episode9~別人~
episode9~別人~
花は買うべきだろうか…
電車に揺られながら一人で考えていた。
それとも…
『俺もともと食が細いんで減量はそんな苦じゃないです。』
『あぁ…そんな感じっぽい。』
『筋肉つけるためにむしろ食え!!って言われる方が大変っすよ。』
『なんか好きな食べ物ってないの?』
『んー…納豆とか?』
一人なのに思い出し笑いをしてしまった。
花の代わりに納豆でも差し入れてやろうか。
扉に映る自分がクスクスと楽しそうに笑っている。
周りから見てさぞかし怪しいだろう。
いよいよキョウの試合本番だ。
結局、駅に降りて近くの花屋さんで小さなバスケットに可愛いらしいたくさんの花が入っているのを買った。
不思議と緊張はなかった。
試合をする選手本人じゃないから当たり前か…
でも普通、身内だったら一緒になって心配するものかもしれないけど、ただ楽しみにしていただけだった。
だから私は薄情者かもしれない。
着いて、もらったチケットの席を確認して座った。
知らない人がざわついている中、一人黙って試合が始まるのを待った。
格闘技ってほんとによくわからない。
せめてボクシングのルールぐらい把握してくるべきだったと今更ながらに思った。
知らない人達の会話の中にたまにキョウの名前が出た。
それが不思議で、やっと試合に勝てるだろうかとドキドキ不安になってきた。
この会場にはキョウを応援している人や、もしくは負けてほしいと思っている人もいるわけで…
緊張してきた。
会場が暗転した。
周りは興奮のざわめきを始める。
それぞれの選手が入場してきた。
そしてそのうちの一人が
キョウだ。
リングに立つ彼は別人だった。
相手を見つめるその瞳はプロの格闘家だし、“男”だと思った。
今日はじめて見る彼はどこか遠かった。
そして試合を始めるためにガウンを脱ぐ彼を見て、不謹慎にも『キョウの裸を見るのって初めてだ』と思ってしまった。
挨拶を交わす両者。
これからボクシングの試合が始まるなんて実感がないまま、試合のゴングが鳴り響いた。
放心状態だった。
試合が全て終わり、さっきまでの一体感とは別物となって周りは席を立ってざわついている。
息をついた。
あのリングで戦っていたのは…誰?
キョウに今すぐ会いたくなった。
「あれ?女の子が一人で見に来るって珍しいね。誰かのファン?」
突然声を掛けられて、びっくりした。
体がガッチリしている厳ついイメージの男の人だった。
「それに可愛いね?高校生?ボクシング好きなの?」
男の人は空いた隣の席に座ってきた。
ナンパ?
いや…キョウでもあるまいし、私にはありえない。
なんかの宗教の勧誘かもしれない。
警戒して何も言えずその人を観察していた。
着ているジャンパーにキョウの所属ジムの名前がある。
…ここの関係者かな?
「あれ?お兄さんのこと怖い?参ったなぁ…別に取って喰ったりしないよ!!まぁ、してほしいんだったらいつでも相手してあげるけど♪」
「…」
「はは!!冗談だって!ホント大丈夫だから。さっきの試合見てたでしょ?あれの今日出てた清水恭一の先輩なんだ、俺!!」
「…え?」
「あ!!もしかして恭一のファン?なんだよ!あいつ出たばっかなのにこんな可愛いファンできやがって…生意気な…。」
「あ…あの。」
「俺、神原弘貴!!ごめんなぁ!今日の試合つまんなかったでしょ?」
「…え?そう…ですか?」
正直言って、試合の見所みたいなものがわらないまま見ていた。
「判定の引き分け。盛り上がりも下がりもしなくて…あいつ今頃落ちてんな…。」
「…なんでですか?」
「まっ、あいつも色々してたんだよ!“男の賭”ってやつを!」
「…」
「まぁ、夜も遅くなってきたし早めに帰りなよ?君、名前は?」
「あ…あの!!!」
「…ん?」
「今からキョウに会うことって出来ますか?」
「……あれ?もしかして、知り合い?」
関係がわからないから“知り合い?”と聞かれて戸惑うところもあったが、何よりもキョウに会いたかったから、ただ頷いた。
神原さんとやらの人を信じていいのかわからないけど、言われるままに着いてきた。
「ごめんね?此処で待ってて?」
会場の奥へと進み、待合室というか楽屋というかそんな感じのところまで来た。
でも中には入れず、誰もいない静かな廊下で待たされた。
キョウとは昨日も試合前日というのに電話をしたのに、懐かしい再会の気持ちのようだった。
早くキョウに会いたい。
「珠恵子…さん?」
…幻?
会いたいと強く願った故の蜃気楼?
確かにそこにキョウがいた。
神原さんが行ってしまった方向とは逆で、思ってなかったところから来たから余計に驚いた。
声も上げずにキョウをガン見していたら、私への意識確認のように目の前で手をヒラヒラさせながら来た。
「…珠恵子さん?」
「…びっくりしたぁ。」
「え!?反応遅ッッ!!!」
試合をして顔に痣や怪我などあって痛そうだったが、いつものキョウだ。
「だってあっちから来ると思ってたから。」
「えっと…なんでここいるんですか?よくここまで来ましたね…てかわかりましたね?」
「神原さんって人に声掛けられて…」
「…え?なんで?」
「…さぁ?キョウの知人とは知らず、偶然声かけただけっぽい?」
「…まったく!あの人はぁ~!!」
そう言って頭をかくキョウを見てまた胸騒ぎがした。
リングで戦っていたキョウを見ていた時と同じ感覚だ。
キョウが知らない顔をする。
「…今日、試合惜しかったね?」
「……はい。」
「まぁでも負けたわけでもないし、また頑張ってよ!!」
「…勝たないと意味がないんです。」
「…え?」
ほらまた…
私の知らない顔をする。
キョウがまるで別人のように感じて無性に不安を覚えてしまう。
「…なんかすみません。盛り上がりもなくトントンとした試合で。」
「そぉ?試合のルールとか私わかんないけど、こう…会場の一体感?っていうの?選手も観客も熱くなっていく様が一緒になって楽しかった。」
眉も下げながら優しくキョウは笑った。
「そう思ってもらえたならよかったです。」
「うん!!それに…」
「それに?」
「…キョウ、格好良かった…よ?」
「…」
それだけ言って用意していた花を渡した。
「お疲れ様。」
「…ありがとうございます。」
なんか照れてしまってキョウの顔が見れなかった。
せっかく目の前にいるのに…
今すぐにでも会いたいと思ったのに…
これでは電話と変わらない。
だから思い切って顔を上げた…けど…
あ…
やっぱり別人だ。
真顔で見つめてくるキョウ。
胸がズキズキする。
そう…格好良いって思った。
でもそれが不安だった。
私の知らないキョウ。
キョウの色々を知れることは嬉しいことなのに、なぜか知ることが怖かった。
リングで戦うあなたはまるで別人で、そんな吸い込まれそうな強い瞳で見つめるあなたも別人だ。
それは試合後で顔中が怪我しているからという、そんな理由なんかじゃない。
胸騒ぎと、見つめられているドキドキで息が詰まりそうだ。
思わず端が切れて赤くなっている唇を指でなぞるように触れた。
痛いのか、顔を歪めるキョウ。
「…ッッつ!!」
「……大丈夫?痛い?」
自然と顔を近付ける。
キョウの唇…柔らかい。
試合後にウィンドブレザーを羽織っただけのようでその胸も露になっている。
その鎖骨にも触りたいと思ってしまう私は変態だろうか。
ドサッ
渡したバスケットが落ちた。
唇を触っていた手をキョウに取られたのだ。
触ることを止めさせられたと思ったその手はそのまま壁に張り付けられた。
「自覚ってのがないんですか?あなたは…。」
「…自覚?」
リングの時と同じ顔。
今になって気付くそれは“男の顔”。
残った手で顎をかけられ、その親指で唇をなぞられた。
ドキンと心臓がなる。
「あ…や…キョウ?」
「そんな近くで格好良いなんて言ったり、可愛い顔されたり、触れられると…俺、優しくできないですよ?」
キョウの顔がゆっくりと近付く。
顔が熱くなってるのがバレてるようで恥ずかしい。
“男”を感じた時、リングで戦うキョウが遠くて怖かった。
でもこんなに近くにいたってキョウがいつもとは違って怖いと感じる。
“男”である君は
私の心を
激しく乱す。
私の唇にキョウの熱い息がかかった時、静かに瞳を閉じた。
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