5.百合が加速する
「あ、クロさん!おはようございます!」
クロにとって聞き慣れない声。のはずなに、なんだか懐かしい気持ちになる。
そしてクロの目には、朝食を一足先に食べているアルと、マリの幻影が重なる。
また、泣きそうになるクロは、涙が目から落ちる前に、軽く自分の手で擦る。
「眠いんですか?」
「そうかも……」
言葉を濁したクロは、そっぽを向く。
「お、クロ起きた?クロにしては遅いお目覚めだね」
いつも通りの機嫌で、マグネもキッチンから顔を出す。
クロは特に何も言わずに、椅子に座る。
「今日はアルと朝食を作ったんだ。今支度するよ」
コクリと一つだけクロは頷く。
マグネは、ちょっと考えてから、なぜかキッチンに向かわないでクロの方に向かう。
そして、クロの向こう越しに座るアルには、ギリギリ聞こえないかというぐらいの小声で、
「アルの愛情たっぷりの手料理が、早速初日から食べれてよかったね」
と。
「だからそういうのじゃ……!」
「はいはい。お2人で楽しんで〜」
なぜか顔を赤らめるクロを見て、アルはハテナとなる。
「……そうだ、クロさん!」
「……なに?」
入学式のときみたいに、急に迫ってくるアルの気迫に、またやられそうになったが、なんとかクロは持ちこたえた。
「私たちって……新1年って、本格的に学校生活が始めるのは、まだ先じゃないですか」
アルの言う通り、一学期が正式に始まるまでは、あと2週間ほどある。
「まあ、そうね」
そっけない返事に聞こえるが、クロにも色々葛藤があるようにも見える。
クロの返事の隙に、アルはまだ熱そうなトーストを頬張る。
しかし、ただの焼いただけのトーストではない。トーストの上には様々な食材が乗っけてある。
一番下にはチーズ(ゴーダチーズだろうか)、その上にはハムに、トマトに……トマトではない赤いのは赤玉ねぎだろう。そして最上部には目玉焼きが堂々と乗っていてる。
パラパラっとかけてある塩コショウが、これまた食欲をそそる一品だ。
……多少の食べづらさは否めないように見え、アルも「おっとっと」と言いながら食べているが、その後に見せる笑顔から、食べづらさの点は妥協ということにしよう、とクロは思った。
そして、アルの満面の笑みを見て、クロはもう一つのことを思った。
(……可愛い……)
クロは、コップに反射する自分の口が緩んでいることに気づき、慌てて軽く口を自分の手で抑える。
「おまたせ〜……ってどういう状況?」
マグネは、そう言いながら、クロの前に豪華なヨーロッパ風の朝食を配膳する。
前記したトーストと、オニオンスープ。そしてサラダにヨーグルトと、とても女子中高生だけの寮室の朝ご飯とは思えない代物だ。
「……っと、話の続きでしたね。それで私、学校が始まる前に、下見?みたいなことをしたいんです」
「……それで私に案内してほしい……ってとこかしら」
「そうです!憧れの校舎を、憧れのクロさんに案内してもらいたいんです!ど、どうでしょう……?」
「……ええ、いいわよ」
今度のクロは、緩んだ口元を手で隠さないで、アルにも見せた。
「やった」
なんだか今度は、アルの目を見れなくなってしまったクロは、キッチンの方に目を向ける。
そこには、「ファイト!」と言わんばかりに、親指を立てるマグネの姿があった。
だから、クロはやっぱりアルの方を向くことにした。
「……そんなクロさんに、一つお願いがあります」
どんなクロさんだ、とクロは思ったが、とりあえず内容だけは聞いてみることにした。
「その……えっと……」
急にアルの声が小さくなってきて、心なしかもじもじしだしている。
「……私に……『あ〜ん』してください……!」
「……え?」
2人は、ほんの一瞬だけ時が止まるような感覚になった。
「だっ、だから……!」
「わ、わかったから!」
これ以上騒ぐと、またマグネにからかわれるような気がしたクロは、この場を抜けるために……
……とういうのは半分建前で、残りの半分の理由というのは、クロにも十二分に興味があったというものだ。
「そ……その……何を……あなたにあげればいいの……?」
「なんでもいいですよ……」
2人の今の光景は、右も左もわからない、まるで新米カップルのようだ。
「その代わり……それ、使ってほしいです……」
アルが指さした先には、クロの使っていたフォークがあった。
アルの言葉の意味することは、2人ともちゃんとわかっていた。
間接キスだ。
一瞬悩んだクロだったが、すぐに無言で頷く。
クロは、フォークにミニトマトを刺して、そのフォークをアルの方に向ける。
ゆっくりとアルに近づけていくクロと、ゆっくり口を開けていくアル。
今度は時間の流れが遅くなったようだ。
「……ぱくっ」
今日のミニトマトが特別美味しいわけではないはずなのだが、アルはとても幸せそうな顔をクロに見せる。
クロもクロで、アルの笑顔に見とれていた。
まさしく、2人にとって幸せな時間が流れていた
が、次の瞬間、
「あーーっ!!?」
早朝にはとても似合わない大声を耳にし、2人はビクッとなる。そして、声のする方へゆっくりと顔を向ける。
そこには、珍しく早めに起きることができたらしい、コバルの姿があった。
「クロさんズルいです〜〜!」
「私もおねえちゃんに『あ〜ん』したいし、してもらいたいです〜!」と続けるコバルは、アルに思いっきり抱きつく。
「こ、コバルちゃんにも、さしてあげるし、してあげるから……」
アルがコバルをなだめる中、今度は別の部屋のドアが開く。
「あ、朝っぱらからなんだ!?」
コバルの悲鳴に近い声に、ネオは叩き起こされていたようだ。
この状況を作った一人であるはずのクロは、まるで他人事のように振る舞い、コーヒーを啜る。
そんなクロにマグネは、一つだけ質問してみる。
「えーっと、502と503と504に謝りに行ってくるんだけど……クロついてくる?」
「遠慮しておく」
「だよね〜」
今日は春らしい、心地よい陽気になるそうだ。
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