1
神龍別邸の朝は早い──。
端下はだいたい四時には起きて、身の回りを整えて四時半からは屋敷内清掃。
持ち場を終わったものから入浴、朝食づくり。
いわゆる部屋住みと言われる彼らはそれが終わってから各々割り当てられた仕事へと散ってゆく。
本家や別宅にいる端下達はもう少し遅いらしいが。
うちの【下】は勤勉だ。でもなあ、別邸が初始動した四年前には五~六時の起床だった筈なんだが、早くなってねえ?
…特に、この半年前くらいから段々…。
賑やかだねぇ、と。どうしても伝わる朝の喧騒に束の間気をとられる俺に。
「【上】が【上】ですからね?【
そう言ったのは
俺の自室でお互いにスマホを手に、ちょっと込み入った指示だしのためにああでもない、こうでもないと打ち合わせしていた俺と淳騎だったが。
「相も変わらずのエスパー
「おや、朝からお褒めの言葉ですか(笑)?」
「…褒めてねーし(拗)」
視線をふいと反らし、スマホに指を走らせるのを再開する俺を見て、淳騎の口元に浮かぶ、微笑。
「褒めては下さらないんですか?私達は端下より早起きして面倒くさい仕込みのすり合わせをしているのに?」
「それはお互い好きでワーカホリックの似た者同士だからだろ?」
スマホから眼を上げて目の前の男を見やれば。
くすくすと笑っている。
「なんだよ」
「いいえ、なんでも(笑)」
人の悪い……。
でも、俺も淳騎のことはいえた義理じゃない。
「明日の予定は」
何気なく
「…義理事が」
淳騎の笑顔が、すうっと別のものに変わる。
「どこ」
「
「ああ…親父(組長)の知り合いの」
樋山組は和合している組の一つで。樋山の
決して小さくはない組だ。
「樋山の先代のご法要が」
え?
「…ちょっと待て」
「はい」
「樋山の先代の法要…それ、親父だけが行ってたよな?…今まで」
「ええ」
俺が十八の時に亡くなった樋山の会長。
確か今年は七回忌(故人が亡くなって満六年の法要)。
「三回忌のときはまだ俺は若頭に就いたばかりで」
「ええ」
「俺にはまだ
「……」
「今回は出ろって?」
「はい」
「…あの、糞親父…っ…」
「口が悪いですよ、後継。はしたない」
「淳騎…っ、てめえ親父に口止めされてたな?」
「…個人情報です(笑)」
「…っ!」
俺はガシガシと頭を
「一日前じゃ断れねぇ…。…今の俺じゃあ。…あの、狸親父!」
この忙しいのに。
自分の旧知の組長の身内の法要?
しかも七回忌?
絶対企んでやがったに決まってる。
逃げが打てないように。
「七回忌は特別です。堅気の世界では七回忌からは身内、親族のみ、例外として故人と本当に親しかった一部の知己しか招かれない。私どもの世界でも一応決まりはあります」
「
義理状。
それは義理事を行う組が招く組へ回す【お知らせ】の事だが。
先代会長の七回忌法要なんて大事な知らせが俺に上がらないなんて、どっかとどっかが手を組んでなきゃ出来るもんか。
「
「…で、お前がそれに乗った、ねえ?」
食えない親父に食えない淳騎が…。
「何かあるな?」
「……」
「別にいいぜ?慶弔で出す
口調がイヤミになるのくらい許してくれよ?
相手がこれくらい響かない淳騎だから言ってるんだから。
「…ご法要出席者のリストを今お出しします」
そう言って、淳騎は手にもっていたスマホの画面を指先で操作し、俺に差し出す。
「ご覧下さい」
「ん…」
スマホ画面に眼をやる。
「…へえ」
「樋山へ初お目見えして、顔を売るにも。見知った人間に再会するにも、
「…腹黒」
「おや、お褒めの言葉ですか」
「…今度はな」
わざと、意図した笑みを浮かべてやれば。
「【腹黒】は私だけの専売特許ではないと思いますが?後継?」
「褒めてる?」
「ええ(笑)」
「素直に受けてやる」
「ありがとうございます」
狸親父に果てしなく腹は立つがな。
淳騎には腹は立たない。
「こっちは俺と親父と…」
「本家からは松下の叔父貴、…
「…そうか…おい、ちょっと待て?」
「はい?」
「十川の…叔父貴?」
「ええ」
「…親父の
「…はい」
「…親父が法要に出すって?十川さんを?」
五厘下りの兄弟。それは。五分と四分六の間。
理由あって片方が遠慮し五厘下りの兄弟となる場合があるようだが、五分との上下関係はほとんど無く、ごくわずかな差しか無い。
「もう…良いだろうと十川さんを説得なさいました」
故あって、親父の兄弟盃を受けながら、今は余程の事が無ければ組に顔を出すこともない大幹部。
理由については、後で知れる。
「お前は…」
聞こうとしたけれど。
「私は後継の望まれるまま、貴方の行かれるところにお
「…淳騎」
「誰が。何処に。誰と。そんな事、私にはもう何の関係もない…等と言ってしまえば、貴方はきっと私を叱るでしょうね」
不意に淳騎の眼の色が不穏になる。
空気が変わる。
「…叱るなぁ、多分」
「龍哉さん」
「お前と俺が何処ぞの気持ちの悪い奴らと同じになるかもなんて妄想はもう無いが…何処まで馬鹿になれば気が済むんだと、そんなところまで似ちまって…と、言いたい気はする」
「…龍哉」
俺はベッドに座り、淳騎は一人掛けのソファーに腰を下ろしたまま。
二人はどちらからともなく含み笑う。
「ちなみに私は?」
「…言うまでもねえ。【俺馬鹿】だろうよ」
「…違いない(笑)」
淳騎は一人掛けのソファーから音もなく立ち上がる。
そして重なる、──唇。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます