第20話神奈川県、東扇島の海底トンネルに猫が迷い込む間、渡瀬篤宗は服装の乱れに気づかない。



アレックスは、事態を飲み込めずただ、唖然としていた。


自分の後ろにいた四人の男が自分に銃口を向けた刹那、

どこから現れたのか人の影が、まるでキアヌ・リーブスのような動きで拳銃を4発、発砲し、

この暗闇の中、4人分の銃に正確に命中させて武力を奪った後、チャック・ノリスのような動きで

アレックスの真後ろの男二人を蹴りと回し蹴りで撃退し、セリーヌ・ディオンのような透る声で「助けて!!!!」とさけんだのだ。

この手際の良さ、まるでニンジャだ。


四人のアメリカ人は散り散りに去っていった。


「アレックスさん! こちらに!!」


「OH……YA」


影の正体は葛原という警官だった。

二人は、十間川の橋の下まで走る。


「大丈夫ですか? アレックスさん。」


「…… ……なして……」


「庄司さんに『友達を頼む』と言われてたんです。それで、ごめんなさい少し後をつけさせてもらいました」


あの日本人は……。そんなことをしてる場合じゃないだろう。


「……おもさげながんした。…… ……射撃の心得もお持ちだったのですな」


「え?……ええ。警官なので」


「暗闇で四連射して、怪我人ださんなんて、オリンピック選手でも不可能じゃと思うとった……」


「あ、私、目いいんですよ。左右とも3、0で夜目が利きますから」


……神は実に多彩な才を二人の日本人に与えた。オオタニとクズハラに……。


「それと、もう一つ庄司さんから言付けを預かってまして…… ……何ドスだっけ……? ドードス? とにかくサイバー攻撃?をやめて欲しいそうです」


「DDOS攻撃? なんの話じゃ?」


「オムライスをクッキング……じゃなくて……なんだっけ、うちのスーパーコンピューターが、アメリカからハッキングを受けてるって……

 ご存じないですか?」


「omnisにハッキング……? そげなことするはずがなかよ!? この有事に貴重なNAIL保持者をそげなくだらん事に使うわけがなか!!

 第一コッチはそんな暇しちょる場合じゃないんじゃ!! NAILsは今頃国内の対応で手一杯じゃ!!」


「え……じゃあその……ハッキングは……してないわけですか?」


「しちょらん!! する訳ない!! そげな、余裕は、ない!!」


 



 同刻、ピィ事案対策本部、屋上。

庄司の所持しているSiriusが、動画の音声解析を95%完了させた瞬間である。

突然システムがダウンした。


「? おい、どうしたSirius?」


『…… ……』


Siriusが反応しない。

……充電切れ? そんなわけがない。まさか……omnisだけでなくSiriusもハッキングを……

庄司はシステムエラーの原因を探った。

履歴を見るに、NAIL所持者からSiriusにオーダー……5000万件。

……いや、そんなはずがない。Siriusは……NAIL所持者の中でも一握りの人間しか資格が取れないのだ。

SiriusにかぎってDDOS攻撃はありえない。

だとするなら、原因はなんだ……?




「…… ……あ!!!」




そうか、『音声を解析した事事態』が原因なんだ!

OmnisもSiriusも、音声を解析して事案の被害を受けたつまり、『英語を失った』のだ。

エラーコードは、人工知能が自身に何が起きたのか認識できず、自らの容量がパンクしたと判断したのだ。



……バカだ……俺はバカだ……そんな事もわからなかったのか……。

庄司は屋上にへたり込んだ。


予期していない事、それも望ましくない事が雪崩れ式に起きることを、ドミノ現象と呼んだりする事がある。

庄司がこの直後見た光景はまさにそれだった。


新宿中の街頭ビジョンの、少なくとも屋上から見える範囲が、前触れもなく「ブブッ・・・」と、一瞬砂嵐を挟んで突然画面が切り替わったのだ。

それは、日本の外務次官が台湾政府訪問に向かう所を、どこかのテレビ局が撮影した映像だと思われる。


「……あ……ああ……ああああ……」


思わず庄司は嗚咽を漏らしていた。外務次官を撮影しているその映像が明らかに異質だったからだ。


具体的に、映像の中で外務次官は、明らかに服装を『後まえ』に着用していた。シャツやスーツはもちろん、おそらくズボンも後まえで、ネクタイも背中に垂らしていた。

何より、メガネを後頭部にかけていた。

しかし顔は、見慣れた仏頂面だ。

冗談でこのような格好をしているのではないと思われる。


映像の中で、カメラマンが半笑いで外務次官に話しかけている。


「外務次官、後まえ」


「何」


「服が、後前です」


すると外務次官は訝しげな顔で自分の格好を確認した。


「後まえ? 何を言ってるのかわからん」


カメラが外務次官の背中を捉える。首から背中に垂れたネクタイと、後頭部のメガネが、こちらを向いている。

地上からは、突然始まった街頭ビジョンのゲリラライブに集まった人たちの笑い声やざわめき、「何あれ?」という大きな声が響いている。


……『何あれ?』って……? 教えてやるよ。新たなピィ事案だよ。


庄司は心の白旗を掲げた。心の匙も全て放り投げた。


終わった……降参だ。降参。

とても、人間の手に負える事案ではない。実際、我々が介入してできたことはなんだ。仲間を3人失い、スーパーコンピューターを2機使用不能にした。

あまつさえ、海外からの助っ人の協力を邪魔までした。むしろ事態を悪化させている。


庄司は両手を挙げた。

雨が降り始めていた。


無理だ。NAILが集まろうが、CIAが関与しようが、葛原が毘沙門天の生まれ変わりだろうが、対処できない事案だったのだ。

考えてもみろ。人類が撲滅に成功できたのは、天然痘だけだったじゃないか。

天災に打ち勝てたことなど、ないじゃないか……。

事態を制御できないなら、共存するしかない。コロナもインフルエンザも癌もそうだ。そして、ピィ事案と共存するということは、この先何が起きても不思議ではない。

ある日、朝が来なくなるかもしれない。

ある日、天地が逆さまになるかもしれない。

ある日、食物連鎖のカーストが逆さまになるかもしれない……。


雨の中で、庄司は両手を挙げたまま笑い出した。


「こんなところで、『ショーシャンクの空に』ごっこか。庄司くん」


庄司が声の元に目を向けると、そこには元院が立っていた。


「元院さん……。」


「すまないが今すぐ課長室に来てくれ。見せたいものがある」


「……今度はなんですか?宇宙人の襲撃ですか……?」


「自暴自棄ナルチシズムに浸っているところすまないがね。我々の目下の仕事、『埼玉県英語紛失事件』に関して、私は小峰君と榊君、湊君の発症した時刻から、ある重大な事実を発見した。

 君と私がまだ無事なうちに、確認してほしい」


「……??? ……はい」


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