は生命を繋いできましたから!」


 では、良い夜を〜、と、絵深さんが家の中に吸い込まれていく。雨美ちゃんの話を微妙に違う角度から受け取ったのが、幸いだったのかは分からない。


「湖径っ! そこの心臓取って!!」

「このノミみたいに小さいのですかッ!?」

「うっせえなあァッ!! お前の魂なんか石っころみてえじゃねえか!」

「っあ! 返して下さい! ぼくの魂、返して下さい!!」


 悠希さんと二人で協力し合い(?)、無事に心臓と魂を取り戻し、体内へと格納すると、どっと疲れが出た。


「つ、疲れたな……湖径…………」

「ええ………二人とも……猛者ですね」


 一人は得意げな笑顔、二人の疲労困憊者。


ばんっ!!!


 突然、開く絵深さんの家の窓の大きな音に、もう何も飛び出させないよう両手で口を押さえた。


「もしや! 石井さんの(性的行為を指す言葉につき自主規制)を湖径さんと(激しい、激しい、性的表現)という意味でしたかっ!!?」


 なっ、何という事でしょう……、お二方の秘密の園を、わたくしのような者が知る訳にはいきません、と、独り言のように呟いた後「わたくし、今晩はヘッドホンをして音楽を! そのっ!! ハードロックを大きな音量でっ! 聴きながら寝ますので! 何も聞こえませんよッッ!? お二人はご自由に秘密の園で駆け回って頂ければと思います! とても素敵な夜をお過ごし下さいッッ!!」と、本線に合流した答えを伝えてくれた。


とんとんとんとん、かちっ、かちっ、しゃあああっ。ざっざっざっ………


 雨美ちゃんが料理を作ってくれる音を聞きながら、玄関から階段までの廊下で五体投地の姿勢で、全身全霊の疲れを回復させようとしていた。大地よ……ぼくにちからこそぱわーをおくれ……。しかし、雨美ちゃんは凄い。悠希さんから一歩も引かず、想いを曲げずに張り合い、絵深さんとは平行線上で並走する車だったはずなのに、相手方から大衝突をしてくる説得力と言う名の牽引力を発揮。きみの想いは平行宇宙をも歪める力を持つのかもしれない………。


「湖径……さん? ご飯、出来ましたよ」

「……………………… うん」


 床に額を擦り付けている姿が情けない。幾ら免許をたくさん持っていようが使い道が無ければ、ただの紙。人から逃げるように解約したスマートフォンは、きみと付き合う事で簡単に意味を欲した。ぼくがぼくの人生を歩む為だと行ってきた行動は、ただの強がりだ。


「ご飯は、後にしますか?」

「だいじょうぶ。四十秒で支度する」


 小さな手で、細い指で頭が撫でられる。


「無理はしないで下さい」


 ことん。床の板が鳴る音が鳴る方へ顔を向けると、逆さまの雨美ちゃんの顔に見られていた。驚いて「どうして、逆さまなのっ?」と間抜けな言葉を吐き、彼女が笑顔で「湖径さんが廊下をいっぱいに使っているので、一緒にごろんとするにはこれしかないからですねっ」という至極真っ当な返事が、反対向きに寝転んだ彼女から返ってくる。逆さ同士、顔だけが近くにあるから、息が額に当たってくすぐったい。互いにくすくすと笑い出し、そのうち床をばたばたと蹴るまでの大笑いに変わる。


「ご飯は湖径さんが食べたくなった時にしましょう」

「ごめん……でも、雨美ちゃんは先に食べて」

「嫌です。ご飯は湖径さんと食べたい」

「………ありがとう」


 開けた窓から入ってくる、ゆるやかに温度が落ちていく夏の夜。二人で窓枠を背もたれに畳の上に座る。ぼくの左手を両手で一生懸命にこねこねとする雨美ちゃんが「湖径さんの手は大きいですねえ」と言った。右手を見て、そうなのか? と思うも、雨美ちゃんの手と比べると遥かに大きい。


「でも、この手から何も生み出した事はないよ」

「サイババみたいにですか?」

「さい? ……えっ?」

「あれは〝仕込み〟がされていたんですよ?」


 ぽかんとするぼくに、何故か勝ち誇った顔。それから「サイババより湖径さんはキラキラしたものを生み出していますっ」と微笑み、こねこねされていた左手が、ぎゅっと握られた。


「あなたの周りに集まる人たちです」

「あの人達は……泥から創った訳じゃないよ?」

「そういう意味じゃないですね、うん」


 自分の人生ですら、決めたり進んだりするのに、ぼくは力不足だ。でも、必ず、誰かが背中を押してくれたり、悩んでいると進むべき方向へ導いてくれたりしてくれる。


「あなたを支えてくれる人達は、あなたが集めた人たちです」

「……人、には恵まれていると思う。あ、そうだ」


 雨美ちゃん、これ……。


 バッグから取り出した〝ただの板〟じゃない〝人と繋がる為の板〟。空さんと詩羽さんが預けてくれた〝ぼくが変わる為の板〟。


「スマホ!」

「あのっ、これ、これ!」

「連絡先ですね! 今、ドロップ用意します!」


「い、いや! 違っ! 違わないけど! あの!」


 つッ、使い方が分からないぃいいいっっ!!


 ぼくは機械音痴。機種が変わる度に説明書と睨めっこをして覚えていたのに、この林檎が齧られたマークのスマートフォンには説明書が入っていなかった。


「こっ、湖径さん! 大丈夫ですから! 泣かないで下さい! すぐに覚えられますから!」

「ほんとう? ぼくは……っ、こんな感じで大丈夫なんだろうかっ」


 まさか、こんな事で情けなくも泣いてしまうような恋人を抱きしめて、落ち着かせるというびっくりイベントがあるとは、雨美ちゃんは思いもしなかっただろう。少なくとも、ぼくは思っていなかった。


 スマートフォンの初期設定とよく使う機能を教えてもらい、それから二人の連絡先を交換した。真っ白なアドレス帳に一つだけ表示されている〝石井雨美〟という名前。名前をなぞろうと画面に触れて、誤って掛けてしまった電話を切ろうとあたふたするぼくの目の前で、雨美ちゃんの震えるスマートフォンを、彼女が取る。


『「はい、もしもし」』


 ぼくを見て嬉しそうに〝繋がる板〟で話す彼女。ぼくも耳を当てて『「あ、あの雨美ちゃん。ご飯の前にお風呂……銭湯に行きませんか?」』と、河童三番地の暮らしに必要な河童浴場かっぱよくじょうまでの道へ誘った。


「手を繋いでくれるなら行きますね? じゃなきゃ、湖径さんとは行きません」

「繋ぎますッ繋ぎますッッ、もちろんですッ!」


 〝私を風よけにして歩けばいいんじゃないですか?〟と言ったぼくの彼女は、頼りがいがあって、甘え上手でもある可愛いらしいひと。


 山椒魚町四丁目の暗い路地を歩く、手と手が繋がれた先に酷く寒い世界を歩く為にマフラーを巻いたぼくの彼女が、やはり少し顔を上げて得意げに歩いている。ひとつだけ分かったのは、ぼくの未来に雨美ちゃんがいる未来があって欲しいと思うこと。もしかすると、これは一時の気の迷いだから、言葉にしてはいけないと言われるものかもしれないし、言葉にした方が力を持つと言われるものかもしれない。


 ……………もしかすると、ただの惚気というやつかもしれない。

 でも、今は強くそう思う。


「あっ。湖径さん? 後で湖径さんの服、貸して下さいね? 汗臭いのは恥ずかしい」

「えと、ぼ、ぼくので良ければ? どうぞっ」


 という事はあれだ。本当に〝お泊まりチャレンジ〟が発生する。その上に〝彼シャツチャレンジ〟という男子なら一度は夢見るイベントまで発生するらしい。あざとい。あざといな、雨美ちゃん。だが、それがいい!


「ここだよ」

「おーっ。これまた古風な! 本の中に出てくる銭湯みたい!」

「うん。古くから営業されているそうなんだ。あ、入浴料は五百円だよ、持ってる?」


 じゃあ、また後で。

 暖簾の紺色と茜色をくぐった。


「ぃやさしぃい〜……♪ おっ? 石井ちゃんじゃーん!」


 問一、注意の意味と反省とは?

     ふたつの意味や行うべき行動について述べよ。


 そういう問いを前に、悠希さんは答える事などできないだろう。相変わらず、男風呂まで筒抜けである声。一度は小さくなった声も、数日経てば、元通りに元気であ「石井ちゃんっ、スタイルいぃ〜ひゅ〜っ」イバシー等があるのだか「ひゃっ!」「何だよぉ、女同士じゃん! ちょっと触っても良いじゃんよお」であるから、悠希さんも気を付けた方が良「わあっ、やっぱりもちっもち! これが若さか!」の世の中、気を付けた方が良いと思「きゃ、ちょっ………!そこは…………んっ!」い犯罪も増えていると聞く。未然に対策をし「苦しゅうない! 苦しゅうない! お姉さんが天国へ連れて行ってあげるからネッ!」代、何があるか分から「いっ、いくら同性とはいえ! ゆ、悠希さん! そんなトコ! あっ」たく、大変な世の中にな「声、かっわういーねえー」って、おいーッッ!? ぼくが危惧するその犯罪が、隣で! しかも、雨美ちゃんに対して行なわれていないかッッ!!!?


 お、女風呂に飛び込んで助けに行かなくちゃもちろん決して他意は無い覗きたいとかでは無い雨美ちゃんの裸を見たいとかじゃないその後に叱られたいとかじゃない決して違う! 違うからね!!


……………………………………………………


この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。

第十三話、おわる。

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