七
ほとんど、疲労のおかげで眠れたといっていい。
いつしかわたしに背を向けて眠っていた
充電器に繋いであるスマホを手に取ろうとしたところで、部屋に
二度寝をする気にはなれず、エアコンのタイマーが切れたせいで暑くなった部屋のなかで、
周は、目覚まし時計をかけても、起きなければならない時間になると、自然と目が覚めるのだという。
わたしたち人間は、精密な時間を世界のなかに見出し、それを頼りに生活をしている。時計に頼らないというのは、本来的に自然なものだと思うけれど、もうそうした自然さは不自然さへと
わたしたちは、各々、好きな時間に出勤したり登校したりしないし、電車もバスも時刻表通りに動くし、労働の時間も、一応は法律で規定されている。
だからこそ、体内にオリジナルの「時間」を持っているひとに出会うと、
普遍的な時間の概念に
わたしはむかし、ひきこもりというラベルを与えられて、厄介な存在のように
来ても来なくてもどっちでもいいと思っているに違いないのに、「みんな待っているよ」とプリントには書かれていた。
「おはよう」
「うん。おはよう」
「だいぶ前に起きてた?」
「ううん。ちょっと前に起きた」
「ぼく、いびきとかかいてなかった?」
「ぜんぜん。すやすや寝てたよ」
わたしはなんだか、母になったような気がした。もしかしたら産まれ落ちるかもしれない、周との間にできた子どもの母ではなく、周の母になった気分だ。或いは、周の母に生まれ変わった気持ちがする。
周に母性めいたものを感じてしまうということは、わたしが周に対して抱いているものは「愛」に違いないということではなかろうか。実現するはずがないことを、実現したくなる。これほどまでに、真実らしい「愛」はない。
周は寝起きでも爽やかな香りをしている。獣のような臭いがしない。寝ているあいだに洗濯をされたのではないかとさえ思える。
不思議なひとだ。夜より朝に抱きつかれることを望まれているかのようなその身体は、どのようにして
もしいま周を抱きしめてみたら、それに対して、ひとつの答えが与えられるのだろうか。しかしそれは、毒味のように、必ずしも良い結果をもたらさない挑戦になるのかもしれない。
* * *
帰るとすぐに仏壇に手を合わせていた周は、今日も、ライターで火を
仏間にゆったりと漂いはじめた煙は、わたしに蚊取り線香の煙を思い起こさせた。同じような匂いに感じられたということではなく、どちらの煙も、ある特定の生物を寄せつけない効力を発揮するという一点において、共通しているように思えたのだ。
この場合、蚊に当てはまるのはわたしだ。わたしはこの家の系譜からまったくの外側にいる存在で、きっと周以外からは歓迎されていない。
この煙に愛や落ちつきを感じることが、この家に受け入れられたかどうかの基準になるのだと思う。
わたしは、よくない方向へと進みそうな思考を、
もうすぐお盆だ。お盆のときに、他のひとの家にお邪魔しているなんてどうかしている。
だけど周は、それを受け入れてくれたし、なんなら自分から提案してくれた。このことはなにか、わたしたちの関係に決定的な役割を演じる伏線のように思われたが、まだなんの効力も
わたしはこんな
だって、死者がいまどこにいるのかということは、とても大事なことのように思うから。わたしたちは、死者の存在を意識するからこそ、死を認識できるし、生きることの尊さや厳しさを知ることができるのだから。
いまは宇宙葬というものがあり、なんでも遺骨の一部を宇宙空間に漂わせるらしい。その場合に先祖は、お盆になればロケットかなにかに乗って帰ってくるのだろうか。
それとも、残り半分くらいの地球に埋められた骨にだけ、先祖の魂は宿っているのだろうか。だとしたら、宇宙にある遺骨は、ただの無機質な骨なのだろうか。
そんなことを考えられるくらいには、のんびりとした時間の流れる朝なのだということに、いまさらながらに気付いた。
これからどんどん暑くなってくるのだろうけれど、わたしたちは冷房の
夏らしい暑さに情緒的なものを感じる余裕は、きっとない。
* * *
わたしがいるからといって、
勝手にごはんをよそってくれたが、この
そして彼女の顔には、昨日の夜に、わたしと周との間にあったことを
もちろん、わたしたちはセックスはおろか、それへと至りかねないような行為すらしていない。
一瞬だけ、風鈴の音が前景に踊り出て、蝉の音が後景へと退いた。網戸から朝の涼やかな風が吹き抜けてくる。少し肌寒く感じてしまう。
もしここで「寒いね」と言ったら、周はわたしの身体のどこかをさわってくれるだろうか。それとも「寒いね」とオウム返しをするだけだろうか。
さわってほしいという気持ちはもちろんある。でもそれ以上に、周は自分の母がいる前で、わたしに対して、どのような反応を見せるのかということを試してみたい。
「寒いね」
「うん」
周は、いつもよりすげない感じの返答をしてきた。まだ、寝起きの気分だからだろうか。だから、いつも通りであることが恥ずかしいのだろうか。そうであってほしい。掛時計は八時を示そうとしているけれど。
周のその冷淡なふるまいに、周の母は安心のようなものを得たのか、わたしに
もし彼女が、心中になにかしらの満足を感じているのだとしたら、わたしは屈辱と
しかし、この夏の朝の肌寒さのおかげか、妄想上の不快な気分は
* * *
後片付けを手伝うと言っているのに、彼女は「お客さんにさせるわけにはいかない」という方便を使い、わたしを台所から排除した。「お客さん」という言葉を受けて、またもや、不快な気分が地平線の向こうからやってきた。
はっきりとこの場から去れと言えばいいのに。お盆という、家系に固執しなければならない時期に、まったく家系に
だけど、本音を言えば
建前と本音をうまく使い分ける
周の母は、わたしに建前を使っている。だけどもし、わたしに強い要求をしたいのならば、いくらかの本音を
裏返せば、周の母が本音を隠し通しているからこそ、わたしたちは、ひとつ屋根の下で共存をすることができているわけだ。
それでも、わたしと周の母は、一緒の容器に入れられた水と油のようなものなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。