第五話「真夏の極寒と洗濯機の友だち」

この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。

第五話「真夏の極寒と洗濯機の友だち」


 窓枠に両腕を掛け、太々しくも脚を投げ出しくつろぐ悠希ゆうきさんと、その姿を険しい表情で見る石井さん。そして、存在自体は寒いのだが、室温を下げる事の出来ない微風の声を持つそらさんが、西陽の入り始めた六畳一間の第三の選択総司令室に生きている。ぱたぱたと一つしかない団扇うちわを扇ぎ、胸許もぱたぱたとする赤い髪の人妻には、恥じらいというものが無なんかとてもありがとうございます。


「あっちぃなあ。湖径こみちぃ、エアコンつけてくれ〜」

「貧乏学生が近代文明の力を持つ事は違法なんですよ」


 んな訳あるかよ〜、と言い「そんな事ないよなあ?ソラち〜?」と同意を求めるのだが、空さんは悠希さんの横柄な行いを注意した……と思われる。ぼくには彼の声がホワイトノイズくらいにしか聞こえず、身振り手振りがそのような感じだったから、注意したのだと思う。


「ったく。ソラちは真面目だなあ。でも、後で叱らないでね。ソラち怖いから。お姉ちゃんにも内緒でお願いします」


 悠希さんには空さんからのお叱りの言葉が届いている。では、やはり、ぼくの聴覚に問題があるのだろうかと、隣の石井さんを見ると、目をうるうるさせて「ソラベオト先生の御言葉。神の声だ」と、微風の小説家ファンである事を微塵も隠すつもりはないようだった。しかし、山椒魚町のボロい長屋に住むくらいだ、このソラベオトなる小説家はあまり売れていないと思うのだが、どこかで名前を………、


【喜劇】この町は、きょうもあなたがいるから廻っているんだぜ。


 ●ロケーション:湖径の部屋

  ■湖径が石井だけに聞こえるよう話す(演技指示アリ)


  湖径:(耳打ちをするように)石井さん、この先生って有名なの?


  石井:(仰け反り口許を押さえて)え……っ、知らないんですかっ?『真夏の団地妻』シリーズは名作も名作ですよ!


──── 暗転・(湖径、回想)


  ナレーション:詩羽うたはさんッ!個人的にっ、買取りたい本が……ッ、ありますッッ!!


 ・崩れ落ちる湖径(ピンスポ)


  湖径:やってしまった……!もし……!もし、詩羽さんが帳簿を見たら!


  カ??:むしろ、君は健全さ。湖径君。

 ・二宮金次郎像に座る少年(影)


  湖径:だ、誰っ!?


  ?ヲ?:ぼくかい?ぼくの名前は……これは!?リリンじゃない……。


  湖径:だからっ、誰ですか!?何ですかっ!?急に出てきても分からないよ!


  ??ル:(微笑み)遺言さ。


  湖径:違う!違う!違う!別の世界線の人が出てきても、話が繋がらないっつってんの!


 ・SE:水に落ちる音。


 ■回想終り

【喜劇】この町は、きょうもあなたがいるから廻っているんだぜ。

                         台本より、一部抜粋。




 嘘だ。嘘だ、嘘だ、嘘だ。


 アルバイト先に運び込まれた大量の小難しい本に隠された官能小説『真夏の団地妻、昼下がりのポールダンス』の作者が目の前にいる。背表紙の題名が見えないよう逆向きにして、更に本を前後二列並べ、厳重に存在を隠蔽した上で所持しているお気に入り作品を生み出した 〈神〉が目の前にいる。一日の終わりに小説の一節を、二回ずつ噛み締めながら読み、ほくほくで睡眠につく。そんな本に出会ったのは、小学生の時に読んだ〝宇宙図鑑〟以来だった。

 サインが、欲しい。表紙と扉、一頁ずつサインが欲しい。でも、悠希さんと石井さんがいる手前、官能小説なんかを愛読していると暴露してしまうのは、ぼくの尊厳に関わ…………あれ?


 い、石井さん…………、


「しっ、失礼とは承知の上ですが!ソラベ先生!この本にサインを頂けないでしょうか!?」

「(極小音量のラジオのノイズ)!」

「ありがとうございますっ!」


「あああっあのっ、こ、こここっこれっ!だっ大好きでっ、いつも持ち歩いていているいるっ、くっ、くらいにっ大好きでっ!」


 え?石井さん?未成年者が常に官能小説を携帯していると、暴露した……?


 無事、空さんにサインをもらい、ほくほく顔の石井さん。それから、二人は楽しく各シリーズや他の官能小説を語り出し始め、そして、悠希さんまで交わり楽しそうに交流を始めた。しまった、完全に会話ドラッグレースのスタートに失敗した。何とか挽回しようとアクセルを踏み抜き、追加でニトロを噴射して「せ、洗濯機っ、でも!回してきますかね〜ぇ?せっかくの、楽しい、お話?ですが?」とマシンを加速させる。しかし、遥か先を走るジャジャ馬マシンの悠希号が「おー、私らに構わず、行ってこい、行ってこい」と、ぼくと他の三人は同じレースを走っていないのだと教えてくれた。


 この長屋は風呂場や水回りが古い関係上、家の表にしか洗濯機を置く場所がない。二階の窓からは楽しそうな声が響いていて、ぼくには、ごうん、ごうん、ごうん、と、服を洗ってくれる機械しか理解者がいないような気がする。洗濯機の隣、溝の縁に脚を掛けて体育座りをするぼくの様子を誰も〝部屋に戻ってこないなあ〟とか〝拗ねちゃったのかなあ〟とか、窓からでもいいから、様子を伺ってくる気配すら無い。


 ぼくの心の拠り所は洗濯機、お前だけだよ。

 ごうん、ごうん、ごうん、じゃばーっ


「なんということでしょう!洗濯機に寄り添っておられる方がいらっしゃいます!もしや種族を超えた愛ではないでしょうか………っ?」


 不思議な感想の声に顔を傾けると、視線の先に立つ山椒魚町四丁目河童三番地にいるはずのない美女が目をぱちくりとさせていた。


「どちら様ですか?」

「どちら様……………とは?どういう事でしょう?」


 え?〝どちら様〟と聞かれる存在の概念を聞かれている?


 不思議そうな表情で小首を傾げる美女に、悠希さんのような〝からかってやろう〟なんて魂胆は見えない。いち哲学科の学生として、この疑問に答えなければ、彼女の人生を彷徨わせてしまう可能性もある。〝どちら様ですか〟とは謙譲語であり〝お名前を伺っても良いですか〟という意味を持つ。つまり、相手の氏名や所属等を知り、こちら側の役に立てる訳だが、この言葉が持つ概念としては、


「いや、どちら様ですか?」


 どうこねくり回し、歪曲したとて、答えはこれしかない。しばらく美女が「んー?」と考え、ぽんっ、と手を打って、ピッと人差し指を立てると「なるほど!」と何か合点がいったらしい。


「つまり、わたくしの事ですねっ。わたくし、そちらの部屋に住む者です」


 手を差し出したのは、ぼくの家のモーニングコール機能ではない反対側のお隣さんだった。この長屋に来て六日目になるが、こんな美女がいただろうか。山椒魚町四丁目河童三番地の情報量に混雑し、まるで人類を守る為に建造された決戦人型兵器に乗れと言われた中学二年生(男子)のように、頭を抱えて考えても。記憶に無い。すると頭の上から聞こえる〝帰れ〟の冷たい言葉や〝無理に乗らなくてもいい〟と言ったくせに、すぐに〝行きなさい!あなたの為に!〟と手の平を返すお姉さんではなく、悠希さんの「おー、絵深えみさんか〜。おかえりー」という呑気な声が降ってきた。


「まあ!悠希さん!ただ今、もどりました!」


 完全に西陽が入り始め、灼熱の六畳一間に五人の人間が生きていた。窓枠に腰掛け脚を組んだ悠希さんが「こちらの美女で淑女が絵深さん。これ、湖径」と雑な紹介をする。軽く会釈をして、悠希さんの適当さをにらもうとした時、絵深さんが両手を突いて深々とする、お辞儀。


「わたくしが家を空けている間に、お引っ越しをされてきたのですね。知らないはずでした」

「い、いや。あ、えっと。はい………どうも」


 ぼくもつられて深々とお辞儀をする。


「絵深さん、今回はどこ行ってきたのー?」

「シェルブール=アン=コタンタンです」

「ど、どこですか?そのシェルブー」

「ノルマンディー地域だよ!湖径はそんな事も知らないのかよ、本当に学生かっ?」


 ノルマンディー、フランスだ。でも、第二次世界大戦の上陸作戦くらいでしか地名を知らない。詳しくないのだから深入りすると、また悠希さんにイジられるはず。ここは、そっと相槌だけを………、


「コタンタン半島の北ですよね」

「はいっ、イギリス海峡が望めます」


 待て、石井さん。そんなに淡々と〝駅から左に出て、四つ目の信号を右に曲がったパン屋ですよね〟みたいなノリで会話しているが、その何とかタンタンとは、淡々と会話できるような、常識の範疇にある地名なのか?


「何ね(反対側の長屋に吊るした風鈴の音)ールに住ん(どこかのおじいちゃんの咳)」

「なんと!空先生はモーテルテュ=シュル=メールに住んでいらした事があるっ。さすがです!」


 やはり、ぼくが知らないだけで、常識的なフランスの地名なのか?

 これは巻き込まれないうちに脱出せねば。


「す、すみません……ぼく、買い物に行ってきます」

「おーっ、行ってこい、行ってこい!」

「わっ、私も着いていきますっ」

「いや、石井さん。なかなかこんな機会はないから、ゆっくりと話していて」


 数十分前とは違い、今は凄く一人になりたい。石井さんの正拳突きからくる痛みの波は穏やかになってきているのに、別の痛みで胃の辺りが、きゅっとなっている。


「湖径〜ぃ、ついでにメローイエロー買ってきて〜」


 家主のぼくが頭の上からパシリとして注文を承る。悠希さんが覗く窓を見上げると、長屋と長屋に挟まれた狭い空に、もくもくと大きな雲が育っていた。古いたばこ屋の方へ路地を折れて、ざりざりと引きずるように、ぼろぼろで汚れたスニーカーを前に進ませていく。

 ぼくの周りには売れている小説家、仕事でフランスに行く隣人、必死に自分の表現を描き続ける人と、人としてどうなんだろうと思う赤髪の女性は結婚をしていて、そのお姉さんは町の人気者で真っ当な人、ぼくの後をワンコのように着いて回る後輩は学内で人気のある女の子。そして、女子高生の指の速度でスマートフォンに入力をする魚人のおっちゃん。みんな、それぞれに誰かの役に立っているみたいだから、あの人達のおかげで世界が廻っているのだろう。その恩恵だけ味わう、無価値なぼく。また足を止めて、空を見上げると古い街灯に見下されていた。


「お前も山椒魚町の暗い路地で、みんなの役に立っているんだよな」


 灯りのない路地で仲間も少ないこの町で、こいつはずっと佇み役に立っている。


「〝我思う故に、我あり〟の先へ歩みたいんだ、ぼくは」


 豆腐屋さんのラッパの音が響き、夕げの音と香りが漂う山椒魚町の路地を、ゆっくりと石井さんを駅まで送った。彼女は好きな作家に出会えて舞い上がっていたと悔い、何度も謝ってくれる。しかし、目の前に憧れの人が現れたのだから、周りが見えなくなるのは、仕方がない事だよ、となだめても、そこは石井さんだった。


「先輩らしく、ご飯とか行けなくてごめん」

「いえいえいえっ、元はと言えば、私が悪いので!」


 物凄くバツが悪そうに背中まで丸めて歩く石井さんに話すことなど、後は未成年者が官能小説を持ち歩いている理由か、出会った頃から聞けずにいた事しかなく、何故だか、今日に限って取り扱ってこなかった後者を選択した。


「石井さんってさ、いつも首にマフラーを巻いているけれど……」

「ああ。特に意味なんかは無くて。でも、何というか………」


 この世界って、いつも寂しくて、ずっと寒いじゃないですか。


 特別な意味は無いと言ったのに、少し困った眉で笑う君に思う。その通りぼく達は、この世界に住む人達と出会い、知れば知るほど、寂しくなり、酷く寒いのだと知っていく。


 簡単に、たかが他人と言う事勿れと言えるほど、楽な性格ではない。無視をしたとしても、無視をした数だけ、より温度が下がっていく事もよく知っている。


「今日は、すみませんでした。〝だーれだ?〟だなんて」

「まあ……うん。別にいいんじゃないかな」








「……えっと、それでですねっ?先輩、私」

「ほら、電車来るよ。行った、行った」


 いつも石井さんが言おうとする言葉の先を聞かないようにしている。無論、彼女が何を伝えようとしているのか想像の域を出ないけれど、ぼくなんかが聞いても取り扱える言葉ではない。そんな気がするからだ。


 誰かが待つであろう家の帰路につく人たちの流れに止まり、ひとり駅舎の前で空を見上げ藍深くなっていく、そこに、浮かぶ白い月の、夜。


……………………………………………………


この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。

第五話、おわる

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